Coupling Parody
:master and butler
と刹那の姉弟にとって、朝の着替えは戦争だ。これまではシャツを着てズボンをはいて、少し寒ければ上にもう一枚羽織るなり手編みのマフラーをするなりで過ぎ去る季節を乗り切ってきた二人にとって、無駄に多いポケットやひらひらした布キレや銀のボタンが存在する意味がまったくもって分からない。この格好で外に出て遊ぼうとしたとき、「服が汚れちまうだろー、外行くならそれ用に着替えるんだ」 と自分付きの しつじ に言われた刹那は、彼の言っている言葉の意味を半分も理解できなかった。汚れるのを嫌う衣服に、一体どんな意味があるのだろう。にしてみれば加えてひらひらふわふわごてごてのスカートだ、この服は何か、自分に廊下で派手にすっころべとでも言うつもりなのだろうか。ロックオンただ一人に装飾過多な服を着るのを手伝ってもらっている刹那でさえ居心地の悪さに辟易しているのに、まさかティエリアに手伝わせるわけにもいかないは、なぜかいつもメイド五人がかりで着替えさせられている。土下座でもなんでもするから勘弁してくれ、とは自身の執事に泣きついたのだが無駄だった、あのとき流したウソ泣きの涙を返してほしい。
「
―――・・はぁー・・・疲れた、」
今日も今日とて、無駄な抵抗に無駄な体力をつぎ込んだらしいティエリアの主は、彼に大人しく髪を梳かれながら大袈裟なため息をついた。決して自らすすんで使おうとしない豪奢な化粧台にばたりと伏せる、するりと手の中から逃げていく漆黒にティエリアは思わず眉根を寄せた。櫛に引っ掛からなかったからよかったものの、もし絡まっていたとしたら痛い痛いと喚き散らすに決まっているのだ。
「・・・いきなり動かないでください」
「あ、ごめん」
わずかに執事を振り返った主の頭が手元に戻ってくる、髪のひと束を手に取ったティエリアはそれまでと同じ調子で髪に櫛を通した。・・同程度の家柄で同年代の少女がいたとしたら、彼の主であるはどうしたって見劣りする。つい一ヶ月前、猫の子のようにひょいと連れてこられただけの姉弟は、この年代の同格の子どもが身につけているべき教養も、当たり前の作法も所作もすべてをぐるっとひとまとめにして劣っている、それは仕方のないことだ。
「(
――・・だが、そんな言い訳が通用する世界ではない)」
イオリア・シュヘンベルグが 二匹の猫を拾った という噂は広くない世界に十分知れ渡っている。日々の生活に対する心配などカケラだってない人間たちのくだらなくも愚かしい集まりなのだ、彼らは基本的に自分たちとは無関係な “他人の非日常” という刺激を欲している。社交界でもかなり上辺に籍を置くイオリアの変事、それを発端として流れ出した噂。好意的であれ否定的であれ、と刹那の姉弟が彼らのあずかり知らないところで人々の注目を集めていることは間違いなかった。
「ティエリア、どしたの」
「・・・・・は?」
「や、なんかムズかしー顔してたから、」
ほら、眉間にすごい皺。てゆーかヒドイな。
曇りひとつ無く磨かれた鏡越しに視線を合わせたがサッと振り返り(いきなり動くなと先程告げたばかりなのに!)、なんの躊躇いもなく彼女はティエリアに向かって手を伸ばした。ぎょっとした執事が体を引くよりもはやく、常識知らずの主人の中指がぺしりと小さな音を立てて彼の眉間を打つ。目を白黒させるティエリアに対し、はにやりと口角を持ち上げた
――とりあえず、シュヘンベルグ家の長女がすべき言動でも表情でもないことだけは確かである。
「・・・・・そういう行動は慎むようにと、お伝えしたはずですが」
「わかってますー、今くらい別にいいじゃん」
「“今でさえ” できないことを、本番できちんとできるとでも?」
「・・・・・・・・・・・あーはいはい、ソーデスネー」
化粧台に肘をつき、奇妙に表情をゆがめるに気付かないふりをして、ティエリアはさらさらと流れる漆黒に櫛を通し続ける。屋敷にやってきて一ヶ月、痛みや枝毛のなんたるかを知らない絹糸のような髪に仕上がったそれは唯一、彼の思い通りになった箇所だ
―――彼の主はこの屋敷において、刹那以外にはティエリアにしか自身の髪に触れることを許していない。
ちょ・・、待てって刹那! 重厚な扉を介して、廊下から漏れ聞こえてくるロックオンの悲鳴。ゆるゆると波打つ栗色の髪に優しげなエメラルドの双眸をもつ彼は、その好青年を絵に描いたようなルックスもさることながら、仕事も人並み以上にこなす非常に有能な執事で、このシュヘンベルグ家に多くいる使用人の中でも紫苑の髪の執事や運転手と庭師の双子などと並んで来客の関心を惹いている。けれどそんなロックオンも、彼の主人となった10歳の子どもの前では形無しだった。
「・・・・まったく、あの人は・・」
「ロックオン、大変そうだねぇ」
「・・そう思うのなら、もう少しどうにかするように言ってください」
「刹那が、言って聞く子だと思う?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
バン、とノックされることなく開け放たれた扉、弾丸のように飛び込んできた子どもは、化粧台の前に座る姉のところへ一目散に駆け寄り、ふわりと広がったスカートを盾にして彼女の影に小さな体を丸める。刹那?、と様子を窺うに対し、立てた人差し指を口の前に持ってきて 「しぃーっ」 とわずかな声を漏らした子ども。主の口の端がにんまりと吊り上げられたのを鏡越しに確認して、執事はため息をつく。
「・・刹那!
――っと、申し訳ありませんお嬢さま」
「気にしないでください。それより、どうかしたんですか?」
きょとん、と首を傾げるを前に、ロックオンは苦笑を滲ませる。
「や、その・・刹那にまーた逃げられまして、」
「またですか、ロックオン・ストラトス」
「うるさいぞティエリア。・・それで、こちらのほうに逃げたと思ったんですが・・・・・」
それまで鏡を真正面にしていた彼女は、ス、と首を動かしてロックオンに向き合った、ティエリアのてのひらから漆黒がするりと逃げていく。対面するほとんどの人間に対して好意的な印象を与えるであろう完璧な微笑、伏し目がちに笑うその表情は確かに、この一ヶ月ティエリアが口を酸っぱくして言い聞かせ続けてきたものだった。唇の片側だけをにやりと吊り上げるそれも、快活な満面の笑みも、この先の彼女には必要ない。
「ごめんなさい、ロックオン。刹那には後でよく言い聞かせておきます」
「・・や、ここに逃げ込んだのかと思っただけですから、気にしないでください。じゃあ、俺はこれで」
「
―――・・ふむ、いまいち期待した反応と違ったな。もう少しにっこりするべき?」
「・・・・・・・・・・・・・」
まったくこの主は本当に・・、顔の半分を手で覆いながら、しかしティエリアはその影で口角をわずかに持ち上げる。初めてこれに引き合わされ、今日から彼女に仕えるようにと申し渡されたときには、どうして自分がこんな田舎臭い常識知らずの女を、とひどく憤慨したものだが
――
「・・いえ、先程ので十分です」
「ほんと? でもあんま反応なくなかった?」
「当たり前です。あれは使用人で、ここは小説の中ではありませんから」
「ははっ、なるほど確かに」
その上品さのカケラもない所作から予想したよりは、幾分かマシな頭の回転をしているらしい “貴族のオモチャ”。ティエリアに課せられた仕事は、ダイヤの原石か道端の石ころかもわからないこの オモチャ を、他と比べても遜色ないところまで磨き上げ、市場に出して売り捌き、シュヘンベルグ家の名を上げることだ。そこにはもはや、当人たちの介在する余地などどこにもない
――だけではない、ティエリアの意思も。
「刹那、あんまりロックオンにめーわくかけないように・・・な?」
前よりは随分と見られるようになった主の指、無言でこっくりとうなずいたその弟は当たり前のように頭を撫でられているが、“おれにさわるな” という絶対的な拒絶をロックオンに対して何度となく突きつけたというのだから困ったものだ。自分の立場というものを、もう少し理解してもらいたいものである。・・・そんな口には出せない内心を動物的な勘で読み取ったのかどうか知らないが、主のそれとは違う赤みを帯びた瞳にまっすぐ見上げられ、ティエリアはわずかに息を呑んだ。この姉弟は、揃いも揃って無駄に視線が強い。
「・・刹那、どうかした?」
ぶんぶんっ。大袈裟に頭を左右に振った刹那は、普通に歩いていれば足音など立つはずのない絨毯の上をぱたぱたと走り、扉の向こうへ消える。きょとりと首をかしげた姉も、不愉快そうに眉根を寄せたその執事も置いてきぼりだ。
「・・・ティエリア、刹那になんかした?」
「ありえません」
「ですよねー・・・・でもま、随分慣れてきたみたいでよかったよかった」
思わずティエリアの手が止まる、淀みない手付きで自身の髪を結い上げていた執事の手が静止したことに気付いたらしい彼女は、鏡越しにティエリアの深紅を覗き込んだ。弟の瞳が自ら光を放つ強い意思のかたまりだとすれば、彼女のそれはすべてを飲み込む深い夜のような常闇、底知れない湖のような深淵。主の表情がふっと和らぐ。
「随分慣れたと思うよ、ここに・・・てゆーかロックオンに」
「・・あれが聞いたら、泣いて喜ぶでしょうね」
「んー・・それはそれで見てみたいけど。言わなくていいからね、ティエリア」
「了解しました」
うん、よろしく
―――貴族の暇つぶしと遊興のために拾われたオモチャは、満足気に笑う。
「あーあ、それにしても、どーせならロックオンみたいな執事がよかったなァ」
「・・・・・・・・・・・・・は?」
「いやだって、ロックオンなら甘やかしてくれそーじゃん?」
オモチャにもなりきれていないガラクタが何を、舌の上までせり上がってきた言葉をティエリアは理性で無理やり飲み込む。奥歯をぎりぎりと噛み締めて、能天気な顔でへらへら笑うその首を一思いに捩じ切ってやろうかという衝動をどうにか抑えこみながら、その白皙で笑みをかたどった。さすがにこれまで小さな村の教会で村民に助けられながらの生活を送ってきただけある、かちりと表情を固まらせた主の第六感は素晴らしい感度をしていた・・・だからといって、逆鱗に触れるより先に気付けなければまったくの無意味なのだが。
「・・本日の予定を少し変更させていただきます」
「ティ、ティエリア、文法間違ってない? そこは肯定文じゃなくて、疑問文にするべきなんじゃ 「変更します」 ・・・・はい」
従順にうなずいた主の姿に、ティエリアはそこはかとなく満足した。
「本日は、新しいドレスなどを購入することにしましょう・・・覚悟してください」
ピシャァアアアア! 轟く雷鳴、吹き荒ぶブリザード
―――・・第二ラウンドのゴングが、いま鳴り響く。
Clown
novel
100:Clown (道化役者) ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(外国語編)
writing date 08.11.24 up date 09.01.20
夏人の姉御に一緒に考えてもらった執事パロで。・・設定を活かしきれなかった感がヒシヒシと。