Special story
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「
―――・・すいません、万事屋銀ちゃんまでお願いします」
タクシーの窓から見上げた夜空には、白い月がぽっかりと浮かんでいた。雲の切れ間から顔を出したそれは病院の周囲に広がる家々の屋根を青白く縁取っている。江戸の中心部に接続するこの大通りの両脇には飲食店から洋服・雑貨店など様々な店が軒を連ねているが、さすがにこの時間ともなればシャッターを下ろしているところも珍しくない。は、眠りに就いた町を眺めるのが好きだ。
「先生も、遅くまで大変ですねェ」
「・・お互い様、ですよ」
「ははっ、そりゃあ確かに違ェねぇ」
本来なら、七時には上がれる予定だったのだ。このまま何事もなければ久しぶりに定時に上がれるなぁ、と考えた瞬間電話の呼び鈴が空気を裂いた
――逢魔ヶ刻の交通事故、はねられた妖精は意識不明の重体。実際にが妖精のオペを行うわけではないのだが(というかそんなの、どれだけ手先が器用でも無理だ)、やれること・やらなければならないことは他にも山のようにある。緊急オペは長時間にわたった。
窓枠に肘をつき、親指と人差し指で挟み込むようにして凝り固まった眉間を揉みほぐす。まぶたの隙間からのぞく腕時計がコチコチと時を刻んでいる、指し示された時刻は深夜二時過ぎ。ぐずぐずに体が重い、腕一本を持ち上げることも面倒になるような怠惰にすべてが溶かされていく気がする。窓の外を走る景色がまるで霞にでも包まれたように焦点を失い、静かなエンジン音がゆるゆると遠のいていく。 ・・ああ、このままでは眠ってしまう。 せめて運転手さんに一声かけてから、という考えは言葉になるよりはやく寝息にほどけ、は沈むように眠りに落ちた。
「・・・よォ、眠れねーのか?」
日もとっぷりと暮れた深夜。裏の里山からはほうほうとふくろうの鳴く声が、障子の奥からは健やかないびきや歯軋り、それに 「もうこれ以上食えねェよォ」 という絵に描いたような寝言が聞こえてくる。この私塾でとともに学んでいる子どもたちのそれだ。元気よく学び、元気よく働き、元気よく遊ぶ。そんな彼らの夜は早く、部屋の灯りはとうに吹き消されている。庵全体を包みこむ濃厚な、そしてどこか優しい夜の匂い。縁台の柱に肩をあずけ、白い月明かりに照らされる庭をぼんやり眺めていたは首だけをついと動かして声のほうを振り返った。
「銀ちゃん・・・・・・、どうしたの? こんな時間に」
だらしなくはだけた浴衣をそのままに、腕を差し込んでボリボリ腹をかいた彼は隠そうともせずの前で大あくびを漏らした。裸足の足裏に床板が吸い付き、ぺたぺた小さな音を立てている。の妖精
――坂田銀時は昼間、みなが同じ部屋で同じように勉学に励んでいても、まったく我関せずの姿勢でぐーぐー居眠りをこいていられるぐうたらだ。昼間あれだけ眠りこけているのに夜布団に入るのも一番なら、いびきを掻きはじめるのも一番、そして朝布団から起き出してくるのが遅いのも一番という徹底ぶりはいっそ素晴らしいことなのかもしれない、見習おうだなんてことは桂くんにある冗談のセンスほども思わないが。
の妖精である銀時が、その特別な力・・人間と同じサイズになれる、という能力を開花させたのはが八つになった誕生日のことだった。それ以来、彼は多くの時間をこのサイズで過ごしている。
「おいおい、質問したのはこっちだっつーの。・・お前何してんの、こんなとこで」
どっこいしょ、と見た目に似合わない声を漏らしながら銀時はの隣に座り込んだ。わずかに着物を着崩し、足をぶらぶらさせながら縁台に腰掛けたの隣にどっかりと胡坐をかく。どうやら質問に答えないという選択肢は与えてもらえないらしい、赤銅色の瞳がどこか拗ねている。
「・・しょんべんに起きたらお前布団にいねーしよ、どっか行っちまった俺の尿意をどーしてくれる」
「そんなの知らないよ、お便所に行けばよみがえってくるんじゃない?」
「よみがえるとかオンナが言うんじゃねーよ」
先に言ったのは銀ちゃんなのに、とは思うが口にはしない。彼が本当に言いたいことは別にあるのだとわかっている、・・だからといってそんな言葉で照れ隠しするのはどうなんだろうとも思うのだが。
「・・別に、なんにもしてないよ。ぼうっとしてるだけ」
屋敷にはもう人の灯したあかりはなかったが、それでも夜は明るかった。軒下から見上げた夜空にはまんまるのお月様が浮かんでいる、曇りひとつ無い白銀のしたで庭の草いきれが夜風に泳いだ。ざあざあとさざめく音は夜の染み入るような静けさにあっても耳にやわらかい、隙間を縫うようにして虫の鳴き声が聞こえてくる。は、眠りに就いたこの庭を眺めるのが好きだ。
「・・・だったら布団の中でぼーっとしてろよ、意味わかんねェ」
吐き捨てるようにそう言った銀時は、再びふわふわとあくびを漏らした。彼の目の覚めるような銀髪が白い月の光を浴びてキラキラと輝いている、あちらこちらにくるくるとはねた鳥の巣のような髪はあますことなく月明かりを反射して、まるでひとつの光源のようだった。思わずじいっと見つめていたの視線に居心地の悪さを感じたのか、銀時が不安定に体を揺らす。
「ンだよ、」
「銀ちゃん、きれいだねえ」
「・・・・・・・・・・は?」
自分の髪はいけない、月明かりすら飲み込む暗闇のような漆黒だ。
「・・・お前ねー、自分の中だけで会話成立させんのやめろっていつも言ってんだろ」
「ご、ごめんなひゃい」
ぐっと身を乗り出してきた銀時にほっぺたをぎゅむ、とつままれては眉尻を下げる。いつもなんだか眠たそうな目をしていて、事実居眠りをしてばかりのぐうたらだが、銀時は怒ると怖いし機嫌が悪くなるとめんどくさい。は薄くあけたまぶたの隙間から様子を窺う、唇を結んだ銀時の表情はどこか不機嫌そうなものだったが、その赤銅色から怒りは読み取れなかった。竦めた肩からスゥと力を抜く。
「・・・・・銀ちゃん、怒った?」
「・・ってねェよ、バカ」
ぷいっと顔を背けた銀時の手が、の視界を覆うように伸ばされてくしゃくしゃと髪をかきまぜた。寝所に入る前、先生に梳かしてもらったものだからくしゃくしゃにされるのは本当は少しいやだったけれど、言わない。周りに他の子どもがいるときには、絶対にしてくれないのだ。桂くんは何かにつけて頭を撫でてくれるし、銀時もひどくニヤニヤしながら高杉くんの髪をぐしゃぐしゃにするくせに。・・自分の妖精といえど、銀時の考えていることは今も昔もよく分からない。
「お前、まだ寝ねェの」
「・・・・・・・・・・・・・」
「先生も言ってたろ、寝る子は伸びるって」
「“育つ” だよ、銀ちゃん」
「るせー、なんか意味合ってるっぽいじゃねーか」
銀時はまたふあふあとあくびをした、目尻に浮かんだ涙が月明かりのしたできらりとひかる。 ・・銀ちゃん、先に寝てていいよ。 としては何の他意もなくただ思ったことをありのまま、今この場で眠り込んでしまいそうな銀時に善意で告げたつもりだったのだが、受け取る側はそう思わなかったらしい。ス、と目が細められて不機嫌そうに眉がひそめられる。赤銅色がゆらりと揺れる。
「お前も寝んだよ」
「え、でも私まだ眠くない、」
「俺が眠ィの。夜風に当たったせいで体冷えちまったしよォ、つーわけだから、お前俺の湯たんぽな」
「え、やだ」
腕をつかまれ、引き起こされたは問答無用とばかりにぐいぐいと寝所へ引っ張っていく銀時に対抗して足を踏ん張った。それでも銀時の足は止まらない、地蔵にでもなったつもりでうずくまるをそのままずるずる引きずっていこうとする。やがての返事に足を止め、振り返った彼の表情は筆舌に尽くしがたいほど面倒くさそうだった。目はいつもの半分くらいしか開いておらず眉は垂れ下がり、口はへの字に歪められた上にうっすら開いている。高杉くんあたりなら、この顔を見ただけで殴りかかるだろうなと思った。
「・・何、なんか文句あんの」
「・・・・銀ちゃん、へんなとこさわるからやだ」
「何言ってんの、お前なに言ってんの? そーゆーのをな、じいしきかじょーってんだぞバカヤロー」
の手のひらの中で眠りについたはずの銀時はしかし、翌朝目を覚ますと隣の布団でいつものようにがーがーいびきを掻いていた。いつの間に抜け出したのか、にはさっぱり覚えがない。
細心の注意を払いながら万事屋の戸の鍵を開ける、たまに鍵がかかっていることを確認しないで開錠しようとすると、逆に鍵が閉まって呆気に取られることがあるが、どうやら明日・・というか今日は、朝からくどくどとお説教を垂れずにすむらしい。社長の、というよりは従業員であるメガネの妖精くんのおかげだろうとは小さく息をつく、それを引き金にふわふわとあくびが漏れて、目の端に浮かんだ涙を指で拭った。
ただいま戻りました。玄関先、は口の中でそっと呟く。自分には帰ってくる場所があり、そこに戻ってきたことを確認するためのこれは、幼い頃からの習慣のようなものだ。シン、と静まり返っている万事屋の空気にはほっとする。いつ帰るかわからない自分を待っていてくれることより、少女の健やかな寝顔のほうがずっと嬉しい。
「
――・・よォ、今日もずいぶん遅かったんだな」
鍵をかけて振り返ったの視界で、着崩れた寝巻きの袷から腕を突っ込んでボリボリと腹をかき、いかにも眠たそうに目をしょぼしょぼさせた銀時が大あくびをもらした。
「ごめんなさい、起こしましたか?」
「うんにゃ、俺ァしょんべん」
脇を通り過ぎていく銀時の、その肩を竦めた感じの猫背だとか、うっすらと浮かんだ無精ひげだとか、ぺったぺったと歩くがに股具合だとか、そういう当たり前なものに対してはひどく月日の流れを感じ・・・・ものすごく率直に言えば 歳を取ったなあ と感じて、なんだか急に切なくなった。なぜだろう、理由は思いつかない。
「風呂は? 入んの、」
「・・いえ、神楽ちゃんを起こしてもあれなので・・・明日の朝にします」
「神楽がその程度で目ェ覚ますとも思えねェけど・・ま、そうすんだったらさっさと寝るこったな」
寝所にしている和室の襖を開けた状態で、銀時はソファに座ったままのを振り返った。電気をつけることで押入れの神楽が目を覚ますのを嫌ったは、光源に音量を絞ったテレビをつけている。地球だけでなく、宇宙のさまざまな星にある素晴らしい景色を紹介する番組ならしい、“素晴らしい景色” という定義は星ごとでかなり違うようだがそれなりに面白い。テレビに目をやっていたは、いつまで経っても布団に入らず襖のかたわらに突っ立っている銀時に視線を移した。テレビの青白い光を受けた銀髪がゆらゆら光っている、光による陰影のせいだろうか、どこか不機嫌そうな表情には首を傾げる。
「・・銀時?」
「お前、まだ寝ねェの」
「・・今のうちに少しだけ目を通しておきたい論文があるから、それが済んだら 「だーめ」
「・・・・・は?」
取り上げられた紙の束が、の頭上でばさばさ揺れる。
「お前、また最近あんま寝てねェだろ。最近銀さん眠くてたまんねーんだけど、どーしてくれんの」
「それは私のせいじゃあ・・・」
「疲れてるっつーことには変わりねェだろーが。さっさと化粧落として着替えて寝ろ」
おら、早くしろよ。 そう言った銀時はさも偉そうに腕を組み、わずかにあごを持ち上げたじと目でを見下ろした。別に待っていてくれなんて頼んだおぼえはないのだが、その態度からするに自分がソファから立ち上がり、洗面所で化粧を落として寝巻きに着替えるまでそこを動くつもりはないらしい。めんどうくさいなあ、と思うが口にはしない、昔も今も機嫌の悪くなった銀時はめんどうくさいのだ。
「・・・・・何、なんか文句あんのかよ」
「・・別に。なんでもありません」
その晩、夢は見なかった。
片割れ月のよう
novel
片割れ月のよう ... 7-1 / 古語50題
writing date 090314 up date 090331
幼少期捏造キャッホォオオオ!・・怒られないかとビクビクしている。