それからのことを、はあまり憶えていない。とてもじゃないが目を開けていられないほどの光の中。巨大な刀身を携えて、モノノ怪と対峙していたのは白と言っていいほど色素の薄い髪を背中に流し、褐色の肌に金色の線で隈取化粧をした男。ともすれば金色にも見える山吹色の着物を纏い、モノノ怪の前に悠然と立ちふさがるその姿は、現し世のものとは思えぬ凄絶を孕んでいた。まるでこう、「力」がそのまま人の形を取ったような・・他を寄せ付けない孤高を、ただひたすらに綺麗だと思った。

男が手にした剣がモノノ怪を両断する。断末魔の叫びを上げながら、天に昇っていくモノノ怪の残骸。それらすべてが消えようとするとき、手の中に在った宝珠がじわりと熱を帯びた。一体何事かと、掌に転がした宝珠は不意に横から伸びてきた手に掬い取られる。薄紫の爪が鮮やかだった。

「力を少し・・取り戻しました、かね」

がこの世界に訪れた理由。それはどうやら、弱体化した宝珠に「力」を再び集めることならしい。自分はそれをここにきてようやく把握したというのに、それよりもずっと早く知っていたというような薬売りの態度が癇に障る。

――― 一体何者なのか。まったくもって、サッパリわからない。ただ分かるのは、“只のしがない”薬売りではないということぐらいで、それがわかったところで不審が募るだけ。本人に聞いたところでロクな返事が返ってくるとは思えないので、もう敢えて聞いたりしない。きっと自分がイライラさせられるだけだ。


「どうやらは、モノノ怪を呼び寄せるようだ」

先程の茶屋で、ずずずと熱い茶を啜っているその最中、死刑宣告にも似た薬売りの言葉には思わず茶を吹いた。

「・・・・大丈夫ですか」

――あ、いま拳一個分離れて座りなおしやがったこんにゃろう。

「い、いきなり何? モノノ怪を呼び寄せるって・・そんな阿呆な」
「本当のこと、ですよ」

静かに告げられた言葉には、十分すぎるほどの重みがある。見るからに胡散臭く、言動もそれに輪をかけたように胡散臭い薬売りだが、嘘や冗談を言っているようには思えない。・・自分という人間に、それほどモノノ怪を惹きつける魅力があるとも思えない――というか、そんなものあっても困る。

「・・もしかしなくても、宝珠のせい?」
「ええ、まぁ」

再び掌に戻ってきた宝珠は、既に肉体を持たず、思念だけの存在となった意思が結集して成り立ったもの。彼女の世界で宝珠の鎮守を担っていたはただ一人、その思念を具現化し、力を行使することができた。しかし宝珠はただ持つだけで、力の一端を分け与えることがある。にしてみれば迷惑極まりない宝珠の気まぐれはどうやら、この世界のモノノ怪とやらにも力を与えるらしい。

「でもまぁ、力を集めるにはモノノ怪をどうにかするしかないんだし・・・ちょうどいいのか」

今回、モノノ怪をどうにかしたのは結局のところ薬売りで、自分はほとんど何の役にも立たなかった――というかむしろ足を引っ張るお邪魔虫だったという事実には、この際目を瞑ろう。勝手が分からなかったから、不覚を取ったのだということにしておいてくださいお願いします。

「あーあ、これからどうするかなぁ」
「・・・どうする、とは?」

茶屋の主人に銭を払いながら、薬売りがチラリと視線を投げかけてくる。こんな男と腰を並べて座っているだけで十分人目を引くのだ、言葉を交わした今、しばらくは人混みを歩くのに困らなそうだなどと考えながら、が思案をめぐらすのはこの先のこと。奴でさえ「薬売り」という職でもって銭を稼いでいるのだ、自分もどうにかしなければ。このままでは宝珠に力を集めるより先に、空腹で野たれ死んでしまう。

「いやだって、一文無しだし。どうにかしないと、餓死するだろうなーって」

たどり着いたばかりの世界で餓死、そしてゆくゆくはしゃれこうべ・・・・なんとしても遠慮したい末路である。男に見間違えられるこの容貌はこういうとき、実に便利だ。力仕事をして日がな一日の銭を稼いで寒さと飢えを凌ぐのもよし、しばらく雇い入れてもらって貯めるもよし――どうにかしようとさえ思ったら、人間どうにかなるものなのである。

「少しの間だけど、お世話になりました。茶ぁ、ありがとうな」
「どちらへ、行かれるおつもりで?」

その言葉に振り返ると、薬売りは一つの道をゆるりと指差した。

「我らが向かうはこちらの道・・・ですよ?」

意味が、わからない。この男一体、突然何を抜かしているのだ。

「大丈夫です。一人が増えたところで、食うに困ったりはしやしませんよ」

いやいや、言いたいのはそういうことじゃなくて! 大体何が「大丈夫です」なんだ、薬売りの懐具合の心配などしていない――いや、気にならないと言えばそれは嘘になるけれど。もしも自分がものすごい大食いだったらどうするつもり・・・・・って違う、そうじゃない!

「俺は人の世にあるモノノ怪を斬らねばならない。は知らずモノノ怪を引き寄せ、そして奴らから力を集めなければならない――互いに、都合のいいこと尽くめだ」

確かに、いやまぁ確かに! 今回ろくすっぽ役に立たなかった自分が一人でモノノ怪を相手にできるのかと問われれば、正直「無理かも」と答えるしかないけれど。・・・本当の本当を言えば、かなり心細かったけれど。薬売りについていけばもしかして楽なんじゃないの、と思ったりもしたけれど!

「それに――・・お礼をまだ、頂いていないもので」

薬売りというこの男は、まったくもって得体が知れない。それこそモノノ怪――よりも。


novel

writing date  07.11.05 ~ 07.11.08   up date  07.11.10 ~ 07.12.01