許せない ―― と。そう思った。
どうしてこの子なのかと、何度問うても納得のいく答えは終ぞ返ってこなかった。皆は羨ましいと言った。人柱として、神に召される小夜を羨ましいと。村のために死ねなどと、よく言えたものだ。まだこの世に在る喜びも悲しみも楽しみも苦しみも知らぬ小娘を捕まえて、村のために死ねなどと――。私はあの子に・・小夜に、逃げようと言った。私にとって、全ての村人の命と小夜の命は同義ではなかった。
「・・・私が選ばれたのなら、私が守ります。村を――・・母さんを」
そのときから、この山には暗い噂が絶えなくなった。山へ山菜を取りに行った娘が姿を消し、数日後青白い顔をして戻ってきたり、旅の人が連れの女が山に入った途端姿を消したと村に助けを求めに来たり――きっとこれは娘の仕業なのだろうと思うと、笑いを堪えられなかった。さぁ今こそ、その命を弄んだ者共に思い知らせてやれ!
私は山へ入り、得体の知れぬものとの生活を始めた。年頃の娘の夢を食んでいることを知り、私は村の小娘たちを山へ連れてきてはそれに喰わせた。殺すわけではない、ただ夢と幾ばくかの生気を拝借するだけだ。しかしそれすら、ままならなくなった。いつしか里に、村人の姿はなくなったからだ。この子たちが・・小夜が、命を捧げてまで守ろうとしたのに。やつらは我が身可愛さに、結局村を捨てたのだ。
――それからというもの、獲物を捕らえるのが難しくなった。故に街道まで行き、そこで目をつけた娘を山に連れてくることが私の生活の一部となった。最早そこにこれまでのような理由は殆ど存在していない。これは歯車の一部。かちりかちりと刻まれる日常の歯車。欠くことなど、どうしてできよう。
其のとき見つけたこの娘、名前をといったこの娘が、今まで夢を食らってきた娘たちとは違うというのは、得体の知れぬもののざわめきから理解できた。もしかしたら今度こそ、殺してしまうかもしれないと思った。けれどこれを取り込んだなら――小夜に似たこの娘を手に入れたなら、
「お主を見つけたときには、喜びに打ち震えたが・・・・・とんだ外れくじを、引かされたようじゃの・・」
今度こそ、力を得たこのモノノ怪に、取り込まれるかもしれぬと思ったのに。
「――― 理 を、得たり」
ただひたすらに真っ白な世界。余計なものが介在する余地の無い閉ざされた空間で、五感は役に立たなかった。目を瞑ろうが瞼の裏には同じ光景が広がり、耳を塞ごうが頭の中に音が轟き、息を止めようと苦しさに体が喘がない。夢、なのだろうかと過ぎる考えは生まれた瞬間霧散する。夢などという曖昧なものでなく、現などという生臭いものでなく、ただここに在るものが全て。
「多少は、役に立ったか」
光の刀身を手に携えて、男が音を生み出す。紡がれた言葉は重く、体に響く。男が纏う空気は燃え盛る火焔のように激烈で、凍て付く氷塊のように清冽。神気、とでもいうのだろうか――雰囲気に中てられて、言葉も出ない。自分よりもこれほどまでに格上な存在を知らない。圧倒的だ。疑問を挟む余地も、張り合う気力も生まれない。
けれど、喉元に突きつけられた剣に恐怖は生まれなかった。山奥深くにある湖の水面ように、心が平穏に凪ぐ。諦観なのかもしれないし、今この男が斬ろうとしているのは自分が身に付けている真朱の着物だと察しがついているからなのかもしれない。感情の波が、静かに遠ざかっていく。そうしろと、音もなく命じられたように視線が吸い上げられた。奥行きも横幅も見当のつかない白い空間に、褐色の肌に金色を纏った男が在る。薬売りよりもずっと感情を匂わせない眼光に晒されると、体が竦んだ。己の矮小さが身に沁みる。
「・・前に、阿呆呼ばわりしたの、アンタだろ」
当たり前のように返事はない。もともと期待していたわけではないが少しむなしい。この男と比べたら、自分など腕の一本にも劣るかもしれない。それほど、男に在る力は強大で、自分にある力は些末なものだ。己を卑下するつもりも、男を誇張するつもりもない。ただあるがままに、それが事実。頭で理解するより早く、体が納得している――けれど。認知されない、というのは酷く哀しい。
「俺にはって名前がある。阿呆じゃない」
勘違いかもしれないし、希望から来る錯覚かもしれない。・・・一瞬、空気が緩んだ気がした。
「阿呆に、阿呆以外の呼び名は似合わん」
「ひでーなァ」
「――斬るぞ」
「・・・、はい」
己の体を剣が貫き、視界の端で真朱の着物が夜空に打ち上げられた花火のように散ったのを見た。最期とはかくも穏やかな――・・・そこまで考え、ここ数日の間に幾度死を経験したのだろうと、記憶を辿って苦笑する。宝珠に力を集めるという使命のために、モノノ怪を屠る自分がこのように穏やかな最期を迎えられる筈がないとわかっているのに。私の屍はきっと、私の血の海に沈むのだ。
「―― さて、行きますか」
よっこいせ、と年齢を疑わせる台詞と共に立ち上がった薬売りの横へ並び、は空を見上げる。久しぶりに見上げる空に雨粒はなく、厚い雲の隙間から光の矢が差し込んでいた。雨が上がった後に特有の、湿った土の匂いと埃の取り除かれた空気が、木々の間を通り抜けてくる。思い切り背伸びをしたら、背骨がごきりと音を立てた。
「なんか、ものすごく久しぶりな感じがする。たかだが二、三日のことだったのにさー」
「・・何を、言ってるんで?」
「へ?」
薬売りに告げられた言葉に、意識が飛びそうになった。
「はもう五日も、眠ったままだったはず・・ですぜ?」
世界が時を止めて、音が消える。ばくばくと体の中で心臓が激しく打ち鳴らし、生唾を飲み下す音が脳ミソに響く。色鮮やかな絵巻物を解くかのように、記憶が、夢が流れ落ちていく。境目がわからない。夢の始まりとそして、夢の終わりはどこに在る。
「・・・い、行こうか! 薬売り」
「そう・・です、ね」
novel
writing date 07.11.15 ~ 07.11.23 up date 08.01.25 ~ 08.06.01