第8話
山崎の容態は日に日に良くなっていた。
次の日・・・と高杉が出会ったその次の日に、山崎は目を覚まし、今では絶対安静の札が掲げられているものの、もう布団の上に起き上がっていた。
笑ったり、腹をよじったりしても痛むようでは心配したのだけど、笑わせたり腹をよじらせたりするのが沖田だからの憂いも随分和らいでいた。
「副長に聞きました。さんがいなかったら、俺は死んでたって」
山崎の口調は砂糖菓子のように甘くて優しくて、は言葉を詰まらせる。
「だから、ありがとう・・・さん。命の恩人だよ」
「・・っ、ごめん・・・・・俺がもっとはやく・・!」
「さん、それは違うよ」
布団をぎゅう、と握り締めたの手に、山崎がそっと触れる。
の手が冷たいからか、山崎の手が温かいからか。
とろけてしまいそうな温もりに、こらえるのに苦労しそうな何かがこみ上げてくる。
「俺はさんに感謝してる。ありがとう」
「・・・・っ」
「俺がお粥から解放されたら・・・一緒に水羊羹食べよう? 土方さんたちには内緒でさ」
「・・うんっ。今度、来るときには、買ってくるから・・だから絶対、良くなってろよなっ」
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屯所から万事屋帰る途中。は意を決したように、その人物に声をかける。
「・・おっす、桂さん」
「桂ではない、ヅラだ! あ、間違えた、桂だ。・・ん? お主は、だったな」
「うん。あのさ、ちょっと時間いい? 話したいことあるんだ」
が桂を引き連れてきたのは大きな川にかかった橋の欄干。
桂の腰ぐらいの高さのある欄干に“よっ”と声をかけて腰掛けたは、隣に立つ桂をチラリとみやる。
「桂さん、指名手配犯なんだってな。さっき土方さんから聞いた」
「・・・俺とここでやりあう気か」
桂の手が、刀の柄に触れる。
「しないよー。だって俺、指南役ではあるけど、真撰組じゃあないもん」
はそう言って空を仰ぎ見た。“落ちるぞ”という静かな声に大丈夫だと笑いかけて。
「三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい」
「・・なんだそれは。都都逸(どどいつ)か?」
「これ、都都逸っていうの? 俺サッパリ意味わかんなくてさぁ。でも、覚えとけって言われたんだよな」
「・・・・・誰にだ」
「高杉晋助」
明らかに桂の表情が色を変えたのをは見た。
自分の一挙一動を見逃すまいとするの視線に桂が気付いたときは既に遅く、咄嗟に視線を逸らした桂には苦笑を浮かべる。
「・・やっぱ、知り合いなんだ?」
昔の仲間だ、と答える桂の声が重く沈んだ。きっと銀さんの仲間でもあったのだろうな、とは思う。
「なァ、どんな意味だかわかる? 銀さんに聞いても絶対教えてもらえないと思うんだよな」
三千世界とは仏教用語で、わかりやすくいうところの“全世界”。ここで鴉というのは朝の到来を告げる鳥。
「世界中すべての鴉を殺し、朝が訪れないようにして、お前とずっと寝ていたい―――そういう意味だ」
「・・・・・・」
「・・奴らしいといえば奴らしいが。これ以上ないほどの色歌、艶歌・・・だな」
さすがのも、これには言葉がないらしい。ようやくひねり出した言葉は、ぼそぼそと聞き取りにくかった。
「・・な、なんでそれを俺が覚えておかなきゃならないんだよ」
「俺が知るわけないだろう。ただ・・・」
「? ただ、・・・なに」
「アイツは・・高杉は、思ってもない口説き文句を口にするような男ではないぞ」
桂の言葉に対して反射的に顔を上げたは、一気にその顔を真っ赤に染め上げて。
そのヤカンも真っ青な沸騰具合の様子に、桂は笑い声を上げた。
そうしてひとしきり笑ったのち、バイトへ戻ろうと桂がから数歩遠ざかったとき。
「桂さん」
思いがけなく笑みを消したの声に、桂が振り返る。
桂の視線の先で、は欄干から下りながら静かに、けれど桂に向けてハッキリと言った。
「俺は隊士じゃないから、桂さんを斬ろうとか捕まえようとかしない。けど、もしも桂さんが、真撰組の奴らを一人でも斬ったら・・・その時は」
「斬ったら・・・・・、どうする」
「その時は、俺が桂さんを斬るよ」
「・・・・肝に銘じておこう」
が見送る先で、桂は一度も後ろを振り返らなかった。
これでもう、桂さんに会うことはないかもな、と少し寂しく思ったをよそに、桂は次の日からしばしば万事屋に現れるようになる。
そして銀時に加えても攘夷に参加するよう、執拗な勧誘を始めるのだった。
novel
第9章「華と闇夜と狂気の宴」はこれにて完結です。いやー、長くてシリアスなのがようやく終わって一安心です。
満を持しての登場は高杉さんでした。イメージソングはベタに「修羅」でお願いします。ええと、山崎ファンの方に申し訳なく・・・! 苦労人の彼にいつか花を持たせてあげたいです。
「三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がして見たい」という都都逸について、注釈がございます。一度目を通していただけると幸いです。
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三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい 注釈
和歌山県にある熊野三山では牛王宝印(ごおうほういん)というお札を発行しています。
これには熊野三山のお使いであるカラスが描かれており、これは本来なら災難から身を護る護符なのですが、近世になると起請文として使われるようになります。
熊野の神にかけて誓いをするときに、相手と取り交わす誓紙として使われたんですね。
そして、熊野の神への誓約を破ると、神の使いであるカラスが3羽死に、誓約を破った本人は血を吐いて地獄に堕ちるとされていました。
江戸時代になると、遊女と客が取り交わす用紙にまでその牛王宝印、誓紙が使われました。
遊女は客に、「あなただけは本気です」とか「遊女としての勤めを終えたら夫婦になります」とか、誓紙を使って約束するわけです。
客はそんな大層な誓いがまさか破られるとは思わず、せっせと遊女の元へ通うのですね。
けれど遊女は、自分から男が去らないため、客を確保するための営業手段として、その誓紙を複数の客に使います。
「三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい」
つまり作者である高杉晋作は、遊女が自分以外の客と交わしているであろう誓いを破らせ、世界中から神の使いを殺してしまってでも、一緒にいたいとそう唄っているのです。
本来ならば、この都都逸の解釈としてこちらのほうが正しく、のらくら記の中で桂さんが説明してくれたのは、上記の伝説を知らないための誤解なのだそうです。
が、こんなにたくさんの説明文をつけてもよくわからないものを手短に、分かりやすく説明するのは到底ムリだと判断し、また殺し文句としてどきっとするのは本編に出てきた、世でいう誤解のほうなのではないかと勝手に考え、そちらを採用させていただきました。
ですが、誤った解釈だと知っていながら不特定多数にご紹介するのは無責任なのではないかと思い、ここで説明させていただきます。
皆さんのご一考の参考になれば幸いです。
最後に、高杉晋作が唄ったといわれているこの都都逸、実は桂小五郎の作だという説もあったりするのですよ。
writing date 07.03.25 ~ 07.04.06. up date 07.06.08 ~ 07.07.03