高校二年のときの文化祭で、『白雪姫』 の劇をやらされたことがある。典型的な文化祭のパターンに則り、クラスごとのの出し物をステージの上でやったわけだ、至極面倒くさい上に後々笑いものになることを承知で。は基本的に面倒くさがりだがイベントごとは決して嫌いではない、むしろ “どうせやるなら” を合言葉に全力を尽くすタイプである。だから、ステージ発表にするか教室内展示のどちらにするかを話し合うHRのときにも、今年でほとんど最後になる文化祭なのだからステージでどーんとやっちゃおうぜ!と皆をけしかけたりもした(の通った高校は有名な進学校で、受験生である三年生のクラス発表は行われない)。

しかしのその勢いが続いたのも、ステージ発表の案が生徒会で通り、じゃあ実際何をするか、という話になるまでの話である。がちょっとうとうとしている間に話はクラス内でトントン拍子に進み、合唱や音楽発表ってのもベタだから劇をしようという話になった。劇だって十分すぎるほどベタではあるが、中だるみだのなんだのとやたら批判の矢面に立たされる高二である、箸が転がっただけでも笑い転げられる年頃の男女が40人弱、冷静さなどHR開始十分でゴミ箱行きだ。―――不意に名前を呼ばれ、眠りこけていたのを誤魔化すためには 「ん、だいじょぶ」 と返事をして・・・・・・・王子さま役が決定した。


いつまでそうやっているつもりだ、と声がする。心底あきれ返っているような、諦めきっているような、けれどそのくせ何かに対する焦燥が滲む声で。いつまでも何も、ずっとこうしてたい気分なんですけど。だってここは、暖かくて涼しくて、寂しくもなく煩くもなく、おおよそ “あったらいいなあ” と思うものが揃っているから。心地よい微睡みのなかで、はちみつ色をしたやわらかい泥に沈み、髪の毛の一本から肺の中にまでとっぷりと浸かりながら。ずっとこのままでいいじゃないかと思う。


くじ引きの結果、白雪姫役になったのはラグビー部の次期主将だった。身長187センチ体重98キロ、首周りがきつくてワイシャツの一番上のボタンが留められないという彼は、見た者の視覚に様々なものを訴えかける姿に化けた。不憫とか爆笑とか悪寒とか、爆笑とか爆笑とか爆笑とかを、である。ガラスの棺、に納められたという体でステージの床に転がされただけの白雪姫を抱き起こし(自身の二倍はある肩幅を支えた右手は、次の日筋肉痛を訴えた)、鮮やかなストライプのかぼちゃパンツを穿かされたは台詞を吐く。

『さあ白雪姫、ぼくのキスで目を覚まして』


そっちだって、それを望んでいたくせに。きゅうと体を丸めて膝を抱える。別に喉から手が出るほど欲したわけではないし、そうなろうと努力したつもりだって毛ほどもない。けれど、気がついたら そう あった 「いま」 を望み、維持し、守ろうとしたのは自分だけではないはずだ。現状を甘受し、眠ったままでいようとすることの何が悪い、誰に文句がつけられる?

――――きみが、だいきらいだからさ
「いい加減にしろ」

ガツッ、と額に奔った衝撃は背筋をつたって全身を伝播し、まどろみに泳ぐの手足を震わせた。喉の奥で声にならない唸り声を上げながらゆるゆるとまぶたを押し開けて、途端目に飛び込んでくる蛍光灯の白い光が意識を穿つ。眉間に皺が寄るほどぎゅうと目を閉じ、明るさから逃げるように寝返りを打ったは顔面を襲わんとする第二撃に気付けなかった。

「・・へぶッ!」
「いい加減にしろと言った」

文庫本を右手に掲げたティエリアが、末恐ろしくなるような冷眼でを見下ろしている。

「・・・・・だって・・まだねむい・・・」
「次は背表紙でいく」
「やあティエリア、相変わらず美人だね!」

ごろりと体を反転させたは、寝転んだまま右手で敬礼してみせた。スゥ、と剣呑に細められた深紅が、重苦しいため息と共に逸らされたのを確認して手を下げる。誰の部屋で寝ているつもりだ、という言葉が聞こえてくる気がしたが、実際に言葉にならないあたりティエリアはとっくに悟りを開いたのかもしれない、諦観的な意味で。ベッドの縁に腰掛けるティエリアにイモ虫のような動きでにじり寄り、はティエリアを見上げた。漏れそうになるあくびを奥歯でかみ殺し、しぱしぱと目を瞬かせる。


高だか高校生による文化祭の出し物である、全校生徒の前で本当にキスをするわけにもいかない。けれど 『白雪姫』 という演目において、魔女(ちなみにこれは身長 190センチを超えるバスケ部員が演じた)の毒リンゴで眠りについた白雪姫が、王子のキスで目覚めるという一連のシーンは一番の見せ所というかぶっちゃけそこしか見せ場などない。そこで彼らが考え出したのは、こんな案である。

キスシーンが近づくと、客席の後ろにある出入り口から黒の長袖Tシャツに黒のジャージ、顔を黒い布で覆ったいわゆる “黒子” という役割の子が入ってくる。階段をばたばた駆け下りてきた黒子はそのままの勢いでステージによじ登り、いざキスシーン、という場面で二人の顔のちかくに扇子を掲げるのである・・・・・白地にデカデカとハートマークが描かれた扇子を。

―――“なによりまず白雪姫デカすぎ” とか、“客席から見てもそれとわかる脛毛をせめてどうにかして欲しかった” とか、“かぼちゃパンツは流石にナイ” とか、まぁ概ね好評のうちにクラス発表は幕を閉じた。


「・・・白雪姫、ってあるじゃん」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「あれ、ティエリア知らない? “白雪姫”」
「俺を馬鹿にしているのか。・・何なんだ、突然」

手の中にある本の文字列を追う深紅の瞳がチラとだけこちらに向けられ、すぐもとの場所へ帰っていく。けれどティエリアの意識がまだ自分に割かれていることを見て取って、は口を開いた。本当の本当に本に集中しているときのティエリアに話しかけたところで、記憶のカケラにも残らないことは百も承知だ。

「あれさぁ、白雪姫って王子さまのちゅーで起きるじゃん」
「・・・ああ」
「いつも思うんだけどさ、あれ、白雪姫にしてみたらまったく知らない赤の他人なわけでしょ?」
「・・・・まぁ、そうなるな」
「いや王子様どんだけ自分のツラに自信あんだよ、とも思うんだけどさ」
「・・・自分の権力を笠に着ているだけじゃないのか?」
「それもそれで十分ヤダよ。・・まぁでも、そーゆー状況なわけじゃん」
「・・・・・・・・・・・・」
「だったらさぁ、いきなり襲い掛かるよか名前呼んだだけで目ェ覚ましたほうが、なんか劇的じゃね?」

――・・ってあれ、なんでわたしこんな話してんだろ。ふあふあと大きなあくびを漏らし、目尻に浮かんだ涙を拭いながらは首を巡らせて時計を見た。時刻はそろそろ夕方五時、買い物は昨日行ったから冷蔵庫にあるもので適当に何か作ることにしよう。最近、苦手だった納豆を克服したルークはその味にどうやらはまってしまったらしく、なんにでも納豆を投入しようとする。やるのは勝手だが、自分の舌に合わなかった場合、無言でそれを差し出してくるのはいただけない。今夜またやったら今度こそ叱り飛ばしてやろう、そんなことを考えながらぐぐっと背伸びをした。

「・・ティエリア? どしたの、」
――・・いや、なんでもない」


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07:呼ばれるように目覚める (Colorful)  material:青の朝陽と黄の柘榴
writing date 090907  up date 090908
20万ヒット、本当に本当にありがとうございました!これからも末永くよろしくお願いします。