「はーい、おはよーございまーす。テメーら今日も元気ですかぁー?」
出席簿を手に煙草を咥え、サイズが合ってないせいかしょっちゅうズレて、正直ウザい眼鏡をかけて、いつものように職員室を出る。
受験が近いからだかなんだか知らないが、3年の担任をしていてよかったと思うのは職員室と担当の教室が近いことだ。
それでも3年Z組などというデタラメなクラスなせいで、他の3年を受け持つ教師連中よりも長い距離を歩かされる。
底が剥げつつあるツッカケのスリッパは安物のクセになかなか寿命が長かった。自分が直接担任をした生徒たちではなかったが、それでもこのスリッパとともに3・・いや4回は生徒を社会に送り出した。
上履きのかかとを踏んでいるかのような足音は自分にシックリと馴染み、生徒連中といえばこの足音で自分が来たことを判断しているらしい。
そうして意識しなくてもたどり着いてしまうこの3Z のドアを、いつもと同じ台詞を吐きながら開ける。
「元気でーす。元気すぎて正直ウザいです、土方のヤロー。・・死ねばいーのに」
「オイィイ!? なんか朝っぱらからスゲェ不吉な言葉聞こえた!」
「頼むから死んでくんねーかな、マジで」
「朝から黒すぎんだよ、テメェエエ!」
「もーその辺にしとけよ。朝っぱらからテンション高いねーお前ら。羨ましいぞコノヤロー」
生徒たちの座る床から一段高いところに教壇は作られている。
たった一段だがそれは思った以上に大きい差で、あるのとないのとでは見えるものが全然違う。内職しているのが見える云々の話ではない。
やはりここからでないと、図体ばかりがでかくなった高校生のクラスの全体など、到底見渡せるものではないのだ。
一旦クラス全体を見渡し、生徒一人ひとりの顔を眺めた後。視線は自然と、一点で止まる。
学級委員のは、渡された出席簿に今日の日付や天気、日直などを書き込んでいる。
それらを書き込んで、朝のHRが終わった後に出席簿を日直に手渡すのがの朝の仕事だ。
このとき、はほとんど顔を上げない。
折角朝から顔を合わせているのに、が出席簿に集中しているから顔を見られない。
1時間目に古典の授業があればいいが、これで6,7時間目までなかったり、授業自体がない曜日だったりすると寂しいというか面白くない。
1日中同じ場所で同じ授業を受け、同じ時間を過ごす生徒同士と、クラス担任といえども教師とでは、格段に違うのだと思う。
「、聞いてくだせェ。土方のヤロー、古典の全訳の宿題、俺にやらせようとすんだぜィ?」
「ば・・ッ! そりゃテメェのことだろーがっ!」
「俺に罪をなすりつけるんですかィ? ひでェヤローだ。そう思いやせんかィ」
「はいはい、後でノート見せればいいんでしょ? 素直に言いなよ」
チラ、と目を上げてが沖田に言う。沖田が嬉しそうに表情を明るくする。
「悪ィな、。恩に着まさァ」
「沖田くんがそんなの着てたら気持ち悪いって」
「あ、テメェ言いやがったな?」
「はーいはいはい、おしゃべりはその辺で終わり。ー、お前ノート貸すなよ? 課題は自分でやるから意味があるんだからな」
「うわ、銀八ひっでェ! ンなこと言ったら俺ァ昼休みに昼寝が出来なくなっちまうや」
「ちょーどよかったじゃねェか。ちゃんと自分で調べてやれよ、沖田」
「へーい」
「じゃあこれでHR終わりー。5限目の古典までには全員課題やっとけよー? やってねェ奴は放課後イチゴ牛乳買わすから覚えとけー」
わー、とかぎゃーとか途端に騒がしくなる我が3Zを後にする。
若いってのはそれだけでいいもんだなァ、とぼんやり考えてしまった自分が急に老けた気がして、自嘲気味な笑いが漏れた。今日は1時間目に授業は入っていない。
この前の授業時にやった古語の小テストの採点がまだ終わっていないはずだから、それから片付けてしまおう。それが終わったら――――・・・
+ + + + + + + + + +
「先生は、こう・・・・いつも同じような毎日が"めんどくせー!"ってなるときない?」
が何の脈絡もなく、突然そんなことを言ってきたのは確か、部活が終わった彼女をいつものように自宅に送り届けてやる車の中だったと思う。
「・・いきなりどーしたぁ、。なに、勉強疲れ?」
「・・あー・・・・そう言われればそうなのかも」
は国公立大学志望組だ。3Zのメンバーの半分くらいは大学進学を希望していて、その中でまた半分弱が国公立を志望している。大学進学を希望していない半分の生徒は短大や専門学校などへの進学を希望していた。
ずば抜けて成績がいい、というわけではないが、このまま何事もなく受験シーズンを迎えれば問題なく志望校に合格できるぐらいの偏差値は十分保っている。
しかし、だからといって勉強しなくても大丈夫なわけではない。
は睡眠時間をガリガリ削ってまで勉強しているわけではなかったが、それでも受験生という名にふさわしくそれ相応の勉強はしていた。
「時間割は違うけど同じように毎日学校行って、授業受けて、部活行って、帰って・・・なんか突然、ちゃぶ台返しみたいのしたくなるんだよね」
「ちゃぶ台返しって・・・オマエね」
「例えば、の話。なーんか、妙に不安になるというか、地に足が着いてないような気がするというか・・」
若いってのはいいもんだなァ、と思った。
「・・・なんだかんだ言って、やっぱまだまだガキんちょだな、オマエも」
左手を伸ばして、の髪に指を絡ませる。
おとなしく撫でられているはむ、としたように唇を尖らせたが反論はしてこない。
彼女は自分のことを"こども"だなんて思っていないが、同時に自分が"おとな"ではないことも理解していた。
それを理解したうえで"大人"になろうとする・・・"大人"になっていくは、銀八の目に眩しい。
「・・・・先生が、自分は大人になったなァ、って思ったのっていつ?」
「そりゃオマエ、童貞捨て「そういう話をしてるんじゃないって、わかってて言ってるよね?」
逆の方向にひねり上げられた小指が、悲鳴をあげる。
「そーだな・・・アレだ、の言う"同じような毎日"ってのが面倒じゃなくなった時、だ」
「・・先生は、学校行って授業して軽口叩いてセクハラして・・って毎日がめんどくさくないんだ」
「アレ、おっかしーな。俺いま、スゲーいいこと言ったよね?」
が不意に黙り込む。
膝の上に載せられた、と銀八のカバンを抱え込むようにしてじいっと考え込んでいる。
こういうときには横から口を挟まないようにする、というのが自分ルールだ。
生きてきた時間の長さが"偉い"ことにつながるとは思っていないが、生きてきた時間の長さはその良し悪しに関わらず"経験"につながっていると思う。その"経験"とは厄介なもので、思わず口出ししたくなってしまう。その相手が自分にとって大事であればあるほど。考える、という行為はいつでもどこででも出来るようで、今このとき、気が付いたそのときに考えることが大事なのだと、"経験"から知った。
「・・じゃあさ、先生」
「あ? なんだよ」
「"同じような毎日"が面倒じゃなくなったら、大人になるのかな。それとも、"大人"になったら面倒くさくなくなるのかな」
「・・・・・そのうち、わかるだろ」
(つーかまず、俺を大人といっていいのかが微妙・・・)
企画 Ray of Light さまに捧げます。参加させていただいて、ありがとうございました!