The Secret Garden

IF STORY



「ネエ、ってホントに白ボスとヤってナイの?」

 客の少ないタイミングを見計らい、黙々と煙草の補充をしてたらコレだ。そのニヤついた顔からして碌な話はしねえだろうなと思っちゃいたが、それにしたって内容が酷すぎる。あんたは次のトレインが発車するまでのちょっとした合間の時間なのかもしれないが、こちとらこの二畳分もない狭苦しいスペースが職場である。客がそのニヤけたツラぶら下げたキャメロンしかいなかろうと、仕事中なのである。そして俺は、仕事の最中に猥談に花を咲かせる気になるほどガキじゃない。

「っせえな、ヤってねえっつってんだろ」
「ナンデ? ヤっちゃえばイイのにー、白ボスきっとヨロこぶヨ?」
「だからヤってねえんだろうが、バキャメロン」
「チョット、ボクの名前とバカって悪口つなげナイでヨ!」

 白のサブウェイマスターこと、クダリさん。黒のサブウェイマスターであるノボリさんと共に、バトルトレインの一切を取り仕切る女ボスのひとりである。女だてらにダブル、およびマルチトレインのボスとして君臨する彼女らは、ポケモンバトルの強さもさることながらその洗練されたルックスも相まって、異常とも思える人気を博している。
 かくいう俺も、初めてこのギアステーションで働くことが決まった直後は、サブウェイマスターをちらっとでも拝めるんじゃないかと期待していた。諸々の事情でポケモンバトルに携われない俺が、美貌のサブウェイマスターにお目にかかれる滅多にないチャンスである、と。だがまあ、話をしてみたいとかお近付きになりたいとか、そんなことを考えたことは一度もなかった。雑誌のグラビアでカミツレさんが際どいポーズとってりゃレジに持っていかざるを得ないが、だからと言って実際に話してみたいとか、ヒールのかかとで踏んづけてほしいとか思わないのと一緒だ(……うそ、ごめん、二つ目はちょっとマジでいいなと思った)。

「知ってル? クダリさんニどんだけ迫ラレても落ちナイから、最近女のコたちの中デ、“はゲイなんジャないカ” ッテ噂立ってルこと」
「…………知りたくなかった…」

 ――クダリさんが、俺のことを妙に気に入っている……というか、俺をその気にさせようと躍起になっているのはいい加減理解している。バトルが終わるたび、勝てば褒めて褒めてとやってきて、負けたら負けたで慰めてと寄ってきて(もちろんノーマルトレインの話である)、俺が休憩に入ればどこからともなく現れてこぶしひとつ分の距離に腰かけられ、執務室から一番近い売店はここじゃないのに、何かにつけてここで買い物をし(しかも確実に俺が店番をしているときにしか来ない)、休日の予定を毎週毎週尋ねられる。
 話をするときには、その陶器のように白くて華奢な指先で俺の衣服の端っこをきゅうっと握り、長いまつげに縁どられた目はいつだって俺を上目遣いに見上げてくる。もちろんその砂糖菓子のような笑顔が崩れたためしは一度たりとてなく、何かにつけて俺に触れようとする手はいつだってひどく温かい。……こんなの、勘違いするなっつー方が無理だ。

「あんナ美女に迫ラレといテ、ナニが不満なワケ?」
「別に不満があるとかそういうんじゃねえよ。むしろ、俺には高嶺の花すぎて手が出ないだけ」
「………ハッハーン、ワカッタ」

 どうせ碌なこと言わねえんだろうな、こいつ。通勤ラッシュの余波で、乱れた雑誌や新聞類をきれいに並べなおしながら、相も変わらずニヤニヤ笑っているキャメロンを見やる。

、おっぱい派ダ」
「……………お前、馬鹿だろ」
「ダッテそうとしか考えらんナイもーん! 白ボスにタダひとつ欠けてルものがアルとすれバ、確実におっぱいデショー!」

 そういえばコイツ夜勤明けだったか…。早朝とは言わずとも時刻はまだ午前の範囲である。そのタイミングでこうもぎゃんぎゃん夜中のテンションで語られるのは迷惑以外の何物でもない。キャメロンの戯言に付き合っていないのを周囲に知らしめるためにも、俺は売れ残った雑誌を自分で買い上げることを決意するや否や、丸めてその頭をパコンとはたいてやった。俺まで変態呼ばわりされるのは納得いかない。
 ――だがまあ、キャメロンが言うのは客観的な事実でもある。白いタイトミニのスカートからのびる脚はまるでガラス細工のように繊細で、細い指先を包む手袋とコートの袖口との隙間に見える白い手首はなまめかしいとしか言いようがなく、最近になって伸ばし始めたのだという髪をかき上げて制帽をかぶりなおす仕草なんか遠目に見ているだけで腰がぞくぞくしてくる。惜しむらくは、胸のサイズが若干控えめという点のみ。あとひとつ、いやふた……みっつ程度サイズが大きければ、文句なしのパーフェクトだったろうに…。いや実に残念なことである。

「胸のサイズで女選ぶほど、俺は若くねーの」
「ジャあワカッタ、聞き方変えル。白ボスと黒ボスだったラ、ドッチが好ミ?」
―――…黒ボス…」
「ホラー! ヤッパリそうじゃーん!」

 一卵性双生児と思しき双子で、揃ってサブウェイマスターという地位につき、片や白、片や黒をイメージとして戴いていることだけが、彼女らが様々な場面において天秤にかけられる理由ではない。

「違えよバカ、胸がデケェから黒ボスがいいっつってんじゃねーっつの」
「…フーン? たとえバ?」
「……だから…ポケモンバトルだとすげーテンションあがってハキハキ喋んのに、トレイン降りたらすげえ控えめでおどおどしてるとことか、仕事とかポケモンのことに一生懸命すぎて一人で頑張りすぎちゃうとことか、しっかりしてるのにホームでちょいちょい躓きそうになってるとことか、エロいエロいってみんなに言われるからスカート長くしてるけどそれが逆に慎ましやかでエロいことに気付いてないとことか、もう…ちょうカワイイじゃん……」

 キャメロンの、俺を見る目が鋭く冷たい。

「…デ? 極め付ケニ?」
「………胸がデカくて貞淑とか、まじツボ…」

 俺だって所詮、アホでバカな男の一員である。おっぱい万歳。
 先に述べたクダリさんが今どきよく聞く “肉食系女子” だとしたら、ノボリさんは昔ながらの “大和撫子” である。肩甲骨を過ぎるまで長くのばされた髪は艶やかで、ヒールの音を控えめに響かせながら歩く姿はさながら百合のよう。クダリさんのそれより丈の長めなスカートにのぞくおみ足は滑らかな陶器のようで、ピンと伸ばされた背筋と纏う黒が彼女の凛々しさと知性を見る者にひしひしと感じさせる。自分より背の高いものであろうと低いものであろうと、相手の顔をまっすぐに見つめる姿は生真面目そのものであり、そのちいさな頬に己の指を這わせ、きゅっと結ばれたくちびるにむしゃぶりつきたいと思わなかった男など、おそらく存在しないであろう。
 そして極め付けが、貞淑な彼女には不釣り合いなほど大きな胸のふくらみである。噂によると、黒ボスがコートの前をしめないのは胸がつかえて息苦しいからだとか、いまだにサイズが年々大きくなっており、数年前のワイシャツではボタンが飛ぶらしいとか、クダリさんと足して2で割ればある意味ちょうどいいのになとか、まったくもって下世話かつお前ら(俺も含む)には関係ねーだろという話題には事欠かない。……気の知れた鉄道員にそういった類の下ネタをふられると、顔を真っ赤にしてうつむくのなんてもうたまらない。たまに見せる控えめな微笑みで、最低二回は抜ける。

――…ってコトらしいデスヨ、黒ボス?」
「は? キャメロン、お前なに言って……」

 本日一番のニヤニヤ面を見せたキャメロンを訝って視線をやればその向こう、自動販売機の陰に見慣れたコートの裾――…その配色は黒と赤。

「………っ!」

 ザァッ、と血の気の引く音がこだました。ウソだろ、ちょ、待て、なんのドッキリだこれは。あまりの急展開に思考が全然追いついていかず、頭の中では 「いやいやいやいや」「ないないないない」 がエンドレスリピートを繰り返している。
 しかし、意を決したように足を踏み出したその人影がいよいよ俺の前に全身を現し、ぐすぐすと鼻をすすりながら真っ赤になった目と顔で俺を見上げてきた瞬間、頭の中のオーディオデッキは 「おわったおわったおわったおわった」 のリピート再生を始めた。しかも聞き取れないほどのスゴイ低音で。

「ち、ちがうんです…これは違うんです、ノボリさん」

 我ながら、何が違うのか言えるもんなら言ってみやがれ、という気分だった。

「あの、本当に俺、ノボリさんのこと、そ…尊敬してて、ほんとにスゲーなっていつも思ってて、それで、あの、イイなって……っあ、でもそのイイなってのは、へ、変な意味とかじゃぜんぜんなくて、だから、その……」
「……い、です…」
「は、はい?」
「さ、さいていでございます! わたくし、様だけはそのような、ふ、不埒なことを考えていないと思って、親しくさせていただいておりましたのに…っ」

 ――すいません、ほんとすいません。不埒なことばっかり、とは言わないが、不埒なことを考えていたのは否定できないですハイ。

「見損ないました!」

 脱兎のごとく踵を返し、コートの裾を翻して走り去るしなやかな背中を、俺はただ茫然と見つめることしかできなかった。
 せっかく今日まで、その人目を惹く容姿に似合わぬ小動物のような警戒心を少しでも和らげるべく、紳士に、かつ丁寧に接して、ようやく挨拶と一言二言の雑談を挟めるようになったというに、それが全部パアだ。パアっていうかマイナスだ、ゼロに戻すことすら容易ではない。…きっともう俺の立つ売店では買い物なんてしてくれないんだろうなとか、ホームで姿を見かけてもちっちゃく笑って見せてくれたりとかしないんだろうなとか、考えれば考えるほど溜息も出なくなる。――…ぐっばい、俺の淡い恋心……。

「アーっと……ゴメン!」
「よーしキャメロン歯ぁくいしばれ」




――クダリ!」

 己を呼ぶ姉の声に、クダリはくるんと振り返る。視線の先では白のコートと制帽を手に、息を切らしているノボリの姿。どうやらここまで走ってきたようで、紅潮する頬と乱れた吐息が、我が姉ながら愛らしい。…それはつまり、ほとんど変わらない容姿をした自分にも当てはまる言葉であろうとクダリは笑う。だって自分たちは、嫌になるくらいよく似た双子の姉妹である。

「なーに?」
「なーに、ではございません! わたくしのコートと制帽を勝手に持ち出して、どういうつもりなのですか? ああ、第一その恰好は一体どういうことでございます? 貴女、自分のスカートはどうしたのですか!」
「いーじゃん、たまには! 取りかえっこ!」

 自分とほとんど変わらない背丈のノボリを、腰をかがめてまで覗き込んでにっこり笑う。クダリは自分のそんな仕草が、姉を含めた老若男女を黙らせ、虜とするのに最も適したものであると本能的に理解していた。――ただ一人、あのうだつの上がらない、人ごみに紛れれば一瞬で見失うであろう程度の存在感しか持ちえない、男性店員を除いて。

「よくありません! 皆様が混乱してしまいます!」
「ぶーっ、ノボリのケチ!」

 べえっと子どものように舌を出して見せる。その途中、姉の後ろを通りかかった青年が自分のことを食い入るように見ていたのに気付いたため、ぺろりと口の端を舐ってやった。

「(…くっだらない……)」

 この程度でホイホイ釣られるような男にはもう興味がない、飽きてしまった。今は新しいオモチャが手元にある。今日のことで、ノボリへの密かな恋情も、おそらく芽が出る前に腐り墜ちることだろう。枝葉が出たころに叩き折り、虫がつく前に植え替えてしまえばいいかと考えていたこともあったがそれよりも、自分には見せたことのない、照れたような笑みで姉のことを語る姿に苛立ちを感じたのだからしょうがない。頭に描いた道程に大した変更はない。こうなれば、腐り落ちた種を抱いて栄養を十分に含んだ土に、新たな種を仕込めばいいだけの話である。

「(――…あれ、そういえばあのコ、名前なんて言うんだっけ)」

 未だぷりぷりと怒り続けているノボリをなだめすかしながら、クダリはその場を後にする。振り返ることすらしなかった。

息抜きに書いたらとんだビッチに……。

2012/07/20 脱稿
2012/07/28 更新