「・・・あんた・・、」
見上げる視線の先で薬売りが、上側だけ紫に彩られた唇をにぃと吊り上げた気がした。
「あんた・・・、何者?」
不意に吹きこんできた風に薬売りの髪が舞い、着物がはためく。どこからか運ばれてきたのか、踊る花弁はいかにも目に美しく、香る空気は芳しい。目の前の男はしかし、それら全てを凌ぐほど、それら全てを支配しうるほどの妖艶さをもって、静かに口を開――――
ブワァアアアアッ
の視界は紅の花弁で覆いつくされた。雪崩を起こしたように、花びらがバッサァアと風に吹かれてくる。風雅も余韻もへったくれもない。顔に張り付いたそれを面倒くさそうに払い、けれどひと時の間もおかずにべたべたと肌を埋める花びらは正直言うとかなり、ものすごく、果てしなく・・・・・・ウザいこと極まりない。
「只のしがな――ぺっ」
この中でも台詞を続けようとした薬売りに天晴れをあげたい。個人的には、台詞途中で花びらを食べてしまったらしい薬売りを是非この目で拝みたかった。だってアイツ今、“ぺっ”って言った!
カーット、カットカット! ちょっとそこ、何してんの! 今ここ、薬売りの見せ場でしょうよ―――監督の怒声が響き渡る。それから小一時間、掃除とばら撒いてしまった花びらの回収で撮影が中断したことは言うまでもない。
薬売りとが通されたのは、奥座敷だった。虚ろに、感情を忘れたような奉公人に案内され、その後を足音一つ立てず歩いていく薬売りについてきたが、はっきり言って今はその判断を絶賛後悔中だ。体が重い、果てしなく重い。わかりやすく言うなら、両脇にころころと太った赤ん坊をそれぞれ二人は抱え上げ、背中に米俵を背負い、かかとに鋼鉄の入ったシークレットブーツを履いているかのような・・・・だからつまり、何を言いたいのかというと、
「随分と、顔色がよろしくない、ですね」
「うわッ!?」
鼻先10cmに迫った薬売りの顔に、は今度こそ後ろにひっくり返―――
「っと、うわッ! ちょっと待っ・・・!」
どんがらがっしゃーん、とど派手な音を立て、したたかに腰を打ちつけて涙が滲む。いってぇ、マジ痛ぇ・・っ、と呻く彼女に注がれる視線は思い切り、半端なく、哀れみと同情とを含んでいた。分かりやすくいえば、「やっちゃったよこの子。うわ、かわいそー・・」という目である。
「お前の顔は心臓にわる「カットー!」
当たり前といえば当たり前なその声にはがっくりとうな垂れ、そして耐え切れなくなったように笑いを漏らす。す、と目の前に差し出された白い手を掴む。
「随分と、派手にいきました・・ね?」
「ちょっと素で驚いた。ごめん」
「・・・そしてこれが―――ああ、すみませんがさん、上から2段目の右側の引き出しにはいっている、干物を取ってはくれませんかね・・・?」
「ん」
「すみませんね・・これが、滋養強壮から精力剤にまで効果があるといわれる、ヤモリの干物、です」
「これが、若い娘さんからおばあちゃんにまで幅広い人気を誇る、苺のショートケーキ、です」と同じようなニュアンスでイモリの丸干を掴まされてしまったは、何とも知らず鷲掴みにしてしまったそれをなるべく見ないようにして・・・本当を言うなら今すぐ手を洗いたくてたまらなかったが、どうにも許されそうにない現状に心の中で涙した。薬売り、という言葉の通り、薬包紙に包まれた粉薬から何かの植物と思しき乾燥物を筆頭に、正直得体の知れたもんじゃないブツを畳み一面に広げた薬売りは、この薬種問屋の店主を相手に商談の真っ最中である。
「ええとお次は・・・さん、上から2番目の左「んー・・・・・・」
開 か な い 。
がこん、と明らかに何かが詰まった音を立て、引き出しが固まってしまった。押しても引いても動かない。え、ちょっとマジですか。なんで、そんなアホな!
「ちょ、ちょっと・・ちょっとだけ待って」
「・・ゆっくりで、いいですよ」
いい加減沈黙に耐えられなくなってアドリブを口にして―――カットの掛け声が入った。
「おかしいってこれ! 開かないんだけど本当に!」
数人がかりで引き出しをこじ開けて・・・・・本当なら数冊入っているだけのはずの春画が、ばさりと十数冊、宙を舞った。
「・・・調子に乗って、入れすぎましたか・・・ね」
「モノノ怪の形を為すのは、人の 因果 と 縁 」
「よって、皆々様の 真 と 理 ―――・・お聞かせ願いたく候」
剣を掲げ、薬売りは朗々と言葉を紡ぐ。逆らいがたい吸引力と存在感で場の空気を支配して。一つ呼吸をするのにも気を使うほど、張り詰める緊張。
「・・おぬしのいう、真と理とは、一体なんのことだ」
「“真”とは事の有様。“理”とは心の有様。形を得た今、その二つが揃えば剣は抜ける。すなわち、揃わぬまでモノノ怪は――斬れぬ」
ぐぅ、と喉の奥で呻く店主を感情のこもらない瞳で一瞥し、次に薬売りが捉えるのは蹲ったまま顔を上げない。その姿を目に留めて、それがすぅと細められたことに気付いたものはいない。
「・・早くしないと、奴はまた戻ってく ―― ぐぅぅ ―― ・・・・・さん?」
カットー、と言う声が響いて、場の空気が一気に緩む。くすくすという笑い声が満ちる中、はただでさえ血糊で赤く染まった顔を、今度は己で赤くした。
「お・・お腹すいた」
「・・・・腹の虫、今ここで鳴きますか?」
「ご、ごめん。ホラ、薬売りの口上すげぇカッコイイし! ひゅーひゅーもう一回見せてくださいお願いします!」
じとぉ、とした視線が痛い。無言の重圧に耐え切れなくなって、もう一度「ごめんなさい・・」と呟いたとき。小さな溜息とそして、フッと揺らぐ空気に顔を上げて目に入ったのは。
「――がそう言うのなら、仕方がない。ただし二度目は、ありません・・よ?」
「後は俺に、任せていろ」
眼を剥き、朱色に染まる襖は次の瞬間、がばりと音を立てて崩れ去る。思いを食み、力を増したモノノ怪は対峙する薬売りの前で地の底に響くような唸り声を上げる。
「・・・人の世に在るモノノ怪は、斬らねばならぬ。――モノノ怪を生み出すのが、人であろうとも」
「形 と 真 と 理 に於いて・・・・剣を 解き 放つ ッ!」
「やっぱその台詞、カッコイイよなー。『剣を 解き 放つ ッ!』」
「そいつぁ、どうも」
今回の幕は(面白い)NGなしで終了。カットーという声が響くと、結末に近づきつつあるせいか、緊張を孕んだ空気がすぅと緩む。個人的にはこのままの流れで金色の人の大立ち回りまでやってほしいと思ったりもするのだが、贅沢は言うまい。この薬売りと共演する時点で、同僚から何度「ずるいずるい」と連呼されたことか・・・「薬売りさんとだなんてずーるーいーっ! 私も一緒に出たかったぁ!」
「そういえば今回・・・台詞がありませんでした、ね?」
人が気にしていることをよくも抜く抜けと・・・!
「名前すらほとんど出ていませんが・・・ああ、どうりでNGが少ないわけだ」
ドロップキックをかましてやった。文句を言われる筋合いはない。
とてもじゃないが目を開けていられないほどの光の中。巨大な刀身を携えて、モノノ怪と対峙していたのは白と言っていいほど色素の薄い髪を背中に流し、褐色の肌に金色の線で隈取化粧をした男。ともすれば金色にも見える山吹色の着物を纏い、モノノ怪の前に悠然と立ちふさがるその姿は、現し世のものとは思えぬ凄絶を孕んでいた。まるでこう、「力」がそのまま人の形を取ったような・・他を寄せ付けない孤高を、ただひたすらに綺麗だと思った。
「――・・うわ、ホントすげー派手だよなぁ」
撮影の合間、は彼を全身ぐるりと見回してそう零す。本番であろうと無かろうと、彼が放つ雰囲気というか纏った空気は一種独特なもので、薬売りと同じく周囲の人間の気を引かざるを得ない。――例えば、はここらの界隈ならぎりぎりこの格好のまま外にご飯を食べにいけるが、この二人は絶対に無理だということである。
「ちょっとやりすぎなんじゃあ、ありませんかい?」
「薬売り。お前が言うな、お前が」
両手に花とは、きっと今の状況を言うに違いない。右斜め前方に浅葱を纏った薬売り、左斜め前方に金色を纏った彼――これならいい男にやたらと目が無い同僚でなくとも、「ずるいずるい、ちょっと私と代わってよ! ねぇってばーぁ!」と叫んでも仕方ないと思う。自分でも、美味しいポジションにいる自覚がある。思わずやってしまいそうになるガッツポーズを堪えるのがそれはもう、ものすごく大変だ。
「・・あれ、そういえばさ、今回台詞あったっけ? もしかして、立ち回りだけだったり?」
「・・・・五月蝿い」
「おや、たかだか数秒のために・・・お疲れ様、です ね」
「・・・五月蝿い」
「出てる時間よか用意してる時間のが長いっておま・・大変だなぁ」
「だから貴様ら五月蝿いと「薬売りさーん、さーん! リハお願いしまーす」
一人ぽつんと座って撮影が終わるのを待っている彼に、犬の耳と尻尾が見えたのは目の錯覚だろうか。
「お疲れさまでしたー!」
撮影終了の声が響く。とりあえずの一仕事を終えて緩んだ空気の中、まるで天然のスポットライトでも当たっているかのように目立つその人は、その秀麗な顔を惜しげもなく、それはもう思い切り歪めていた。
「ずっと待ってたの?」
「・・五月蝿い」
「おや、違うようなら・・用事があるので、先に失礼を。行きましょうか、」
「ちょ、待っ・・!」
「・・・・薬売りってさ――いや、やっぱなんでもない」
見たまんまSだよな、とは恐ろしくて口に出せなかった。
「おい、今日もいつもの店でいいか」
「そうですねぇ・・・面倒ですし、それで構いません よ」
二人の間で交わされる意味深な会話――・・・ハッ、もしかして・・!?
「ま、まさか二人はそういう関係――・・・ごめんなさい、嘘です、冗談です、なのであの、実演っぽいのしないでください目のやり場にすごく困るんで」
どうやら今夜はこれから、行きつけの食事処へ向かう予定ならしい。豪勢というか煌びやかというか、とりあえずものすごい席になるのは想像に難くない。思わず出くわしてしまっても、絵面が出来上がりすぎているため、逆に嘘っぽい。声をかけるなんて・・・そんなことができる人間がいるとしたら、私はその人を勇者と呼びたいと思う。
「・・も一緒に、どうですかい? 今夜」
―――そんな勇者になろうとしてるよ自分。
「え、ぇええ!? いや、いやいや・・・そんなだって俺、標準装備はおたまとなべのふただし」
「何の話をしているんだ、お前は」
「明日は用事があるとか・・なんですかい?」
そんなことは全く。時間も予定も全く問題ないが、問題があるとすれば己の勇者レベルというかなんというか・・
「じゃあ、決まり――です ね」
▽は 称号「美味しいとこ取りの勇者」 を手に入れた!