0704  the queen of the cherry blossom




近藤は局長のクセに書類の処理が極度に遅い。斜め読みして、自身の名が刻まれたハンコをただ押していけばいいだけの仕事が、なぜだか滞る。 その理由をさりげなくうかがい見たところ、奴はどうやら毎日舞い込んでくる山のような書類のすべてに、 きっちり、最初から最後まで、まるっと目を通しているらしい。
こんなものはただの形式でしかない書類で、本当に審議しなければならないものは別にしてあるのだから、ザックリ読んで判を押しさえすればいい。 しかし、それが奴にはできない。 それが近藤勲という人間の長所であるのだが―――短所でもある、と土方は常々思う。 おそらく近藤も自覚しているのだろう、自身はもっぱら真撰組局長として外での仕事――とどのつまり事務仕事ではない分――をこなしている。 が、土方にしてみればそれすらおおよそ不器用で、自分のほうがまだ上手くこなせるのではないか、と思ったりもするのだが、 近藤のその不器用さはウケがいいため、土方も黙って近藤の分の書類まで片付けてやる。 真撰組はそうして円滑に・・・・・部下に命を狙われたり、マヨネーズが切れたり、バズーカを向けられたり、 ストーカーの上司を処理したり、一番隊隊長に真剣を突きつけられたりしながら、円滑に運営されていた。

今日も山のように舞い込んできた書類をこなして一段落をつけた土方は、残りの分は自室でちまちま片付けようと足を向ける。 差し込んでくる光は春らしい暖かさを伴って、やわらかく廊下を照らしていた。 スパン、と勢いよく襖をあけた土方は、しばし室内を見渡して「あれ?」と首をかしげ、開けた襖を閉める。 周囲の景色から判ずるに、やはり先にあけた部屋が自室であることを確認すると、 今度はこめかみをピクピクさせながら、乱暴に襖を開け放った。

「あ、おかえりー、土方さん」
「なにしてんだテメェ」

土方の部屋で、我が物顔に寝転がっているは、中庭に面した障子を開け放って、 土方に目もくれようとせず、そちら――中庭に目を向けている。 足をパタパタさせながら、肘を突いてぼんやり寝転がったままの姿勢で。

「テメ、ここが誰の部屋だかわかってんのか?」
「土方さんのだろ?」
「じゃあ断りなく勝手に入り込んでんじゃねェよ」

手にしていた厚さ1cm弱の書類を手の内で丸め、すぱん、との頭をはたく。 そうしては、ようやく土方に目をやった。

「なんだよ、ダメなのか?」

――――ここでダメだ、と突っぱねられないのが、惚れた弱みというやつだ。

「で? お前はココで何してんだよ」

文机の前に座り込んで書類を広げる。

「さくら」

ぽつりと一言だけ、の口から言葉がこぼれた。 その、彼女にしてはなかなか聞かない口調に、訝しく思った土方が目をやる。 の視線の先をたどって中庭に目をやると、 額縁に収められた絵画のような桜が、思わず声を失くしてしまうほど見事に咲き誇っている。 視界が桜色に染め上げられる。

「ここが一番、よく見えるんだ」

の静かな声音が、桜に飲み込まれていく。 一陣の風に弄ばれる桜の花びらのように、その声は景色に溶けていく。

「そうかよ」


+ + + + +    + + + + +


ふと耳に届いたカラスの鳴き声。 土方が文机から目を上げると、青かった空は茜色に染め上げられており、東の空はといえば夜の足音がすぐそこまで迫っているらしい。 ―――・・が、そんな風雅な空の色合いの移り変わりも、紅に染まってまた違う姿を見せる桜も、土方にはまるで興味がないようで。 彼の視線はある一点で縫い付けられたように動かない。


うつ伏せてスースーと小さな寝息をたてるに。


土方はそっと立ち上がり、抜き足差し足でを覗き込む。 と、そこにあるのはなんとも幸せそうな寝顔を晒す姿。

「・・・・ったく・・」

無防備な―――あまりに無防備すぎる姿はいっそ、こちらのやましい気を削ぐらしい。 無意識のうちに浮かんだ自身の微笑みに、土方自身が驚いた。

「お前はほんとに、ここが誰の部屋だかわかってんのかよ」

自分で聞き取れるか聞き取れないか・・・・それほど小さな声で、土方は呟く。 と、中庭から吹いてきた風にの髪が踊る。 春のにおいと共に流されてきたひとひらの花びらが、静かにの頭にたどり着いた。 そっと手を伸ばし、髪に触れる。花びらを取り除こうと伸ばした手だったが、艶やかな黒髪と淡い桜色の花弁は土方の目にあまりに鮮やかで、また同時に、あまりにも美しくて、壊すのが惜しくなる。土方は自身がそれまで羽織っていた上着をに被せ、最後に頬をそおっと撫でて、夕方の市中見回りへと部屋を出て行った。 の髪に宿り木を見つけた花びらをそのままにして。



―――その後、土方の部屋でスヤスヤと眠ると、彼女にかけられていた土方の上着を発見した某サド王子が、 静かに・・・極めて静かに自身のサド心に火をつけたことを知るのは、ただ桜だけ。



Web拍手用の小ネタ。一部改訂・追加のち掲載。
up date  07.04.01 ~ 07.04.31 (07.05.06)