毎朝のことながら、俺はの日に日に暴力的になっていく目覚ましによって起きる。
最初は困ったようにひたすら呼び続けるだけだったのに、布団を丸め込んで眠る俺を散々揺さぶり、布団を剥ぎ取り、耳元で大声で怒鳴るのは今となっては当たり前。
酷いとき・・・というかこれすら当たり前になってきていることが怖いのだが、顔面を踏みつけまるで地面に落ちた煙草の火を消すようにぐりぐりと押しつぶし、最終的には耳の穴に水を流し込んでくる。“寝耳に水”という言葉はあくまでも突然のことに驚く様子を表した慣用句で、まさかそれを実践されるとは思わなかった。
一日中耳の中に水が入っていて、明日になっても抜けなかったら耳鼻科に行こうと本気で考えた自分が悲しい。
そして今日。
俺は7割の確率でが起こしに来るまで眠っている。ということはつまり、残り3割の確率で既に起きていて、がやってくるのを待っているということだ。
こういう涙ぐましいまでの努力を、あの鈍感娘は知らない。・・・まァとりあえずそんな愚痴は置いておくとして、今日は残りの3割にはいる朝だった。
俺は起きていて、が来るのを布団の中で息を潜めて待っている(なんだか聞きようによっては俺はただのオオカミだが、断じて違う。
朝からコトに及ぶなんてのは両手を広げて大歓迎するが、実行に移せば俺は天国に両手を広げて大歓迎されること間違いなしだ)。
「銀さん、銀さん起きろよ! ・・ったく、着替える前にコイツ起こすべきだったな・・」
ふ、と感じたのは香のかおり。聞こえてくる声は確かになのに、匂いが一致しない。
布団の中でしばらく粘ろうと思っていたのだが、気になった俺はくぐもった声を出しながら目を開ける。
そして、飛び込んできたの格好に思わず跳ね起きた。
「な・・っ、なんつーカッコしてんだおま・・!」
「・・銀さん、お前起きてたろ?」
すぅ、と冷たさを増したの視線に構っている余裕はない。
いつもはやたら渋い色の着流しを着ているのに、今日は紺青に翡翠の縦縞が鮮やかな地に薄桜が舞う浴衣姿。
しかも普段は後ろで一つに結んでいるだけの髪も、髪留めまで使って結わえ上げてある。
女は化粧一つで別人に変わるとよく聞くが、の場合、身につけているものを同年代の女が着ているものに変えればまったくの別人になるのだから卑怯だ。
「ああ、この格好? 総悟に言われてさ」
「・・・総一郎くんがなんで出てくんだよ」
「今日は総悟の誕生日なんだって。それで」
「いや、“それで”って言われても銀さん全然わかんないからね? ちゃんと説明してくんないと俺も読者も置いてきぼりだからね?」
話を聞くに、どうやら今日7月8日は総一郎くんの誕生日ならしい。そんなS王子に江戸の中心街へ遊びに行くのを誘われ、しかも着てくるようにと渡されたのがこの浴衣で。そしてこの浴衣―――詳しい知識のない俺にですらわかるのだが、これは決して安くない。
3000円前後で手軽に浴衣を手に入れられる昨今、俺だってに浴衣の一着や二着は買い与え、俺のためだけにその姿を見せて欲しい。
が、その3000円前後が万事屋の家計には大打撃だ。には浴衣を着てみて欲しい・・・が、新八を出し抜いてこっそり抜いた3000円を懐にすると、その思いもパフェを目の前に揺らぐ。どうせは着てくれないだろう、だったらこれは実物ではなく妄想で補うとして・・・今の俺に足りない糖分を摂取するのが妥当である――とそう考えてしまう。
けれど今朝俺を起こしにきたは、与えられた安く見積もっても2万は下らないと思われる浴衣を、それはもうモデルばりに着こなしているではないか。
正直、いま俺は俺の中でのたうち回るオオカミを押さえ込むので必死なのだが、にそれを感じ取られれば閻魔様とコンニチワするのだろうから隠すのにも必死だったりする。
まったく、朝っぱらからなんて拷問だ。
「ま、そーゆーわけだから。お昼とか自分たちでなんとか ――ピーンポーン―― あ、総悟来た!」
パッと表情を明るくして、玄関に駆け出していく後姿が酷く気に食わない。淡い残り香が俺の周囲にしぶとく居座っている。
は香水をつけたりなんてしないから、きっと総一郎くんがに渡すより前に浴衣にしみこませていた香のかおりなのだろう。どこまでマセてやがるんだあのガキ
どんな本読んだんだか知らないが古典的なワザ使いやがって・・・・効果バツグンじゃねぇかコノヤロー!
「ゴメンな、総悟。わざわざ迎えに来させてさ」
「誘ったのは俺でさァ。はンなこと気にしねぇで、おとなしく待ってりゃいいんでィ」
「へへ、ありがと」
「それにしても、流石俺が見立てただけのことはありまさァ・・・よく似合ってますぜ、」
「・・そーかぁ?」
「俺の言うことに、間違いなんてあるわけねェだろィ?」
はっきり言って腹立たしい。なんだこののらくら記らしからぬ甘酸っぱい空気。
本編第9章のシリアスさと一致してねェんだよコノヤロー。
、テメェも主人公ならそういうところ気にしてだなァ・・・・・じゃない。今重要なのはそこではない!
俺はそこから迅速に動いた。一気に寝巻きを脱ぎそしていつもの着物を身につけ、帯を結びながら洗面台へ。
そして歯磨きを口に咥えたままトイレへ直行。
普段からこれだけてきぱき動ければ、歯磨きを咥えた状態で再び夢へと旅立たんとする俺に背後からハイキックをきめたりするような凶暴性をも発揮しなくて済むのだろうが・・・ええい、今はそんなことを考えている暇すら惜しい!
ガラガラと玄関の戸が閉まる音を聞きながら、とりあえず一枚だけ残っていた食パンを引っ掴んで俺はすぐさま、ヤツラの後を追って外に飛び出した。
―――今から何をするのか、だって? 下世話なこと聞いてんじゃねーよコノヤロー、尾行するに決まってんじゃねぇか!
+ + + + + + + + + +
腹立たしい。まったくもって腹立たしい。
何が哀しくて俺はと沖田のクソヤローが楽しげにウィンドウショッピングをしているのを見なければならないのか。
じゃあ尾行するのやめればいい、なんて正論は聞きたくない。
人間には理屈だけでは説明の追いつかない行動があるという証明だ。
それにしても、到底認められないことではあるがと沖田の二人連れはひどく絵になる。
お似合いと言ってるのではない。絵になると言っているのだ・・そこんとこ、勘違いしないよーに。
なにせこの銀さんが惚れたのだ、の容姿は言うまでもない。
女装した――いや、は女なんだからこの言葉の使い方はおかしいが、普段が普段であるだけにこの言葉が一番しっくりくる――は、思わず同性ですら振り返ってしまう姿だ。
他のものがまるで色褪せて見える・・・のは、俺の色眼鏡のせいか?
そのの隣を歩く沖田クン。これがまた・・・ええい奴について俺はもう何も言わん!
・・なに、実験的に第3者的視点を俺に語らせるという手法をとっているのだから、ちゃんと説明してくれないと困る?
そんなこと知りませんー、キャスティングミスですー。
とかなんとか言ってるうちに、二人がまた歩き出す。
・・・・ってちょっと待てオイ! なんであいつら手ェ繋いでんの!?
しかも、なんでお前恥ずかしがったりとかいう表情がないわけ!? アレか、お前ら手ェ繋いで移動するのとかもう当たり前☆だとでも言うつもりかオイ!
クッ・・指と指を絡める恋人つなぎをしてないのがせめてもの救いか。
いやだがしかしそれも時間の問題という気も・・・はそういうところに本当疎いから、沖田のヤローに言われればきっと何の疑問も持たずに恋人つなぎをするに違いない。
絶対阻止してやる。
これからにもそういうところ教えていかないと・・・まぁ、まずは俺がとの恋人つなぎを実現させてからの話だが。
―――っと、そろそろ昼飯時だ。俺も食パン一枚じゃ足りやしない。
さて、デートのとき女って生き物は昼飯でも夕飯でも、どこにどんな食事に連れて行ってくれるかで男をはかる習性の持ち主だが――あ、いや別に俺は、総一郎くんとの一連の行動をデートだとは思っていない。
あれだよ、アレ・・・拉致――さてあのクソガキはをどこに連れて行くのやら。
これでファミレスなんざに連れて行ったらゲラゲラ笑ってやる・・・が、そうじゃなくレストラン的な場所なんかに入られたら、俺は近くの席を確保するどころか店にすら入れないので勘弁してもらいたい。
「(・・ってオイオイ、マジかよ。マジでファミレスなわけ?)」
手を繋いだままの二人が(スゲェ納得いかねぇけど!)吸い込まれるように消えたのは、どこにでも見かけるファミレス。
これだったら別に江戸の中心街まで来ずともかぶき町にだってあるのに・・・やっぱガキはガキだな。
女ってものをわかっちゃいねぇ。だがしかし、沖田クンのその青さのおかげで助かった。
俺は何食わぬ顔で同じファミレスに入り、さっと店中に視線をめぐらして姿の見えない死角でありながら、けれど注意すれば声は聞こえる席を陣取る。
こうなったらただのストーカーのような気もしないではないが、まぁ今日は置いておく。
「・・でも、本当にファミレスなんかでよかったんですかィ? さっきいたとこなら、もっと美味いもん食えたのに」
「いーのいーの、俺そゆとこは身の置き場ないし・・・金ないもん」
「俺がおごるって言ったろィ?」
「今日が誕生日の奴にそんなおごらせてばっかり、ってわけにはいかないよ」
ああ、どうやら・・・ファミレスに決定したのはのほうらしい。まったく気の利くいい奴だ、は。
「それに・・・総悟と街を歩き回るのも楽しいけど、今日はこうして、二人でゆっくりおしゃべりすんのも悪くないかなって思ってさ」
「・・・・」
何この天然タラシー!?
ありえん・・なんでこんな殺し文句が「あ、じゃあ俺アイスコーヒーで」と同じテンションで出てくんの!?
これじゃあもう惚れろって言ってるようなもんだろが!
もうとっくの昔に沖田クンはお前に惚れてんだから、これ以上惚れさす必要ねーっつの!
それから昼飯を頼み、ヤツラは本当にファミレスの一角にどっしりと腰を落ち着け、べらべらと喋り始めた。
の殺し文句から始まったこの昼飯はとうに2時間を超過して、もうすぐ居座って3時間目に突入しようかとしている。
歳が近いこともあるだろうが、こいつら話が途切れることがない。次から次へとぽんぽん話の種が飛び出す。
一面真っ白の部屋に押し込めて監禁したとしても、こいつら二人をセットにして入れたらきっと何の苦痛にもならないに違いない。
コレ幸いとばかりに話の花を咲かせるばかりか、見張り役の人間に多大な精神的苦痛を与えるだろう―――そう、例えば今の俺のように。
ヤツラの前には先程頼んだデザートのパフェが二つ置かれている。が、俺の前には気の抜けたコーラがあるだけ。
今日一日で、このファミレスのドリンクバイキングを全て制覇するとは思わなかった。次はもうミックスでいくしかない。
「冷たくてうまーい! チョコあまー!」
「そりゃあよかった。・・あ、ここ、クリームついてますぜ?」
きょとんと目を丸くしたの口元に沖田クンの手が伸びて、化粧なんざしなくてもただそれだけでふっくらと赤い唇をなぞる。
そうして一瞬の躊躇いも迷いも見せず、あのクソガキはの唇をなぞった指を口に含みやがった。
あのガキ・・・いつか 絶 対 殺 す !
「・・・甘ェ」
「そりゃだってクリームだもん。当たり前じゃん」
ぺろ、と舌先をだしてが唇を舐める。
・・・誘ってんのかオイ! 無意識でやってるにしたって程ってもんがあんだろーが、いつか本気で襲われるぞお前!
あーでもなんか逆に可哀想だなー、沖田クン。ここで耐えきらねぇと、警戒心丸出しにされるからなァ・・・・いつかの俺みたいに。
「な、総悟のは? 美味い?」
「ああ、欲しいですかィ?」
「一口!」
オイオイオイ、ちょっと待て。ここまでのベタな展開から考えると、もしかして・・・・。
「しょーがねェな。ほら、アーンしなせェ」
「アー・・・・・・・・・あ?」
はい、銀さんの忍耐がここでぶっちぎれました。
我ながらよくガマンしたほうだと思う、よく頑張った俺! だがそのガマンもこれが限界だ。俺はすっくと立ち上がってヤツラの席にダッシュし、沖田クンの差し出したスプーンを取り上げた。
ついでにの前にあったパフェを奪い、一気に喉に流し込む。
いつぞや、テレビで「カレーは飲み物」と誰ぞが言っていたのを聞いたことがあるが、甘い甘い。パフェだってこの銀さんにかかれば飲み物だ。
「ちょ、何やってんだよ銀さん! それ俺の「ぷっはー! あー美味かった。ごっそーさん」
ぶちん、と何かが切れた音を俺は聞いた気がした。しかも2つ。
・・・・あれ、なにこの俺の前にうずまく邪悪な空気。
「・・るさねぇ、銀さん絶対許さねぇ! まだ半分も食べてなかったパフェをォオオオ!」
「折角のチャンスをよくもまぁ見事に邪魔してくれやしたねィ、旦那・・・」
「アーンなんて俺だってまだやってことねぇのに、見過ごすわけにいくかコラァアア! 言わせてもらうならなぁ、俺はまだ手も繋いだことねぇんだぞ!」
「・・・・・ハッ」
「オイ、なんだその蔑みの視線は。いくら温厚な銀さんと言えども、怒っちゃうよちょっと?」
「俺ァと風呂も一緒に「総一郎君それまだダメ! 本編第9章はまだネタにするには早すぎるから!」
結局その日、俺は終日に口を聞いてもらえなかったわけだが・・・・・あのクソガキの目論みを邪魔できたのでよしとする。
writing date 07.06.23 ~ 07.06.25 Re:up date 07.08.09
予想外の長さになってしまって一番ビックリしているのは管理人です。