眠い。ただひたすらに眠い。くあぁ、と大欠伸をかまして、目の端に浮かんだ涙を手の甲で拭いながら沖田総悟は自転車のペダルをこぎ続けた。朝のひんやりとした爽やかな空気は確かに清々しいが、眠いものは眠い。1時間目は何の授業だったかを思い出そうとして、そういえば昨日今日と時間割を見ていないことに気付く。・・・じゃあ、今カバンの中に入っている教科書は一体なんだ?
「・・・・ま、いいか」
考え込んでいたせいで緩んでいたチャリの速度を元に戻しながら、沖田はあたりを見渡した。さすがに登校時間5分前なだけある。学生服を着た人間は自分しかいない。遅刻をすれば風紀委員会顧問、通称松平のとっつぁんが竹刀を振り回して追いかけてくることは間違いない。ああ、なんて面倒くさいんだろう。あの人はどうも、学校に教師としてきているというより、風紀委員会の顧問をしに来ているといったほうが正しい気がするが、よくよく考えて見ればこの銀魂高校はそんな輩ばかりである。なによりも、沖田自身が風紀委員だ。説得力の欠如も甚だしい。
曲がり角を右に進んだとき、見慣れた後姿を見つけた。走る背中に黒髪がひるがえる。にやりと自身の口元に浮かんだ笑みを、沖田は自覚していた。ペダルをより一層強く踏み込む。
「今日こそ遅刻するんじゃありやせんかい? 」
「あ、総悟! はよー」
走りながらもはへらりと笑う。彼女にとって登校時間5分前の激走はそう珍しいことではない。その証拠におそらくここまで走り通しだっただろうに、彼女の息は切れていない。まったく化け物じみた体力だ。陸上部がを欲しがるのもうなずける。
「じゃ、俺ァ先に行かせてもらいまさァ」
片手を上げ、フッと笑顔を残してペダルを踏む足に力をこめた沖田だが、突如、荷台に重みを感じて眉を寄せる。それが一体なんであるのか、考えるまでもない。しゅっぱーつ。身の締まらない号令が朝の空に吸い込まれていく。背中合わせになるように後ろの荷台に飛び乗った彼女は、絶妙なバランス感覚をもってチャリを不安定に揺るがせたりしない。普通はこういうとき、「・・どこに掴まればいいの?」「・・こうしてろ」「でも・・・、いいの?」「しっかり掴まってろ」 なんてやり取りがあるのが王道ではないのか。
「おい総悟、なにボーっとしてんだよ。さっさとしないと遅刻すんだろー」
人選ミスは否めない。後ろの荷台に乗っている奴は紛うことなく女子高生でありながら、学ランを着るような阿呆なのだ。
「なぁ総悟、」
風を切る音に飲まれてしまいかねないような声で、が自身の名を呼ぶ。なかなかお目にかかることのないその声音に沖田はわずかに眉をひそめた。彼女はいつだってはっきりと名前を呼ぶ。彼女の口から紡がれることばは手に取れそうなほどくっきりとした輪郭を持っていて、さも当たり前のような顔で沖田の聴覚を占領する。それはほとんど暴力的に、決して双方向には行われない思考の搾取。無意識に、無自覚のまま略奪を続けるものと、認識していながらそれを甘んじて受け入れているものとでは、どちらがより下らないのだろう。沖田の思考は朝靄に溶ける。
「・・・なんで俺なんだろう」
呼びかけておきながら、どうも荷台の阿呆は返事を求めていないらしい。こてん、と人の背中に頭を預けては言葉を紡ぐ。下手をしたら今自分がそれを口に出していることすら自覚していないのかもしれない。 “心ここに在らず” ――の思考は、「いま」 沖田といる時空ではない 「どこか」 をふわふわ漂っている。まったく、胸くそ悪いことこの上ない。この阿呆はこちらの思考を支配するのに、 「今ここに」 あることを必要としないのだ。
「ボーっとしてると、振り落としやすぜ」
「・・うん? わっ、ちょっ・・いきなり立ちこぎすんなよ!」
と土方のヤローとの間に、何がしかの変化があったことは知っている。それが具体的に何なのか、沖田は知りたいとも思わないし知ろうともしないが、こういうときに限って情報は次から次へと舞い込んでくるし、何より予想を立てるのは簡単で。そしてそれと同じくらいに、がどう返答したのか想像することも容易だった。
ざまぁみろ、とは笑えない。あれは、明日の我が身とも知れないのだから。
「、1時間目の授業なんだったか覚えて・・・るわきゃねェよなァ」
「お前しつれーだぞ。1時間目は古典。宿題やったー?」
「あー・・つーか、教科書もノートも持ってねェ」
「宿題出てるの知っててやってない俺が言えることじゃないけど・・・総悟、お前それ何しに学校行くんだよ」
それを聞きたいのはこっちのほうだ。
「・・、いーこと思い付きやしたぜ」
「・・おや偶然。俺もいーこと思い付いたよ、総悟」
背中合わせの自分たちに、お互いの表情を見る術はない。しかしだからこそ沖田は、人と人とが意思疎通を行うためには “表情” が欠かすことの出来ない絶対条件ではないのだと実感する。自分が考えていることと、が考えていることは、文字通り “筒抜け” だ。
「「・・サボるか!」」
火 チャリの二人乗りは犯罪です.....3Zでいくつかお題(第2週)
3Z設定では反逆の土方編は周知の事実ではない感じだったり。
writing date 08.04.26 Re:up date 08.07.03