「んー・・、やっぱり桜は最高だよなァ」
ここは若だんなが寝起きをする長崎屋の離れ。
桜の見える戸を大きく開け放ったは、その縁側に腰掛けて足をぶらぶらと揺らしている。
真撰組屯所の庭にも見事な桜の木がその花を咲きほころばせているが、長崎屋の桜はより一層素晴らしい。
一陣の風に弄ばれる花びらはまるで降る雪のようだ。はぽかーんと口を開けたまま、風に遊ぶ桜に見入る。
「、まさか桜を見るためだけにここへ来たの?」
背中にかけられた言葉には振り返り、満面の笑みを浮かべて大きくうなずいた。
やや呆れ声の若だんなは、諦めたようにふっと息を吐き出す。
つい最近また幾分時期のずれた流行り風邪を器用に捕まえた若だんなは、
今日になってようやく布団の上に起き上がることを許されたのだが、その今日、はふらりと若だんなの離れに姿を見せたのだった。
「だって見ろよ、この桜。すげーじゃん」
「まぁね」
そのうち、天井の隅からころころと幾人かの鳴家が転がり下りてきて、縁側にすわるの周りに群がる。
床に臥せっている若だんなに構ってもらえず暇を持て余しているのか、の膝によじよじとのぼり、一緒になって桜を眺めている。
その頭をに撫でてもらって、鳴家は気持ちよさそうに目を細めた。
「そういえば若だんな、また寝込んでたらしいじゃん」
「・・・・だれに聞いたんだい?」
心なしか声を低くした若だんな。彼に視線でせがまれるままに指で情報源を示すと、膝の上からころりと鳴家が転がる。
「・・・屏風のぞきや。私はに言わないように頼まなかったかい?」
「そんなことあたしに言われたって困るよ。が聞いてきたんだからさ」
じとぉ、とした目が今度はに向けられる。
「俺は栄吉に聞いたの。本当かどうかを屏風のぞきに尋ねたんだ。だって若だんな、この前も寝込んでたじゃん。ペース早いからほんとかなぁって」
これが本当のことであるのだから情けない。若だんなは、朝・昼・晩それぞれに別の病で寝込めるのだ。
はぁ・・・、とそれはそれは深いため息を吐き出した若だんなに、と屏風のぞきの二人はヒソヒソと額をくっつける。
「どうすんのさ、。若だんな拗ねちゃったじゃないか」
「えー、俺のせいにすんのー? 酷いや、屏風のぞき。責任転嫁?」
「あんた何さり気なくあたしのせいにしようとしてんのさっ!」
けほ、と小さな咳が聞こえてと屏風のぞきはハッと顔色を変える。
もし今ここで若だんなの熱が再発したりしたら、黒蜜をたっぷりかけたあんみつ・・・いや、黒蜜に浸かったあんみつよりも甘甘の手代たちにつるし上げられてしまう。
「若だんな大丈夫!? 具合悪いのか?」
はすぐさま若だんなに駆け寄り、俯くその顔を覗き込む。
なおも咳き込む小さな背中をさすってやると、ようやく落ち着いたらしい若だんなは顔を上げた。
「大丈夫だよ、。心配かけてすまないね」
「いいっていいって! 今更なに言ってんのさ、若だんな。いつものことだろ?」
は時に、言葉という刃物でぐさりと胸を抉ることがあるから要注意だ。
しかもそれが意図して言ったことではないのだから余計タチが悪い。
屏風のぞきはその袖で、己の目に浮かんだ涙を拭った。
「心配するのはさ、その人のことが大切だから。・・だから、若だんなが気にすることなんかないんだって」
こういう台詞をは、他に何の意図もなくさらりと言ってのけるのだからタチが悪い。
かちりと時を止めた若だんなに気が付いているのかいないのか、は平然としている。
屏風のぞきは笑いを堪えるので必死だ。
「若だんなはいつもみたく心配されてればいいんだって・・・・ってオイ大丈夫か? 顔赤いぞ?」
「なッ、なんでもないよっ!」
「・・熱でもあんじゃねーの?」
「ね、熱なんか・・・ッ」
ひゅ、と若だんなは空気の塊を飲み込んだ。
の右の手が若だんなの頬に触れている。左の手は肩に置かれ、若だんなは身動きがとれない。
その若だんなの額にコツンと固いものがぶつかって、反射的に目を瞑り―――・・そろそろと目を開ければ、全部が見きれないないほど近くにあるの顔。
「(な・・ッ)」
「はーい、もう結構ですよー、さーん」
不意に聞こえた仁吉の声に若だんなが我にかえるよりはやく。の体は宙に浮く。
「わわっ、何すんだ佐助! ・・・・く・・苦しい、襟が詰まってぐるじい・・・っ!!」
佐助は猫の子のように、の首根っこを掴まれてぽいと投げ捨てた。
「あだッ」という声を小さく漏らし、は畳の上をごろごろと転がる。
「若だんな、何か変なことされてませんか? 大丈夫ですか? 顔が赤い・・やっぱり何かされたんですね!?」
「やっぱりって何だ、やっぱりって」
「」
ぼそりと呟いたに降ってきた言葉は佐助のものだ。
基本的に二人の手代はに対して厳しいが、佐助は仁吉に比べればそうでもない。・・・あくまでも、比べればの話だが。
「若だんなにあんまりああいうこと、するんじゃないよ。見てみろ、顔真っ赤だろう?」
「・・・・やっぱ熱あんのかな」
「・・・・・・」
佐助の哀れみを幾分か含んだ目に晒されて、さしものも居心地悪そうに顔を歪める。
「な、なんだよ。俺が若だんなの心配するのが余計だとでも言うのかよ」
―――・・・流石に、片手で顔を覆い隠してはぁ、とわかりやすいため息を吐きながら
小さく頭を振られれば、だってその態度に引っ掛かりを覚えようというものだ。
「意味わっかんねー! 言いたいことがあるならちゃんと言えよッ」
「佐助、に何か期待しても無駄だよ。この娘っこ、中身の成長は十で止まってるんだ」
「・・・・・仁吉ってさ、俺のこと嫌いだよな?」
「ハッ、何をいまさら」
鼻で笑われて、は拳を握る。
彼女の殺気を察知したのか、仁吉は「なんだい、やるのかい?」とこちらも臨戦態勢だ。
「もう、二人ともやめておくれ。折角のお茶が冷めてしまうよ?」
こうなった二人を止められるのは若だんな以外にはありえない。
佐助とはそんなでもないくせに、と仁吉は相性が悪いらしい。屏風のぞきと仁吉の相性の悪さと匹敵するくらいだ。
力の差が屏風のぞきと仁吉ほどはっきりしていないせいか、と仁吉の二人は見かねた若だんなが止めに入るまで、
延々と口論というか、口げんかというか、厭味の応酬というか、
皮肉の雪合戦(お互いが皮肉という名の雪だまを投げつけあっている様)を続けるのだから、より手に負えない。
若だんなが何においても一番で、追随するものの存在など許さない仁吉は、若だんなが言えばしぶしぶ(しぶしぶ)矛先を収める。
も若だんなに言われれば、唇を尖らせながらも言葉を飲み込む。
この離れにおいてカースト制の一番トップに立っているのは間違いなく若だんなだ。
「ほら、桜餅だよ。好きだろう?」
「・・うんっ!」
不満タラタラの顔も、これですぐに笑顔に変わる。
「ありがとう!」と言うの笑顔は、今の今まで仁吉と厭味合戦を繰り広げていたのと同じ人物とは思いにくいほどで。
「若だんな、あんまりやると付け上がりますよ、この娘っこ」
「仁吉、もうやめないか」
が離れに訪れるたびに菓子を出してやる若だんなに、仁吉は苦い思いをしないでもない。
が、そのたびにが惜しげもなく見せる笑顔に、若だんなが惹かれているのもわかっている。
「(・・・だから気に食わないだけなのかもしれないね)」
桜餅についている桜の葉の塩漬けはいつ食べるのが正解か―――そんな話題で盛り上がっている離れを、桜は優しく見守り続ける。
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up date 07.04.01 ~ 07.04.31 (07.05.06)