仁吉はこの日、頼まれたお使いを終わらせて長崎屋への帰路を歩いていた。今日は若だんなの具合も良好で、薬種問屋のほうにも顔を出しているし佐助もいる。人は大方足りているから、仁吉はそんなに帰ることを急いではいなかった。
帰りに三春屋か、もしくは若だんながひとりでは買いに行くことを許されない(というか、仁吉自身が許さない)
遠くの和菓子屋にでも寄り道しようかと、ぼんやり考えながら歩く。
今日はまったく恨めしいくらいいい天気だ。
駆け抜けていく爽やかな風が新緑の香りを運んできて、こんな日に仕事をしている自分がバカらしくなる。
若だんなの身体の具合さえよければ、明日にでも散歩に出てみるのもたまにはいいかもしれない
―――仁吉が自分からそんなことを考えるほど、今日はいい天気だ。
「あ、もしかして仁吉だろっ?」
背後からブン投げられた声に振り返れば、そこにいたのはもはや長崎屋の離れに顔を出す常連へと昇格した。
右手に団子の串を持ち、左手に包みを抱えて、まるで食欲の化身である。
「・・行儀が悪いんじゃないかい、」
「えー、だって俺これさっき貰ったもんなんだもん」
よくよく話を聞いてみれば、左手に抱えた包みの中身はが買ったものではないらしい。
いつも通り、若だんなの住まう離れへと向かっていたは、通りすがりの人間にその包みを丸ごと貰ったというのだ。
「何を貰ったんだ・・・って、これ全部かぃ? こんなに?」
「うん」
包みを受け取り、中を覗いた仁吉はその量の多さに目を丸くした。
団子だけでなく、練りきりから羊羹から饅頭から・・・とても一人では食べきれない量の菓子が所狭しと収められている。
「こんなにたくさん・・誰を脅したんだい?」
「どうして脅したことが前提になってんの?」
包みの中に手を突っ込んで、"んー・・次はコレ!"と取り出した柏餅にがかぶりつく。
口の中に広がる自然な甘さに顔をほころばせて。
「知らない人に貰った」
「・・・は?」
「俺は全然知らないんだけどさぁ、なんか向こうは俺のこと知ってるらしくて。受け取ってくれっていうから、遠慮するのもアレかなー・・・っていってぇ! なんで殴るんだよ!!」
突然、後ろ頭をはたかれたは、喉につかえた柏餅をゲホゲホさせながら仁吉を睨む。
視線の先でしかし仁吉はどこ吹く風とばかりにの怒りに知らん振りを決め込んだ。
代わりに思い切り顔を顰め、ご丁寧にため息までつけて。
「知らない人に貰ったものを食べちゃいけないって、習わなかったのかい?」
「・・"万事屋 銀ちゃん"じゃあ早いモン勝ちが最優先ルールだもん」
「だからってねぇ・・知らない人に貰ったものを、そんな簡単に口にするもんじゃあないよ。変なもんでも入ってたらどうするのさ」
「大丈夫。俺、賞味期限が1週間過ぎた卵で卵かけご飯食べてもあたらなかったから」
「そこは人として腹を下すべきだったね」
くんくん、と臭いを嗅ぎながら仁吉はまたため息を重ねる。
今度は少しだけ、優しさを混ぜて。
「・・まァ大丈夫だとは思うけど、一応佐助に臭いだけでも嗅いでもらうといいよ。犬神なだけあってそういうのには敏感だからね」
「ほーい、わかりひゃひたー」
「臭いをかいでもらってから食べろって言ったのがわかんなかったのかい、このバカ娘!」
最後ひと口の柏餅を食べきったが、呆れ顔の仁吉を見上げる。仁吉はもう一人の手代、佐助よりも自分に対して厳しい。
けれど若だんなには口が裂けても言わないだろう、バカとかアホとか大食らいだとか暇人だとか・・散々なことを言うくせに、やっぱり最後の最後で二人とも優しい。どれだけ突き放して蹴飛ばして放り投げても、最後にはちゃんと拾い上げに来てくれるから、
嫌がられてるのかなという不安を抱えずに離れに通うことが出来る。
ちゃんと言葉を交わしたことなどないけれど、きっと心配性の手代たちからに託された役割は、
床に臥せることの多い若だんなにいろんな話をして聞かせてやることなのだろう。
何事においても若だんなが一番で、二番などというものは存在しない彼らに使われるのも悪くない、とは思う。だから週に少なくとも1,2回は離れに通い詰める。
若だんなと話をするために。
「・・なぁ仁吉ー」
「なんだい? 腹の具合がおかしいなら、早めに言うんだよ」
「違う! 柏餅ってさ、なんで柏でくるんであんの? 桜餅みたいに食べられるのですりゃいいのにさ」
「・・食べることばっかりだね、お前さんは」
仁吉の呆れ顔にはもう慣れっこだ。
「柏って木は、なかなか葉を落とさないのさ。それで子孫繁栄って願いをこめて柏の葉でくるむんだよ」
「へぇ・・仁吉って物知りなのな」
「お前さんたち人間とは、生きてる時間が違うんだよ」
若だんなの離れにはあまりにも頻繁に妖たちが訪れ、それがもう普通。
も最近では妖という存在に慣れてきて、隣にいるのが当たり前という生活に馴染んでいた。
だからだろうか、仁吉や佐助が妖であるという事実をすっぽり忘れてしまうことが多い。
そしてそのことを思い出すたびに、自分がこの世界の人間ではないことも思い出すのだ。
「・・その大量の菓子は、一体どんな奴に貰ったんだい? まったく、蓼食う虫も好き好きとはよく言ったもんだよ」
「人のことをゲテモノ呼ばわりするのやめてもらえる?」
「女の子に貰ったんだ」
「・・・女?」
「そ、女」
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長崎屋への道をのほほんと歩いていたは、突然女の子に呼び止められて。
16,7歳くらいのその女の子抱えていた包みをにぐいと突き出し、散々躊躇ったあげくにこう言った。
「好きです! 受け取ってください・・!」
――――これにはさしものもビックリした。
若だんなの件もあるし、自分が男に間違えられることにそれほどの違和感を感じることはないが、
それにしたっていきなり発展しすぎだ。
「あ、あの・・・俺、こんな格好してるけど・・女、で・・・・」
なぜかかえってがしどろもどろになってしまう。
告白を拒否された理由が性別の間違いだなんて、きっと女の子はショックを受けるだろう・・・・・・・・と思っていたの認識は甘かった。
「知ってます!」
の思考は完全にフリーズした。
"知 っ て ま す" と は ど う い う こ と だ ?
「さんが女の子だって知ってます! けど・・好きなんです!」
"好きなんです!"と言われたからといって、いったい俺にどうしろと? え、それはつまり俺に彼氏になってほしいと、そういうことか!? 一応2つの話で主人公張ってるんだけど・・男役に転向しろと?
「あの、気持ちだけでも受け取ってください!」
そうして押し付けられた包みを反射的に受け取ると、女の子はまるで風のようにの前から姿を消した―――・・・。
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「・・ってことでコレ貰ったんだけど、仁吉笑いすぎだからなこの野郎!」
世にも珍しいことに仁吉が腹を抱えて笑っている。
ヒィヒィ言いながら笑い、顔を上げた仁吉の目には涙さえ浮かんでいるようで・・・は思い切り睨みつける。
「お、お前・・っ、あたしを笑い殺す気かい!?」
「んなわけないだろ、コンチクショー!」
笑われるかもしれない、とは思っていたがやはり笑われた。
しかも大爆笑だ。やっぱり言うんじゃなかったと後悔しても、もう遅い。
まぁ今ここで仁吉に言わなくても、離れについたらきっとこの話をしただろうから
遅かれ早かれ知られることになったと思うけれど・・・ここまで爆笑されると流石にムカッとくる。
「ああ可笑しい。流石だね」
「流石ってなんだよ。一体どういう人間なんだよ、俺は」
「折角だから三春屋にでも寄って柏餅でも買おうかと思ってたけど・・それで十分足りそうだね。
どうせ離れに行くところだったんだろう?」
否定できないのが悔しい。
「じゃあ早いとこ行こうか。若だんなが待ってるよ」
「・・・へーい」
吹き抜けた風は新緑の香りを運び、日に日に眩しさを増す太陽が道を照らす。
そんな爽やかな皐月の日を、と仁吉は連れ立って長崎屋へと歩いていった。
5月Web拍手用の小ネタ。
writing date 07.04.26 Re:up date 07.06.03