長崎屋の風雅な離れの一角に、それはそれは大きな笹が一本立てかけられている。
万事屋にも神楽が銀時に頼み込んで(力で脅して)笹を一本手に入れてきたが、それとは比べ物にならないくらい立派な笹である。
はそれを見上げ、ほーっと感嘆の吐息をついた。
「すごいなー、これ佐助が持ってきたの?」
「ま、このくらい朝飯前ってところだね」
そういいながらも佐助はどこか自慢げだ。どちらかというと強面の佐助の表情が緩んでいるのに気が付いて、若だんなはくすくすと笑う。
「織姫と彦星って天の川を挟んで離れ離れで、今日の夜だけ会えるんだよな?」
「一年にたった一回の逢瀬だというものね」
「じゃあさ、その今日雨降ったら、川の水が増えて会えなくなるんじゃねぇの?」
突然のの言葉に、若だんなと佐助は目を丸くした。
なるほど、確かにそうかもしれないと考え込んでしまった若だんなと、思い切りわかりやすく目を逸らした佐助。
「さァ私には仕事があるから・・」などと口に出して立ち上がろうとする佐助の袖を掴み、は彼を見上げる。
「なァ佐助、雨が降ったら織姫と彦星は会えねぇの?」
「・・・・さ、さぁどうなんだろうね」
「一年もずーっと待ってたのに、雨が降ったらそれだけで会えなくなるの?」
「・・・・・」
「なぁ佐助、どうなんだよ?」
ぐ、と黙り込んでしまった佐助にとって、救いとなったのは仁吉の登場。
がらりと開いた襖からもはや見慣れた呆れ顔をうかべた仁吉が、手にしたお盆と色とりどりの器を前にの名を呼ぶ。
「お前さん、ところてんは黒蜜と酢醤油どちらがお好みかい?」
「ところてん!? 俺、酢醤油がいい!」
「ほら、だったらさっさと取りな。若だんなに黒蜜のを渡してもらえるかい」
基本的に仁吉に言われたことと反対のことをしたがるだが、目の前に餌がぶら下がっているのなら話は別だ。
弾かれるように立ち上がり、涼やかな器を目にして瞳を輝かせたはサッと全ての器に目を通して、その中から一番目と二番目に量の多いものを選び取る。
「・・・まったく、量はどれもおんなじだよ」
「あ、ばれてた」
にしし、とは照れ隠しに笑い、黒蜜のかかったものを若だんなに手渡した。そして隣に座り、早速ところてんを口に含む。
ひんやりと、つるつるっという食感を満喫しながらは顔を綻ばせる。
隣でゆっくりとところてんを食べる若だんなに「な、一口ちょーだい?」と持ちかけ、「行儀が悪い」と仁吉に一喝されてしまったが、はめげない。
の瞳に黒蜜のかかったところてんへの執着が薄れていないことを見て取った仁吉は、ため息混じりに話題を投げ込んだ。
「それで、一体さっきは何の話をしていたんだい?」
それに表情をゆがめたのは佐助で、思い出したように佐助を振り返るのは。
視線の先でわざとらしくところてんを啜り、目を合わせようとしない佐助にはむ、と唇を尖らせる。
「織姫と彦星は、雨が降ったら会えないんじゃないかと思うんだけど・・・・」
「ああ、天の川が増水することを気にしてるのかい」
「そうそう。でも一年に一回なのに、雨が降ったら会えないのか?」
まだところてんが残っている器を手に、は眉を八の字に下げる。
ふと隣を見遣れば、我らが若だんなも似たような表情を浮かべていて、仁吉は思わず笑ってしまった。
「雨が降って水かさが増してしまったときには、無数のカササギがやってきてその体で橋渡しをしてくれると聞いたことがあるよ」
「・・じゃあ、織姫と彦星は会えるんだね?」
ほっと息をついた若だんな。はへぇと小さく言葉を零し、こう続けた。
「織姫と彦星は、カササギを踏みつけ、それを乗り越えて会いに行くんだ」
「・・、間違ってないけどもうちょっと言い方ってもんを考えな」
「犠牲の上に成り立つ逢瀬なんだな」
「・・・しまいにゃ怒るよ、」
へへ、冗談冗談! と笑ったは、残り一口のところてんを口にする。
つるんという食感を十分に楽しむより先にそれはのどへと流れていってしまう。どことなくもったいない気がした。
「やっぱり仁吉は物知りだな。筋肉バカの佐助とは大違いー!」
「・・・表に出な、」
「佐助、牙が出てるよ」
若だんなの言葉に、佐助はにゅっと生えた牙を引っ込めてを睨む。
当のはどこ吹く風と文机の上に並べられた短冊を手に取った。
色鮮やかな上質の紙――折り紙の裏に願い事を書いていた神楽に知られたら、は関節技の一つでも決められるかもしれない。
「若だんな、願い事書いた?」
「いいや、まだこれから。もお書きよ」
「じゃあお言葉に甘えて」
筆を手に取り、短冊を前にして「うーん・・」と唸るを見ながら、若だんなは口元を和らげる。
彼の願い事はもう既に決まっている。
仁吉がいて佐助がいて、屏風のぞきがいて鳴家がいて・・・・・そしてがいる。
このどんなにお金を積んでも得られない、若だんなにとっての贅の限りを尽くした空間がこれからも在り続けること。
永遠を願うわけではない、けれど出来るだけ、たとえ一刻でも長い時を。
「んー・・よし、決めた!」
パッと表情を綻ばせたは手の内で筆をくるりと弄ぶと、それを紙に走らせた。
はじめは何を星に願うのか聞くまいと思っていた若だんなだが、どうしても心くすぐられる。
だめだと断られたらその時にはすぐに身を引こうと心に決めた。
「それで、はなんて書いたんだい?」
「ん? んー・・・『若だんなの体が、丈夫になりますように』って」
若だんなだけではない、仁吉も佐助も、のその言葉には目を丸くした。
「にしては随分殊勝じゃないか。一体どういうわけだい?」
「・・仁吉、“にしては”って一言は別につけなくてもいいんじゃない?」
「今夜は雨どころじゃない、槍でも降るかもしれないね」
・・・・・・・・。
「どーせ若だんな、自分の願い事に体のことは書いてないんだろ?」
「え・・・あ、わかるのかい?」
咎めるようなの視線に、若だんなはぽりぽりと頬を掻きながら苦笑した。
まったくのいうその通りなのだから返す言葉がない。
「じゃあ俺が代わりに若だんなの願い事を。・・・きっと、若だんなの願い事は俺の願い事でもあるからさ」
ま、予想でしかないんだけど・・・、あっけらかんと笑うは、若だんながその一言にどれだけ救われたかを知らない。
は無自覚な言動で人を救い―――知らず知らず、人を惹き付ける。
そうして一度惹き付けられた者は、離れることを忘れてしまうのだ。
長崎屋の離れにその存在を誇示するように立てられた大きな笹は、若だんなとの願いを天へと導く。
そのお互いがお互いのために祈った願いが叶うのか否かは、今ひとたびの逢瀬を楽しむ織姫と彦星のみぞ知る―――。
writing date 07.06.28 Re:up date 07.08.09