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Baccano!

1931: The elixier of life



「いやー、が俺の幹部昇進の祝宴のときに空から降って来たときにゃ驚いたよなァ」

フィーロ・プロシェンツォは耳元を掠めていったナイフの刃を事もなげに避けながら、口元に笑みをのぞかせた。間髪いれずに放られた数本のナイフをもっとも無駄のない動きでかわし、かわされたことにどうやらムッとしているらしい相手との距離を一気に詰める。その勢いを利用しながら、頚動脈を狙ってナイフを繰り出した。露骨に表情をゆがめた相手は舌打ちを隠そうとせず、強く地を蹴って飛びずさる。

「まったくフィーロの言うとおりですよ、後にも先にも空から降って来たひとを見たことありませんし」

それまで我関せずの姿勢で本を広げていたラック・ガンドールは、距離をとった状態でにらみ合う二人を目の前に狐目を細めた。・・と、それまでむっつり黙り込んでいたが片手を振り上げたかと思えば、ラックが広げていた本の背表紙に小ぶりのスローイングナイフが突き刺さっている。ぱちぱちとまばたきを繰り返したラックが困ったように笑うのに対し、相対しているフィーロは呆れたといわんばかりに眉根を寄せる。

「あのな、ラックはあれでもガンドール・ファミリーのボスだぜ? わかってんのか?」
「・・・あれでもってなんですか、あれでもって」

顔をしかめたラックを無視して、彼女は女の手には不釣合いなおおぶりのナイフを抜いた。ビルの隙間から差し込んでくる薄暗い光を反射して、銀色の刃がゆらゆら揺れる。手入れの行き届いた鋭い輝きを前に、あれを突き立てられたらさぞかし痛いだろうなとどこか他人事のように嘆息したフィーロは、張り詰めた空気に不相応ともいえるラックの言葉に応じつつ自身もナイフを持ちなおした。は右手にナイフを構えながら、ラックと掛け合いを続けるフィーロに向かって地面を蹴る。弱小組織とはいえフィーロはあたりの縄張りを統括するマルティージョ・ファミリーの最年少幹部だ、その行動を予測していたように鋭い視線がを射抜き、同時に突き出されたナイフが閃く。が、はそれを高くジャンプすることでかわした。特筆して背が高いわけではないフィーロの頭上で猫のように体をしならせ宙返りし、呆気に取られているフィーロが視界に入った瞬間、空いている方の手で一度に複数のナイフを投げつける。下手な鉄砲、数打ちゃあたる の原理だ、もちろんこれで勝負が決まるとは思ってはいない。着地したときには右手のナイフを逆手に持ち直して体勢を整えている。

「・・言わせてもらいますけどねお二人さん」

フィーロの目の下、ちょうど頬骨の辺りがぱっくりと裂け、そこから鮮血が流れているが、はそれをいっそ忌々しそうに見遣った。

「こっちだって後にも先にも、不老不死の人間なんて見たことありませんでしたから」

叩き落とされたナイフのうちの一本、先端を汚した赤い液体がふるふると振動し、蠢いたかと思えばいくつかの赤い雫となって宙を飛ぶ。見えない糸に、磁力に引き寄せられるように一点を目指して収束する。頬を伝ってあごの先から滴っていた赤も十秒経たないうちに止まり、地球の重力を完全に無視して傷口へと戻っていく。そして今できたばかりの傷は見る見るうちにふさがり、がつまらなそうにため息をつく間に跡形もなく消えてしまった。フィーロの頬を裂き、わずかな赤に汚れたはずのナイフは、彼女の手の中から放たれる前の、一点の濁りもない白銀へと時を遡る。ブーツで蹴り上げ、白い光を反射させながら宙をくるくる舞うナイフを一瞬の躊躇いもなく左手につかみなしたフィーロはにやりと笑うと、その腕を大きく振った。

「おら、返すぜ」

耳元で銀色の風がうなり声を上げた。ヒュッ、という空気の裂ける音が耳元をかすめ、それとほとんど同時に自身の背後でカツンと何かが突き刺さったような音が聞こえる。フィーロが投げはなったナイフが、壁際に積まれていた木箱に柄までさっくり刺し込まれているだろう光景を思いえがき、はもう一度ため息を重ねた。刃が毀れてなければいいが――・・と、じわりと己の頬から染み出す生温かさを感じて彼女は頬に指を這わせる。指先に感じる、作為的な一直線のすじ。つぅ、とゆっくりなぞるようにして傷を辿れば、奔った鈍い痛みに表情を歪ませる。鉄臭い赤に汚れた指先、それを目の前にかざし、は舌先でちろりと舐めた。

「ったく、よく言うよな。も 同じ穴のムナジ だろ」
「・・“ムジナ” な。矢車さんに聞いたんだろうけど、中途半端に覚えんなよ」

うぞうぞと蠢く血液はさながら蟻の群体、ひとつの意思を共有するかのように毒々しい赤がふっくらした頬を這い上がり、指先から傷口へと吸い込まれるように戻っていく。まるでそれは映画のフィルムを逆再生しているような、ひどく現実味を欠いた光景だった。「不老不死の酒」 を口にした 「不死者」 ――フィーロやのみならず、変わらぬ姿勢で本を広げるラック、他にもフィーロが属するマルティージョやラックと共にガンドールを仕切る二人の兄たちはとある事件に遭遇し、そこで 「不老不死の酒」 を口にした結果 「不死者」 となった。200年前、錬金術師たちが召喚した悪魔から得たものではない、別のルートで生み出されたその酒はしかし本物の完成品である。不死者同士である場合、右手を相手の頭に乗せてただ 「喰いたい」 と思うだけで、これまで相手が積み重ねてきた経験や知識のすべてを搾取することのできる 「不死者の死」 ――悪魔が提示した制約は、フィーロたちにも有効だ。完全に再生の終わった傷を満足気にひと撫でしたは、何かを思い出したようにぽん、とひとつ手を打った。

「ラック、いま何時?」
「もうすぐ3時になりますが・・、」
「やっば、遊びすぎた! ごめんけどフィーロ、俺バイトだからまた今度ってことで!」
「あッ、おい!」

言うが早いか、旋風のように路地裏から走り去っていく彼女の背中を半ば呆然と見送り、残された二人は顔を見合わせてほとんど同時にため息をついた。せめて自分の得物ぐらい拾っていけよ・・、と呟くフィーロの目の前には鋭い銀の光が散乱している。

―――・・まったく、物騒な世の中になりましたねぇ」

ラックの呟きは、路地裏を吹きぬけた湿っぽく生臭い風にまかれて消えた。



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026:The elixier of life (不老不死の霊薬) ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(外国語編)
writing date  08.10.05    up date  08.10.13
ブログで中途半端に書いちゃったバッカーノを水増しした後、再録。アクティブを目指して撃沈。