Baccano!
1931: One way only
「さんはあ、切ったらものすごーくきれいな赤色をしてそうですよねー」
「・・・・・・いやぁチック、それはどーだろうねぇ」
用事を終え、自分たちの事務所に戻ってきたラック・ガンドールは、扉一枚隔てた向こう側から聞こえてくる妙に間延びした、けれどひどく物騒な会話を耳にして眉根を寄せた。ひとつは彼がボスの一人を務める弱小組織、ガンドール・ファミリーお抱えの拷問魔の声、そしてもうひとつは彼らの組織とはほとんど何も関係のない人間のそれである。シャキン、シャキンとリズムよく奏でられる金属同士がすれる音は、チックが組織と敵対する人間の肉を切り裂き絶望的なまでの苦痛を与えぐちゃぐちゃに抉り返して情報を引き出すために用いる鋏の立てる音。それを十分理解していながら声音一つ変えない彼女の態度はたいしたものだと思いつつ、けれどどこか面白くない。ラックは大きなため息をひとつ吐き出し、要らぬ感情を振り切るように扉を押し開けた。
「なんの話をしているんです、あなたたちは」
部下たちが口々に発する挨拶に、ラックは片手を上げることだけで応じる。そんな中、あーラックさんおかえりなさいー、と独特なテンポのまま応じたチックは糸目をさらに細めてへにゃりと笑った。彼の手には当たり前のように鋏が握られており、切るものなど何もないのに延々と開け閉めを繰り返している。鋭く研がれた鋏の刃は薄暗い部屋の明かりを反射してスラリとかがやき、ラックの狐目を射抜いた。ほとんど体の一部と化している鋏を両手でくるくる弄びながら、チックはどこまでも無邪気な声で楽しそうに笑う。雄叫びにも似た悲鳴など、痛みによる絶叫などまるで聞こえないように、皮膚を切り肉を裂き、鈍く輝く銀色を鮮烈な赤とぬちゃりとした脂で汚しながら浮かべる笑みとおんなじ顔で。
「ボスー、ちょっとこの変態止めてくださいよぉ」
「・・・にボスと呼ばれる筋合いはありませんがねぇ」
肩をすくめ、呆れたように言葉を紡ぐラックに、はなんでもないことのように片手を上げ、くちびるの端をにやりと吊り上げる。そんな不遜極まりない
――少なくとも、幹部でもなければましてや構成員でもない 一般人 が、組を取り仕切るガンドール三兄弟の末弟に対してとるべき態度ではない
――彼女の態度に、いい加減腹に据えかねたらしい若い構成員が声を荒げた。 ・・・・・・・と、事務所全体が一瞬の沈黙に包まれる。彼らのアジトはジャズホールの地下に設けられているのだが、そこから漏れ聞こえてくるジャズの音楽だけが瞬間、場を支配した。そして滲み出す忍び笑い、周囲にいた古参の構成員たちだけに留まらず、普段微笑みを浮かべていても目の奥に冷徹さが光っているラックでさえ、今はさも可笑しそうにくつくつと肩を震わせている。
「ああ、そうか。あなたはまだ入ったばかりで、を知らないんですね」
「な・・っ、何の話してるんですか、ラックさん!」
「まぁそのうち、嫌でもわかると思いますけど・・「じゃあ、自己紹介!」
―――・・え?
まばたきをする前と後、それまであったものが忽然と姿を消す、その一瞬の変化に若い彼の反射神経はついていけなかった。気がついたのは自分の背後でやたら楽しげな声が聞こえてきたときで、ようやく彼はラックの隣でへらへら笑っていた女(上の人間が名前を呼ぶのを聞いて、女だと気付いた)がいなくなっていたことを知る。そして背後から聞こえてきた声が、今この場にたったひとりしかいない女のそれであることに気がついたときには、彼は薄汚れた床板に押し伏せられていた。
「な・・・っ!?」
いきなり背中に圧し掛かってきた重さに肺の空気が押し出され、あっという間に両手を捻りあげられる。ギチ、と関節の軋む嫌な音が体の奥から聞こえ、思わず苦悶の呻きが漏れた・・・が、それすら喉元に押し付けられた冷たい何かに封じられる。氷のように冷え冷えとして、人間の体温を完全に拒絶する鋼のするどさ。息を呑んだときに肌がこすれ、そこから赤くて温かい雫がじわりと染み出すのを感じて彼は絶体絶命の文字を脳裏に浮かべた。
「・・・・・もうその辺でいいでしょう、」
「ふむ・・・・まあいいとしましょ、ラックがそう言うんなら」
自分の背中に圧し掛かっている存在がにやりと口元を歪めたのを、若い彼は顔を見ることは叶わないながらも正確に読み取った。床にへばりついている顔の目の前を決して安物ではないブーツが闊歩していく。
「うわあ、さんすごーい。強いねー」
「やだなぁチック、・・・・褒めても切らせないかんね」
「ええー、けちー」
「・・そういえば、ロニーさんがあなたを探していましたが・・・・、」
それまで拷問魔に鋏を向けられても若い組員を完璧に圧倒しても顔色一つ変えなかったはしかし、ラックのその言葉に表情を一変させた。心底驚いたようにぱちぱちとまばたきを繰り返し、じわじわと顔に喜色を浮かべながらナイフについたわずかな血を手早く拭きとって懐にしまう。
「・・・・・・・・・・まじ?」
「まじです。嘘をつく意味がありませんから」
「うわあ、ロニーさん帰ってきたんだ!ごめん、どうしても外せない急用できたから帰る!ちなみにしばらく放っておいてくれると助かる」
「・・・・・・はいはい、わかりましたからさっさとお行きなさい」
ラックがそういい終わる前に出入り口へ向かっては駆け出す。扉の前でちらと振り返って片手を挙げると 「じゃ!」 と一言だけ言い放ち、勢いよく扉を開けた。と、そこにぬっと巨体を現したのはラックの兄でガンドール三兄弟の次男、ベルガである。彼一人で出入り口を埋め尽くすその巨体には顔面からぶつかって弾き返され、「・・・なんだぁ?」 とワンテンポ遅れて反応したベルガに構うことなく脇をすり抜けて外へと駆け出していく。予想していなかった痛みに涙ぐみ、鼻を手で押さえて走り去る彼女をベルガは呆然と見送った。
「おかえり、ベル兄」
「おお・・ラック、今のは・・・・・つーか何だぁ?この状況は」
ベルガは床に這いつくばっている新入りを見下ろし、そして今転がるように駆け出していった女を思い返して苦虫を噛み潰したような渋面を広げた。
「ったく、あのバカ女。また勝手に暴れていきやがって・・・・で、そのバカはどこに行きやがったんだ?」
「・・・・・・・・ロニーさんのところ」
無感情な声で呟くようにそういった弟をベルガは何か物言いたそうに見遣り、けれどそれをすべてため息で押し流す。ラックといいフィーロといい、自分の弟分たちはどうしてこうも奥手というか積極性に欠けるというか、当たって砕ける心意気を持ち合わせていないというか、いや、仮にも片方はガンドール・ファミリーのボスの一人であり(しかもベルガの実弟だ)もう片方はマルティージョ・ファミリーの若き幹部である彼らがそれぞれの相手にぶつかって玉砕するとも思っていないがそれにしたってどうしてこう・・・、ベルガはその大きな体に似合わない憂いを帯びたため息をついた。前途はまったく多難である。
novel / next
041:One way only (一方通行) ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(外国語編)
writing date 08.10.05 up date 08.10.13
ブログから手直しして再録。冷徹になりきれないラックが好きです。