Baccano!
1931: Sing the joys of life
マルティージョ・ファミリー
――ラックたちガンドール三兄弟がボスとして君臨しているガンドール・ファミリーと同程度のごくごく小さな犯罪組織である。マフィアとは一線を画する 「カモッラ」 であると彼らは公言して憚らず、実際 「マフィア」 とは組織構成や稼業内容に差異があるのだが、堅気の人間からしてみればそんなものはほとんど関係ない。ガンドールが小さなジャズホールの地下にその本拠地を設けているのと同じように、彼らは 「蜂の巣(アルヴェアーレ)」 という蜂蜜専門店の奥に本拠地を構えていた。組の構成員や関係者たちが好き勝手にくつろぐなか、開いた扉から入ってきた人物に自然とその視線が集まる・・・・・ある者は尊敬をもって、ある者は畏怖をこめて。ロニー・スキアート、マルティージョ・ファミリーの 「秘書(キアマトーレ)」 を務め、実質的に組織のナンバー2を担う人物だ。
「ロニーさん! おかえりなさい、ここしばらく見かけませんでしたけど・・・」
羽織っていたトレンチコートを脱ぎ、帽子をとったロニーにぱっと駆け寄ったのはフィーロで(ロニーのコートと帽子を預けられた若衆のひとりは、それだけでかちりと固まってしまった)、彼を皮切りに幹部連中がわらわらと集まってくる。裏社会で最強と謳われる殺し屋 「葡萄酒(ヴィーノ)」 にも匹敵すると噂される彼も、マルティージョの本拠地では真面目で面倒見のいいカモッラの幹部のひとりである。
「仕事ですこし離れていたからな・・・・・まあいい、何かかわったことは?」
「特におかしなことは。・・・ただ、」
「
――ただ?」
不意に言いよどんだフィーロにロニーは訝るような目を向け、そのすべてを見透かすような鋭く深い視線に晒されたフィーロは困ったように頬をぽりぽり掻きながら苦笑を浮かべた。隣にいたエニスやマイザーたちと顔を見交わし、苦笑をいっそうより深いものにする。そんな彼の態度にしばらく眉をひそめていたロニーだが、彼の背後でこそこそ続けられていた幹部二人の会話を耳にして呆れたようにため息をついた。
―――「そろそろ来るか?」「来るんじゃねぇか? なにせアイツだからな」「ロニーがやっと帰ってきたんだ、来ねぇわけねェ」「よし、じゃあ賭けるか?」「俺は今すぐ飛び込んでくるに20ドル」「俺は22ドル」「意味ねェだろーがそれじゃあ!」
「ただ・・・・・、が禁断症状で気狂い一歩手前です」
「ロニーさぁああああん!」
ばんッ、と勢いよく大きな音を立てて開かれた扉。そこで両手を広げ、ぐるりと一帯を見回したはある一点で視線を止めると、その顔に満面の喜色を咲かせて駆け出した。この時点で彼女には周囲の茶化す声も囃し立てる声も吹き鳴らされる口笛の音も聞こえていない、向かうはただひとつ・・ロニー・スキアートその人のもとである。ちなみに彼女はマルティージョの組織の人間でもなければ、ガンドールの人間でもない。ごくごく普通の一般人
――にしては裏社会に足を突っ込みすぎているし顔も名前も知られすぎているがそれでも、食い扶持の大半を稼いでいるのはあくまでも表社会だ。弱小組織とはいえこのあたりを仕切っているふたつの組織、マルティージョとガンドールそれぞれの事務所でほっこりお茶を啜ったりする上に、組織の若い幹部とお遊び程度にナイフを交えたり新入りを伸してしまったりする人間のどこが一般人なのかと言われれば反論するのは非常に難しいところだがとにかく、親しくしているそれらの組織から給金を拝領していないという点において彼女は組織の人間ではない。掛け持ちに掛け持ちを重ねたアルバイトの数々から生活費をひねり出している彼女は、その腕っぷしも相まって組織の人間とほとんど対等に付き合っている
―――ただひとり、ロニー・スキアートを除いては。
「ロニーさんおかえりなさい! あのさあのさ、ごはんにする?おふろにする?それとも、あ・た・」
し?、まで言い切るつもりだったのだ、としては。けれどその軽々しすぎてそのうち雲の高さまで浮かび上がるんじゃないかと思わせる口を縫いとめたのは耳朶を掠めた銀色の風で、いきものの本能に深く訴えかける圧倒的な気配に彼女は口を 「し」 の形に留めたままぴたりと静止した。耳元でばっさり切られた黒髪がはらはらと宙を滑る。周囲のざわめきが水を打ったように引いていく中、けれど当の本人たちは普段と少しも変わることなく平然としていた。なんの予備動作もなく小ぶりのナイフを抜き放ったロニーはもちろん顔色一つ変えないが、一歩間違えれば顔に大傷を負う大惨事になりかねなかったも、周囲の静けさなど歯牙にもかけない態度でわざとらしく両手を頭の高さに挙げた。
「やだなぁ。冗談ですよ、じょーだん」
「・・冗談にしては、随分と不愉快になったものでな」
「えええええ、そんなつもりじゃなかったんだけどなあ・・」
―――不思議なひとだ。
エニスはそんなやり取りを続ける二人の隣で、けらけら笑うを見ながら静かにそう思う。マルティージョとガンドール、ふたつの組織の随分深いところまで顔を突っ込んでおきながら、けれどどちらに入れ込むこともなく飄々としている不思議なひと。エニスがまだフィーロと出会ったばかりの頃(顔を合わせてはいたが、そのときにはお互い名前も知らなかった)、マルティージョの幹部に昇進したフィーロの祝宴の最中に、何もない虚空から降って来たというなんとも奇抜な経歴の持ち主。エニスが本人から話を聞いたところによると、その一時騒然とした空気をしずめて身柄を預かると言い出したのがロニーで、そのとき彼女の頭の中で花火が炸裂したらしい。その直後、ダラスの襲撃やらなんやらでフィーロの祝宴に出席していたマルティージョの幹部連中とガンドール三兄弟が不老不死になっていたことが判明し、エニスもそれまでとは違う 「本体」 の一部となったわけだが・・・・・後処理も終わり、事件に関わったすべての人間にわずかな休息が訪れたときには完全に、彼女はロニーに懐いていた。
「まあいい・・・・任せた仕事はどうなっている」
「んー、まぁぼちぼちってところです。もう少し時間もらえたら仕上げられます」
「・・・そうか」
――「さんを動物に喩えると、何だと思いますか?」。とロニーの不在時、何の気なしにエニスが発した質問に対して彼女を見知っている気のいい面々は思い思いの言葉を述べた。「そうですねぇ、猫・・とかじゃないですか? 自由気ままなところとか」「マイザーさん、それをいうならノラ猫のほうが正しいですって! つーか、ノラ猫もなぁ・・・カラスとかでよくねーか?」「・・それはいくらなんでも酷すぎやしませんか、フィーロ。どちらかというと、カラスよりコウモリだと思いますがね、私は」「ちょろちょろしてっからな、ネズミとかどーよ」「馬」「鹿」「阿呆」「間抜け」「化け物」「女男」・・・・・まったく、その場に当人がいなかったことだけが救いである。ひとつに意見を纏める気などさらさらない彼らではあるが、動物という括りすら頭の片隅にも残っていない彼らではあるが、とある条件がつくことによって意見は一つに集約される。
ぽん、と頭の上に一瞬だけ置かれたロニーのてのひら。はただそれだけのことに頬を紅潮させ、喜びに顔を染め上げる。星のない夜空のような漆黒の瞳には隠しきれない感情の片鱗がのぞき、彼女の神経という神経がすべて目の前の男に注がれているのが傍目にも丸分かりだ。
――見えるはずのない犬の耳(しかもシェパードのようなぴん、と立ったそれ)と、これ以上ないくらいの勢いで振られる犬の尻尾(しかも柴犬のようなそれ)が見える気がする。
「
―――・・さんは、本当にロニーさんのことが好きなんですね」
事務所の奥へ向かって歩いていく大きな背中を追いかけて、たったひとりにだけ懐いた中型犬が飼い主の足元にまとわりついている。邪険に追い払われることすら遊びの一環であるように、惜しみない笑顔をこぼすを見ながらエニスもまたやわらかく微笑んだ。その胸に、わずかな羨望を秘めながら
――そんな、どことなく愁いを帯びたエニスの微笑にクリティカルヒットを決められたのは、よりによってをカラスに喩えたフィーロで、彼はわずかに赤みの差した顔をサッと背けている。そんな一連の流れを傍観者の視点で眺めていたマイザーは、ひとりくすくすと肩を揺らした。
「・・・でもなぁ、」
「? どうしたんですか、フィーロ」
「いや、たいしたことじゃないんですけど・・・・・そうすると、ラックの奴がなぁ、」
同時刻、ガンドールの本拠地でくしゃみを漏らした人間がいることなど、彼らに知る由はない。
「・・・そういえば言い忘れていた」
不意に振り返ったロニーにその場にいた全員の視線が集まり
―――そして彼らは等しく、幹部もただの構成員もすべて等しく同様に、一瞬で凍りついた。場の空気をまばたきをする間に支配下に置いた彼から、呼吸をすることすら憚られる圧倒的なプレッシャーが発せられ、背中に圧し掛かってくる。どうしたんですかと声を絞りだすことも、鷹のように鋭い目から視線を逸らすこともできない強烈な存在感。そんな中でただひとり、ロニーの背後にいただけがいつもと変わらず、若衆から受け取った彼のトレンチコートと帽子を抱えてにこにこと相好を崩していた。しばらくしてようやく、それまでのがやがやしたざわつきが静まり返ったことに気付いたらしい。ひょっこりと顔を覗かせた中型犬は、不思議そうに首をかしげて飼い主を見上げた。
「この阿呆に下らないことを吹き込むのは・・・・・・・まあいい、この先は言わずともわかるだろうからな」
――沈黙は、ロニーが退席して30秒が経っても維持し続けられたという。
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035:Sing the joys of life (人生を謳歌する) ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(外国語編)
writing date 08.10.06 up date 08.10.13
ブログより手直しした後に再録。ロニーさんが好きです、こんなお茶目な悪魔見たことない。