Baccano!
1931: An old story
ニューヨークのとある街角。このあたりの縄張りを仕切るガンドール・ファミリーを統率するボスの一人、ラック・ガンドールは不意にその歩みを止めた。いつだって冷徹な光を宿すその狐目が、なにかを探すように、なにかを疑うように鋭く細められる。彼の後ろを付き従うように歩いていた部下二人は突然のことに顔を見合わせ、訳が分からないながらも周囲に目を配った。三人のボスのなかでも他の組との交渉事などに出向く機会の多い上司のことである、ガンドールとその支配領域に害を及ぼす人間でも見つけたのかもしれない。季節はずれのトレンチコートを身にまとい、中折れ帽子を目深にかぶった彼らは見るからに堅気の人間とは思いえないが、そんな彼らが孕む空気に緊張を含ませれば人ごみの中でも道ができる。明らかに ソッチの 人間であるらしい彼らとは目を合わせないよう、不自然なまでに顔を背けた通行人が行き交う中、得体の知れない敵を警戒していた部下たちにようやく上司の命令が下された。
「あなたたちは先に帰っていてください、私は少し用事を済ませてから戻ります」
・・・・・・・・え? 張り詰めた緊張が、ぷしゅうと音を立ててしぼんだ気がした。
「・・ああ、私のことならどうぞご心配なく。ほら、そこにぼーっと突っ立っていては通行人の方々の邪魔になりますよ?」
にこやかに笑みをのぞかせるラック。けれど、その若きボスの狐目が 「さっさと帰れ」 とのたまっていることは部下たちにとって明白で、これ以上ぼやぼやしていたらアジトに戻ったときにどんな仕打ちが待っているやら、彼らは想像してぞくりと背筋を冷やす(まさか肉体的な傷をつけられることはないだろうが、ポーカーで今月の給金をすべて吸い上げられる可能性は十分ある、しかも遊びや余興の一環として)。どうして突然そんなことを言い始めたのか、頭の上に疑問符をいくつも浮かべながらも彼らは上司の笑みに見送られながらアジトへと足を向けた。恐怖と好奇心が一進一退の攻防を繰り広げる中しばらく歩みをすすめ、チラチラと目を見交わしていた同僚が小さく首を縦に振ったのを合図に意を決して振り返る
―――まさかそこで、花屋の店先で売り子の娘と楽しげに話をするボスを見ることになろうとは、予想もしていなかったが。
「すみません、」
「はい、いらっしゃいま・・・・せ」
予想はどうやら的中したらしい。ラックは作業の手を止めてくるりと振り返った売り子の娘が、それまで浮かべていた健康的な笑顔を一変させ、まるで倉庫裏でゴキブリの大群でも見つけたような表情でヒクヒクと頬の筋肉を痙攣させる様子を冷静に観察した。ラックの知っている彼女は、彼女が懇意にしているマルティージョ・ファミリーの連中があれもこれもと買い与えた清潔そうなシャツに半ズボンという、少々育ちのいい少年のような格好で街を闊歩しているのだが(それが原因で不良によく絡まれるらしいが、そんな彼らから逆に金を巻き上げるあたり確信犯ともいえる)、今ラックの目の前にいるのは年齢、性別ともに身につけるにふさわしい格好をした少女である。ただひとつ惜しむべきは、花屋の看板娘ともいうべき彼女が露骨な嫌悪をあらわにしていることぐらいだろうか。じわじわと自身の背中に向かう彼女の手を目に留めて、ラックは小さくため息をついた。
「・・こんなところでナイフを振り回すつもりですか、」
「場合によってはそれもしょうがないかなーと思っています」
「・・・止めなさい、慣れないスカートで立ち回ってもこけるだけですよ」
ムッとしたように眉間に皺をよせたはラックにとって見慣れたものだが、その彼女が一本のスローイングナイフを投げて寄越すこともなく苛立ちをため息に変換する姿は珍しい。表にいるときの彼女はいつもそうなのだろうかと思うにつけ、ラックは誰にも
――二人の兄たち以外には悟られないだけの慎重さでもってわずかに目を細めた。所詮自分は裏社会に所属する身である、表の世界で比較的(あくまでも比較的)健全な生活を送る彼女はどうしたって見えにくい。用心棒とか護衛とか、そういう理由をつけて裏に繋ぎとめてしまおうかと思ったこともあったし今でも決して諦めてしまったわけではないが、当の本人がカツカツのバイト生活を望むのだからどうしようもない。フィーロにぼんやり様子を窺ったときも、がマルティージョに与する気配はまったくないらしい
―――上級幹部の一人、ロニー・スキアートに打診されたら彼女がどうでるのかは予想がつかないが、向こうも無理やり力ずくで彼女をほしがっているわけではなく、だからこうして実に奇妙な立ち位置のままゆるゆると時が流れている。彼女は、二つのマフィア(きちんと言えば片方は カモッラ であるが)からそう在ることを許されるだけの力を持っている、これは疑いようのない事実だった。
「こーゆー格好してるほうが売り上げが伸びるから、って店長が。バイトの身は辛いのですよ」
苦笑を浮かべたは小首をかしげ、片手でスカートをつまんで一礼して見せた。自分が一体何を望まれているのか、求められているのかを把握する能力はラックの知る多くの人間の中でも群を抜いている。だからこそ、決して景気がいいとは言えない状況のなか、バイトを重ねることで食い扶持をつないでいけるのだろう。
――貴重な人材だ、ガンドール・ファミリーという組織を束ねるものとして純粋に欲しい能力だと思う。それと同時に、マフィアのボスという肩書きを隣に置いた状態で、一人の男として、近くにおいておきたいとも思う。けれどそのためにはまず彼女の飼い主をどうにかせねばならず、飼い主にたどり着く前に飼い犬に撃退されて終わる危険性を十二分に孕んでいる現実がある
―――思わずため息を漏らしたラックに、は不思議そうに首をかしげた。
「・・・・ラック?」
「・・いえ、なんでもありません。それより、そこのアネモネの花を一輪いただけますか?」
振り返った彼女は咲き乱れる花々にサッと目を通し、ラックの指差した先にあるアネモネの花の束に手を伸ばす。色の希望は?、とごく当たり前のことを聞かれて、それが普通の質問であることを理解しながらラックは首を横に振り、ちいさく笑みをこぼした。実際、いま彼女は花屋の売り子に過ぎないし間違っていないのだが、振るう刃の鋭さを知っているだけ裏と表の解離は奇妙なものだ。ふわふわと人好きのする笑顔を見せる看板娘が、その背中に潜ませる銀色のナイフ。護身用などではない、自身の前に立ちはだかる敵を積極的に屠るための凶器を抱えて裏と表の世界を自由気ままに行楽する彼女は、白いアネモネの花を手にニヤニヤと笑顔をのぞかせる。
「はい、これ。・・・なに、誰かへの贈り物?」
「そうですね、そうなるかもしれません」
「はっきりしないなァ・・・・・ってラックさーん? 何してんの」
受け取った一輪の花をラックは手に取り、そしてきょとんと目をまばたかせる彼女の髪にするりと差し込んだ。
「折角なんですから、もっと着飾ってみては?」
「・・そんな余裕があるくらいなら、もう一本ナイフ仕入れるね」
「・・・・・・・・そういうひとですよね、あなたは」
「フラワーバスケットお買い上げありがとうございまーす」
・・・・なんだかいつもよりも騒がしい気がする。花束を無理やり押し付け、スった財布から値段分だけ紙幣を引き抜いた彼女の清々しくも胡散臭い笑顔に見送られ、ガンドールの本拠地に戻ってきたラックは訝るように眉をひそめた。基本的に彼らのアジトは集まってきた男たちの喧騒に包まれているのが常だが、けれどそのいつもとはどこか違っている気がする
――何が違っているかと言われても、明確には答えられないのだが。そうするうちに体の底に響く怒鳴り声の余韻が伝わってきて、びりびりと建物を揺らす。それが誰のものなのかなど考える余地はなく、ラックはある種の警戒を滲ませながら事務所に続くドアを開いた。
「
―――・・みなさん、どうかしたんですか」
ラックの脳裏を過ぎった最悪のパターン・・・例えば何らかの襲撃を受けているとか、襲撃を受けたのちに敵のクズから情報を吐き出させるための拷問の最中だとか、そういう殺伐とした光景ではなかった。ただ明らかに普通ではない、いつもならボスの一人であるラックが帰ってきたのだから挨拶のひとつやふたつ飛んできて当然だし、けれどラックが帰ってきただけで男だらけの事務所がこんな静寂に包まれるのもおかしな話だ。最初は、腕に抱えた花束に視線が集まっているのかと思ったのだがどうもそうではないらしい。屈強な男たちの無遠慮な視線に晒されて、さすがのラックも薄気味悪そうに表情をしかめた。
「・・・私の顔に、なにか」 ついてます?、と続けるつもりだったセリフは、目の前に立ちふさがった兄の存在に打ち消された。
「・・・・・・ラック、その花はどうした」
「ベル兄。これなら表通りにある花屋で買ってきたけど・・それがどうか 「俺は、お前を見損なったぞ・・ッ、ラック!」
突然の兄の言葉に混乱させられたのはラックだ。ベルガの目にうつる失望が本物であるだけ困惑も激しい。
「は!?いきなり何言ってるのさ、ベル兄! いったい何の話を・・・、」
「いくらのバカ野郎に相手にされてねェからって、他の女に走るなんざ・・・そんな腑抜けた態度は、俺が許さねェ!」
「・・・・・・・・・あー・・なるほど、そういうこと」
確かに、あの格好の彼女が普段の彼女と結びつかないのは理解できるが
――ここで問題なのはを断定できなかったことではない、先に帰っているように伝えたはずなのに花屋に立った自分を確認されていることであり、なおかつそれがベルガに伝わっていることで、しかも迷惑極まりない誤解を生んだことだ(相手にされてない云々などまったくどこまでも余計なお世話である)。ラックはベルガの後ろに控えるスーツ姿の男たちに目線を走らせ、つい先程まで行動を共にしていた部下二人を見つけるとにっこりと微笑んだ。
「・・・あなた方お二人に、少しお尋ねしたいことがあります。・・・・・・・・よろしいですね?」
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042:An old story (ありふれた話) ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(外国語編)
writing date 08.10.11 up date 08.10.13
ベルガも好きです。