Colorful

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往々にして、休日のの朝は遅い。差し込む朝日に目を覚ましたとしても、一度目の目覚めで布団から脱出するのはほとんど不可能だとは公言して憚らない。ごろりと寝返りを打って陽射しから顔を背け、手を伸ばせばすぐ届く場所にある眠りの深淵に堕ちていく。は何よりもこの、一度眠りから覚醒した意識が再び空間に溶けていく様が好きだった。ああなんて幸せなんだろう。溶けゆく意識の狭間で、は幸福を噛み締める。にとっての “幸せ” は、日常の瑣末なものの中にある幸福を両手で掬い上げる行為そのものである。

、」

沈みゆく意識をサルベージする声は、奇妙奇天烈摩訶不思議な同居人――ルークのもの。猫のくせに言葉を喋り、とある一定の条件が揃うことによって人の形をもとる彼は、現在進行形でがこれまで培ってきた常識や理屈をぶっ壊し続けている。

芽吹き始めた翠のように爽やかな――いや、微妙に眠気にくぐもっているルークの声に導かれて、はゆっくりと瞼を持ち上げる。カーテン越しでも、起きぬけの体に太陽は眩しい。は目をこじ開ける代わりに腕を伸ばし、その深い紅の毛並みに手を添えた。これは彼らの間にだけ通用する合図。が発してルークが受け入れる誘いの言葉。それはまるで、悪魔の囁きのような。

「おいで、ルーク」  さぁ、二度寝に取りかかろう。

しかしこの日は、いつものようには事が進まなかった。普段なら差し伸べた手の平に体をすり寄せるくらいの甲斐性を見せるルークが、ベッドに沈み込むような溜息を漏らして、その優雅なしっぽで手をぱしりと払ったのである。このときの私の衝撃といったらない。飼い犬に手を噛まれた、などというのは生ぬるい。それまで仲良く一緒にお風呂まで入っていた愛娘に、「もう、お父さんとお風呂一緒に入らない!」と突然宣言された父親のような心境だ。

「・・、起きろよ」

言いたいことはわかっている。アレだ、きっとお前はこう言うのだろう? 「お父さんの服と一緒に私の服、洗濯しないで」とかなんとか。昨日まであんなに仲良しだったのに、どうして。お父さんはなにか間違ったことでもしただろうか。いやもし万が一そうだとしても、いきなり手の平を返すような態度はあんまりじゃないか、だってそうだろう? お父さんは・・お父さんは、お前のことを心の底から愛して 「人、来てるぞ」

「それを早く言いなさいィイイ!」



「・・・遅い・・!」

隣家の戸を最後にノックしてから、5分が経過した。ティエリアは腕時計を見下ろして、イライラと言葉を吐き捨てる。今この瞬間にでも貧乏揺すりを始めそうなほど苛立ちをあらわにした彼の腕の中には、昨日アレルヤがもらってきたタッパとクッキーの詰め合わせが抱えられていた。勿論、クッキーなどというある意味であざといアイテムを用意したのはティエリア本人ではなく、ともすれば小細工と受け取られかねないアイテムの危険性を、完全に中和する能力を有したアレルヤが用意したものだ。

「はい、ティエリア」
「・・・これはなんだ」
「クッキーだけど」
「・・そういうことを聞いているのではない。理由を聞いている」

ティエリアは時々、アレルヤとの意思疎通に不便を感じることがある。

さんにだよ」
「・・・・なぜ」
「おすそ分けもらったじゃないか」
「(・・もらったのは俺ではない!)」
「そのタッパ返しに行くときに、これも一緒にどうかと思って」

確かに、アレルヤ・ハプティズムの考えは一見理にかなっているように思える。けれどよく考えてほしい。隣人とのスムーズで良好な人間関係を築いたのは、あくまでも彼と刹那・F・セイエイであって自分ではない。ティエリアにはむしろ、関係を悪化させたという自覚がある。そんな人間に昨日の今日で、クッキー・・? 正直に言おう、もしも自分が向こうの立場だったら 「気色悪い」 と思うに違いないのだ。

「ちゃんと、渡してね」

アレルヤの笑顔には、ロックオンとは違った意味で有無を言わせぬ力があると思う。即座に反論に転じようとして、けれど彼は舌の上まででかかった言葉を全部飲み込まざるを得なかった。皮肉を飲み込んで胃を壊したという話をティエリアは聞いたことがない。それだけが唯一の救いだった。

「遅すぎる! 一体何分待たせるつもりなんだ、あの女・・!」

朝といえども、時計はすでに10時を回っている。別に上がりこむわけではないし、この時間帯に訪問するのが非常識とは考えにくい。ティエリアは何度目になるか知れない舌打ちを漏らしながら、己の手元に視線をくれる。なんだか無性に、クッキーをくれてやるのが惜しくなってきた。

「それを早く言いなさいィイイ!」

突然の叫び声。玄関の扉を隔てても尚聞こえてくる怒号にティエリアは無意識に眉をひそめた。まったくどこまでも騒がしい女だ。続いて聞こえてくるどたん、ばたんというそれこそ漫画に出てきそうな騒音は徐々に大きさを増して、静まり返ったかと思った次の瞬間、何の前触れもなくドアが開いた。

「お、お待たせしてスミマセン! ・・・・って、」

なんだ、アンタか。
口には出していなかったが、ティエリアにはその言葉が聞こえた気がした。転がるように飛び出してきた女の長く伸ばされた黒髪はあちこちに飛び跳ねていて、無理やり撫で付けようとしたらしい左手が無為に動いている。 “今起きました” というのを少しも隠そうとしない態度にティエリアの小さな苛立ちはつのり、意図せず目に入ってしまった時計が10:23を示しているのを認めてひくりとこめかみが引きつった。どうしてこの貴重な朝の時間を、たかがタッパを返すくらいの用事でドブに捨てなければならない?

「あ、っと・・・待たせた、よな。ゴメン・・」

ティエリアはその言葉にただの一言も返事することなく、手に持ったものを突き出した。その見るも無残なほどだらしない格好よりも殊更、へらへらと締まりのない表情を浮かべている存在が気に食わない。どうやら未だに頭が回っていないらしい隣人は、訳が分からないとばかりにきょとんと首を傾げた。それでもティエリアは口を開かない。

「・・・・・」
「・・えっと、貰っちゃっていいって こと?」
「・・・・・」
「あ、これはどーもご丁寧に・・」

彼女の手に荷が渡ったのを確認して、ティエリアは即座に踵を返す。時間は貴重だ。ニュートン力学の基本公式やアインシュタインの相対性理論は時間反転対照性――つまり現在から過去へ時間が進行するといった可逆性を持ち合わせている。けれど今、ティエリアが立っているこの空間において、時間の可逆性が厳密に成り立つ具体的なマクロ現象を見出すのはほとんど不可能だ。方程式の上で過去へ逆行することが可能な “時間” はティエリアの前に、不可逆で、変えることの出来ない一定の流れである。時間は貴重だ。時は遡れない。

「待てよ!」

ドアノブを掴んだティエリアの手が止まった。やや攻撃的に投げかけられた声は彼女のものではない。自分と同年代と思しき、少年の声。無視しようかとも思ったが、動きが止まってしまった手前ここで無視を貫くのも気まずい。はぁ、とわざとらしく溜息をついたティエリアは隣人を振り返り、そして――

「お前、礼くらい言ったらどーなんだよ? しつれーにも程があんだろ!」

わッ、バカ! 止めろルーク!
存在を隠そうと腕を伸ばした彼女のそれをしなやかにかいくぐり、ティエリアにケンカを吹っかけたのは。

緋色の毛並みが鮮やかな、翡翠の瞳をもつ猫だった。


夢見鳥


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013:夢虫/夢見鳥 (=蝶々) ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.04.13    up date  08.04.19
ティエリア・アーデの戸惑い。・・・誰か “時間” という概念について勉強した私を褒めてくださぁあい!