Colorful

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ティエリアがこれまで培ってきた常識や知識の中で、言葉を操る生き物はヒトだけだ。社会というコミュニティーを形成して生きる人間が、自己の意思を互いに伝達し、認識を共有するために生まれた概念。意味を持った言葉の形成に伴い、思考そのものを言葉で行うことにより深まる自己理解と、知識の発達。ヒトをヒトたらしめる一つはこの “言葉” であるといっても決して大袈裟ではないとティエリアは思う。

――そうであるならば、じゃあ。

「おいッ、黙ってねェで何とか言ったらどーなんだよ!」


じ ゃ あ 今  目 の 前 で 言 葉 を 操 っ て い る こ の 生 き 物 は 何 だ ?


「聞いてんのかよ!? この男女!」

ティエリアは確かに、己の堪忍袋の尾が切れる音を聞いた。自身の周囲を取り囲む空気がピンと張り詰め、研ぎ澄まされていく。この変化が故意か、それとも自然であるのか考える余地はない。ティエリアは自身の表情がもたらす印象の変化を理解していた。理解していても、好印象を与えることや愛想よくしていることを重要視していなければ、良好な対人関係の構築という点においてさほど意味がない。アレルヤをして “絶対零度” 、ロックオンをして “凍てつく視線” と言わしめた己の武器をもって、ティエリアはそのでたらめな生き物を見下ろす。

「ちょっ、何言ってんのルーク! ・・・それを言うなら、女男でしょーが!」

――どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ!

「あなたにだけは言われたくないな」
「何それ、どーゆー意味?」
「言葉通りの意味だが」

そしてどうやらこの女も、己の表情がもたらす周囲の変化を敏感に感じ取っているらしい。すぅ、と細められた漆黒の瞳は確かに鋭い光を帯びている。ティエリアはその光に酷似したものを知っていた。各々の瞳に宿る意思が形を変えたもの。それに真っ向から向き合って、彼はただ純粋に “面白い” と思った。

フーッとその真紅の毛並みを逆立てて警戒心をあらわにする生き物を腕に掬い上げ、彼女は深く息を吐く。目を閉じて、細くゆっくりと。まるで吐く息と共に感情を送り出そうとするように。次に瞼を持ち上げたとき、それまでの鮮烈な輝きはなりを潜めていた。凡庸な光が漆黒に宿る。

「・・これから時間ある?」
「・・あったらどうする」
「説明をしたい。そっちこそ、聞きたいことがあるだろう?」

腕の中で大人しくなでられている生き物は、ティエリアに向かって牙を剥いた。

――承知した。聞かせてもらおう」



彼女の部屋は、ティエリアの予想に反して整理整頓が行き届いていた。意外と几帳面な性格なのかもしれない。少なくとも、朝一で他人を部屋に上げられるほどには片付いていた。どーぞ、と玄関先でこちらを振り返ることなく、しかも大欠伸をかました彼女のほうが異分子に見えるくらい。

「テキトーなとこ座ってよ」

まるで冬眠から目覚めた熊のように、のそりと言った。それだけを言い残して彼女は冷蔵庫を覗き込んでいるらしい。なにか飲むー?、と言う声にティエリアは無視を決めた。別に、世間話をしにきたわけではない。彼女のいう “テキトーなとこ” とやらにひとまず腰を落ち着けようとして、けれど一番に場所を確保したのはティエリアがここにくる原因となった得体の知れない生き物だった。どうやら定位置であるらしいそこに悠然と、まるで近づくなとでも言うようにしっぽをぴんと伸ばしてそれは座る。

「とりあえず麦茶でいい?」
「・・構わない」
「そ。じゃあま、コレ」

ルーク、ほらそこどいて。ひらりと動いたそれはどうやら、自分の場所を確保したのではなかったらしい。彼女の声に従ってひらりと動いたそれは、彼女がクッションの上に胡坐をかくとすぐにその上に移動して体を丸めた。その際に向けられた、好戦的な翡翠の瞳がティエリアの気に障る。遠慮や気遣いの全てを欠いた視線。それらがふんだんに盛り込まれすぎたものも鬱陶しいことこの上ないが、警戒心や敵対心をこれほどあらわにされた視線というのも十分すぎるほど癪に障る。

「さて、どう説明したものか」
「・・・まず、一体それは何だ」
「いきなり難しい質問だな」

彼女はそう苦笑して、ティエリアにわからないと言った。どう見ても普通の猫のようにしか見えないそれ(名前をルークというらしい)が、どうして喋ることができて、条件が揃うことでどうして人間の形になるのか。その答えでは満足できず、もっと他の情報を引き出そうと視線を鋭くするティエリアにゆるやかに笑って、ただ “わからない” と。彼女の手の中でごろごろと喉を鳴らすそれを見守る視線はぬくもりに満ちていながら、確かに残念そうな色を交えていた。一体何なのか。その答えを最も求めているのはティエリアではなく、彼女である。

「・・にわかには信じがたい」
「信じるも信じねーも、俺がここにいるんだから関係ねーだろ!」

――頼むから、この生き物を黙らせてくれ。

「でもまぁ、確かにティエリアの言うとおりだよな。俺も当事者じゃなくてただ話を聞いただけなら絶対信じなかったと思う」
まで、何だよそれぇっ!」

ティエリアは概ね無関心だ。他人の感情は推して量るものだと知っているし、その手段であり根拠になりうるのは表情だと知っている。知ってはいるが、彼にはほとんど関心がなかった。表情や態度から推測する他人の感情は結局、自己と照らし合わせて合致するものを探る作業から、個々が作り出したものだ。ゆえに感情の理解には差異が生じる。自己の感情ですら持て余すことがあるというのに、他人の感情の機微など理解できるだろうか。

「・・でもルークが言うとおり、ルークは実際ここにいる。結局、それが全てだと思うよ」

けれどティエリア自身まったくもって信じがたいことに、彼はその理解しがたい生き物の感情がほとんど手に取るように理解できた。それこそティエリアが最も得意としているプログラミングにおいて、どこまでも整合性の取れた論理展開を読み解くように。正しいアルゴリズムによって求められた解は、そう簡単に揺らがない。

――その生き物は彼女の手の中で、確かに笑っていた。酷く嬉しそうに、幸せそうに。

「悪いな、全然答えになってなくて」
「・・・・・」
「・・ティエリア?」

訝る声にティエリアは視線を上げる。不思議そうな漆黒を見返して、彼は首を振った。こんなわけの分からない生き物の感情を理解してどうする。第一、ティエリアが知りたいと思っているのは存在そのものであって中身ではない。彼にとって “ルーク” という名前に価値はない。・・・けれど、

「・・起きたのはつい先程か」
「え? えーと・・まぁ、さっきというか、ほとんど今というか・・」


番犬気取りのバカ猫に、思い知らせてやるのも面白い。


ティエリアはぐ、と身を乗り出して腕を伸ばす。きょとんと目を丸くする彼女に構わず、頬に手を触れさせた。必要以上に時間をかけてティエリアは自身の指を彼女の輪郭に這わせる。するりと髪に手を差し入れて、その髪をゆっくり梳きながら彼は耳元に唇を寄せる。薄く色づいたそれをゆるりと弧の形に吊り上げて。

「・・・寝癖がそのままだ――

殊更に低い声でそう囁いたティエリアに、敵意をむき出しにしたルークが爪を尖らせて飛び掛るまであと3秒。


見えない軋轢


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156:見えない軋轢 ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.04.17    up date  08.04.23
三人称が多すぎる。ティエリアが名前を呼ぶタイミングがひっじょーにムズい。