Colorful

:6



彼と遭遇したのはアパートの近くにあるコンビニで、は買ったばかりのガリガリ君をちょうど開封したときだった。夜が持つ独特の湿り気を帯びた空気。大通りに面しているものの、横道に入ればいきなり住宅地になるコンビニはいつだって無駄なまでに明るい。あ、と思わず声を上げたにティエリアは分かりやすく眉をひそめた。沖縄では平年よりも数日遅い梅雨入り宣言がなされたらしい。薄手のカーディガンを羽織ったティエリアをぼんやりと見返しながら、は夕方のニュースで報道されていた情報を反射的に思い出していた。

「・・こんな時間に何をしている」
「バイト帰りにちょっと寄り道」

ちら、と腕時計を盗み見て確認した時刻は10時を回っていた。思ったよりも時間が経っていたことに、ルークの機嫌が損なわれることを予期しては小さく息をつく。

「本屋でバイトしてるんよ、俺」

ティエリアはこんな時間に何を?、と聞き返しながらはさり気なく彼の隣に並んだ。引っ越してきてようやく1週間が経とうとしているこの新たな隣人は、がこれまで出会ってきた数々の人間の中でも3本の指に入るほど高い矜持の持ち主で。初対面のときこそ、「コイツ絶対ぶっとばしてやる」と心に刻み付けただったが、基本的に彼女はプライドの高い人間の取り扱いに慣れている。コイツはこういう人間なのだと、理解できなくとも納得してしまえばそれまでだ。

「学校帰りだ」
「随分遅い時間までやってんのなー」
「・・・俺は、高等学校の生徒ではないからな」

ティエリアはどうやら大学生であるらしい。がその事実を知ったのはつい先日のことで、それまで何の疑いもなく高校生だと認識していたことが本人様に発覚し、盛大なお小言を頂戴した。 「盛大な小言」 ――なんて矛盾を孕んだ一言だろう。だが実際その通りなのだから仕方ない。ぶちぶちぶちぶち、延々とこのまま際限なく続きそうな皮肉と嫌味と呆れと蔑みにまみれた小言を小1時間拝領し続け、はほとんど泣きそうだった。ティエリアの指摘はどこまでも直球で、痛いところをピンポイントに抉る。辛辣な言葉の応酬をもって、的確すぎるほどに。

「あ、あれは謝ったじゃん!」
「・・・ふん、どうだかな」
「えええええ」

――けれどどうやらこの冷酷魔人は多少なりとも、私のことを認めてくれたらしい。

「冗談だ」

フッ、とわずかに唇の端を持ち上げて、声にほんの少しの笑みを滲ませて。精巧に作られた人形のような白い手が一瞬、私の頭に触れた。それはまばたきをするよりも短い時間、吹きぬけた風が髪を弄んでいくように。が斜め上をちらりと盗み見たときには、既にティエリアは元の無表情を纏っていたけれど、わずかな綻びをみせた空気はそのままだった。こおりはゆるやかにとける。

彼らの間に会話は少ない。周囲を包む夜の沈黙は、破られることなくそこにある。降り注ぐ月の光の音すら聞こえてきそうな静寂がしかし、にとってひどく心地よかった。風に遊ぶ木の葉、塀の向こうから聞こえてくるかすかな笑い声、通り過ぎていく車、二人分の足音。夜の静けさは、昼間なら聞き逃してしまいそうな音をくっきりと描きだす。手に取れるんじゃないかと思うくらいに鮮やかで、きちんとした輪郭を持ったそれ。

ちらと見上げた先で、風がティエリアの髪を撫でていく。さらさらと流れる紫苑の絹糸がひるがえる。髪の一本一本まで彼らしい――どこまでもまっすぐな。深紅の瞳はいつだって、真摯に前を見据えている。

「あ、そーだ」

点いたり消えたりを繰り返していた電灯の下、はかばんの中に入っているものの存在を思い出す。不意に立ち止まったを、数歩先で振り返ったティエリアは怪訝そうに眉を寄せた。まったく、顔のいい人間はそういう表情すら絵になるのだから嫌になる。首をわずかに傾げた拍子に流れ落ちてきた紫苑の髪を、彼は無造作に耳にかけた。するり、と指の間をすり抜けていく絹糸。

「・・どうした」
「へっ? ぁ、いや・・なんでもない」

――バカみたいに色っぽかったなんて言ったらきっと、今度は説教2時間じゃ足りない。

「ティエリア、映画とか見る?」
「・・・・嫌いではない」

がクリアファイルの中から引き抜いたのは映画の割引券。最寄の駅から電車でちょうど15分くらいの市街地、そこにある少し小さめの映画館の割引チケットは、今日バイト先の店長から貰ったものだ。 「あんまり大きな映画館じゃないから、今の話題作とかは少ないかもしれないけど・・もしよかったら友達とでも行っておいで」 、という言葉には二言返事で食いついた。貰えるものはとりあえず、なんでも貰っておくに限る。

「もしよかったら貰ってくんない? ・・色々とこう、お詫びも込めて」

へらりとした笑みを浮かべて、は2枚のチケットをティエリアに差し出した。これらをティエリアに渡してしまえばの手元にチケットは残らないが、これで彼からマシンガンのように炸裂する嫌味が少しでもその数を減らすなら十分おつりがくる。ティエリアが引っ越してきたその日、わざわざ挨拶に来てくれた彼の友人――アレルヤは別れ際、「お邪魔しちゃったお礼に、今度映画でもどうです?」 とほがらかに微笑みながら言ってくれた。その言葉こそがお礼の代わりであり、社交辞令であることに気付かないほどは抜けていない。けれどとりあえず、アレルヤは映画を嫌いではないらしい。それが分かれば十分だ。

「あ、要らないんだったらそれでも全然構わないんだけど、」
「・・そうだな」

ティエリアの細くて長い指は、から1枚のチケットを抜き取った。

「人混みは好きではないが・・・、たまになら悪くない」

それだけを言い残して、ティエリアはさっさと歩き出してしまう。半ば呆然と立ちすくんでいたは、それまで不安定ながらも明かりを宿していた電灯がふつりと消えてしまったことで我に返る。夜の暗さに紛れようとする背中を、は小走りで追いかけた。

「ちょ、ティエリア!」
「・・・なんだ、」

まだ何かあるのか。
無表情のくせに不機嫌そうな深紅の瞳に晒されて、は柄にもなく怯んでしまった。有名な人形作家が手掛けた作品のように、完璧なバランスで配置された顔のパーツ。月光の下で透けて見えそうなほど白い肌と、強い意思を湛えた深紅は抗いがたい引力を持っている。存在そのものが卑怯なのだと詰ったら、彼はその美しい眦を吊り上げて怒るだろうか。

「これも一緒に持っていって、アレルヤとかと見てこいよ」

ほら、と突き出したの手を一瞥して、ティエリアは疲れたように溜息をついた。まったくここまできても癇に障る男だ。どれだけ顔がよくても、どんな人間かを理解し始めていてもやはり、腹に据えかねるものは据えかねる。いらないんだったら返せ、と思わず怒鳴りそうになったとき、

「きみが行くんじゃないのか? 
「・・へ?」

私は一瞬、声の出し方を忘れた。

「これは、きみが貰ったものとは違うのか?」
「・・や、まぁ・・俺が貰ったもんだけど、」
「ならば、自身が行くのが筋だろう」

――な、なんか・・怒られてる気分になってきた。
逃げるように視線を逸らしても、ティエリアの深紅が苛立ちで鋭さを増したのがわかる。どうして私が怒られなければならないのだろう。自分の中にその原因を求めても到底見つかりそうにないのに、目の前の彼が苛立ちをあらわにしているのは間違いなく自分のせいだ。・・・逃げたい。今すぐ踵を返してここから立ち去りたい。背中に圧し掛かる空気がずん、とその質量を増して、は思わず首を折る。足元から這い上がってくる冷気は、ただの錯覚なのだろうか。

はぁ、と形のいい唇から吐き出された溜息は疑いようもなく、にとってのリーサルウェポンである。

「・・・今週の日曜、」
「へ、な・・何ですか」
「日曜なら空いている。・・は」
「ぁ、えと・・だいじょう、ぶ」
「ならば空けておけ。・・・おい、聞いているのか 
「き、聞いてます! 聞いてますともティエリアさま!」
「俺はまだこの辺りの地理に疎い。道案内ぐらいなら出来るだろう? ・・・それと、」

ティエリアは不愉快そうに眉をひそめながら、もう一つ呆れた様子で溜息をついた。

「変な呼び方をするな。妙な敬語を使うな。――・・気味が悪い」

前言撤回。・・・コイツ絶対ぶっとばしてやる!


嵌り嵌められ


novel / next

097:嵌り嵌められ ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.04.20    up date  08.04.29
これは・・・ティエリアフラグが立ったの、か・・?