Colorful

:7



古ぼけた小さな映画館から外に出る。春から夏へと、その装いを変えようとしている日射しは暗い場所に慣れた目にひどく眩しい。ティエリアは自身の深紅を射抜いたそれに一瞬顔をしかめ、左手をかざして空を仰いだ。白く滲んでいた視界がゆっくりとクリアになっていく。ビルの間から垣間見える空は、鮮やかに青い。

「うわ、外明るい」

後ろをついてきていたそれ――は、ティエリアの隣で立ち止まりその目をしばたいた。ぐ、と大きく背伸びをして、彼女は晴れやかに笑う。

ティエリアは人混みが嫌いだ。“苦手” なのとは少し異なる。数え切れないほどの量の人間が、明確な目的地も持たずにうろうろしている場所、空間。とりとめもない他人の会話がラジオのノイズのように流れ込んでくると、乗り物酔いでもしたかのように気持ちが悪くなる。何の秩序も規則性もないのに、まるでひとつの意思を共有しているかのようにうぞうぞと移動する群衆。それに自分も加わるのかと、考えるだけで不愉快だった。

「映画、けっこう面白かったなー」

当たり障りのない感想をこぼして、彼女はふらりと一歩を踏み出す。群衆という定形のない巨大複合体――イキモノのようなそれが、奈落のような大口を開けて彼女を飲み込もうとしているような気がした。

「・・・ティエリア?」

彼女の腕を掴んでいたのは、ほとんど無意識だった。きょとん、と目を丸くした漆黒が自分の姿を映しこんでいる。動きを止められて怪訝そうに首を傾げた彼女は、わずかに眉根を寄せてはっきりと言った。 どしたの。 聞きたくなくても聞こえてくるノイズを叩き伏せるような声だと思った。凛として、したたかさを感じさせる声。取るに足らないその他大勢の雑音など、切って捨てることを厭わないそれ。男よりも男らしい響きで、それはティエリアの聴覚を占領する。

「・・なんでもない」
「なんかしつれーなことでも考えてたんだろー?」
「・・・・・」
「ええええ、ティエリアさまそれビンゴ?」

手の中から、するりと温もりが逃げていく。ティエリアにはそれを手の内に止めておくことなどできないと知っていたし、またする必要もなければ意味もないと分かっていた。トン、と軽快な音を立ててのスニーカーが地を蹴り、ティエリアの前で振り返る。まるで男のそれのような切れ長の目を細めて、にやりと笑いながら。

「お昼ご飯にしませーんか?」
「・・・気味の悪い喋り方をするな」

彼女の後に続くように一歩を踏み出す。自身もまたその一部となった人の流れは、そう居心地の悪いものではなかった。



「いやだからさ、真琴は千昭に最初に告白されたときより前から、実は千昭のこと好きだったんだって」
「・・どうしてそうなる」

インテリア家具を展示販売している店の中。様々に並べられている家具を注意深く見比べながら歩くティエリアの後ろを、きょときょと辺りを見回しながらがついて回る。その様子はまるで、カルガモの雛のようだとティエリアは思った。自身の興味を引かれて立ち止まったとしても、距離が開きすぎればすぐに戻ってくる。健気、という言葉がティエリアの脳裏にふと浮かんだが、それが言葉として意味を持つより前に叩き潰す。まったくもって彼女には似合わない。

「え、だってそーじゃね? 結局最後にはくっついた・・って言えるのかわかんないけど、くっついたんだし」

あ、ティエリア! これとかかっこよくね?
本革張り二人がけリクライニングソファにゆったり腰掛け、まるでワイングラスでも掲げるかのように右手をかざした阿呆を、精神衛生上目に入れないようにしながらティエリアは品定めを再開させる。別にそれほど急ぐものではないし、そう安くないものだからこそここで即決する気はない。自分の目にかなった、満足に足る必要最低限のものだけを生活空間においておきたいティエリアの目は厳しい。

「・・・無視すんなよバカヤロぉ」

くい、と服の裾を引っ張られるのを感じてティエリアは溜息混じりに振り返る。耳まで真っ赤にして、目線を合わせられないほど恥ずかしいなら、最初からしなければいい。は馬鹿だ、疑いようもなく。けれどその馬鹿さ加減は、ティエリア自身信じられないことに疎ましいものではない。 “好ましい” の対極にありながら、それでも尚。

「気は済んだか」

こくんと声もなくうなずいた彼女の態度がひどく殊勝だったから。続けるはずだった嫌味は飲み込んでやった。

「・・何か見たいものはないのか」
「へ?」

陳列されている本棚の一つ一つを入念に吟味しながら、ティエリアはちらと後ろを振り返る。どうやらもう立ち直ったらしいは、ティエリアの隣で戸棚を明けたり閉めたりしながら小さな唸り声を上げていた。特別に必要としているわけではないが、見ているうちに物欲に駆られたらしい。

「んー、特には。ティエリアの希望に沿うよ」

そう言ってへらりと笑う。彼女のその不謹慎な笑みは(少なくともティエリアには “不謹慎” に見える)、ティエリアから言葉をことごとく掻っ攫って。気にしてやるのが馬鹿らしくなるというのも正しいし、下手な気遣いなど不要だと言外に告げられているような気もする。――別に、気遣いをしてやっている自覚など、ティエリアにはさらさらないのだけれど。

「・・女性というのは総じて、買い物好きだと思っていたが」
「んー・・・というより、ティエリアが俺のことを “女性” っていうカテゴリーに分けててくれたことにビックリ」

ばっ、と勢いよく振り返ったティエリアは、まるで勝ち誇ったように笑うその態度に眦を吊り上げた。咄嗟に否定の言葉を並べようとして、そうした方がむしろ言い訳がましくなるだろうという考えに思い至り口を噤む。これ以上ないほど強く睨みつけた漆黒は、それでも揶揄の光を消そうとしない。彼女に背を向け、本棚の物色に意識を傾けながらも、瞼の裏にニタニタ笑う姿が浮かぶ気がした。

「今日の目的は、映画だったからさ」

まだその声に笑みを滲ませるを、ティエリアは振り返る。

「残りの任務はティエリアの案内役、だろ?」
「・・そうだな」
「あっれ、感謝されること期待しちゃったよ今」
「愚かな」

はめ込まれているガラスの扉に一瞬、口元を緩めている自分が見えたのは錯覚に違いない。殊更に楽しそうに笑うの頭に手を触れさせて、ティエリアは出口へと足を向けた。律儀に後ろをついてくる足音を意識の隅に聞きながら歩き出す。言葉尻に疑問符を付加して自分の名を呼ぶ彼女はまったく、カルガモの雛のようだと思った。底が知れないほどに愚かで、けれど侮蔑を抱かせない特異なそれ。

「案内役の任務を務めるんだろう、
「いえっさー」



こてん、と一定のリズムで彼女の首が折れる。夕日に赤く染められた電車の車内は、部活帰りの学生や親子連れなどでそこそこ混みあっている。平日、朝夕の通勤・帰宅ラッシュのような、見ただけで吐き気がする混み具合ではないが、それでも一両につき5,6人が吊革につかまっていた。ティエリアは吊革を持つ手を変えながら、再び力なく首を折ったを一瞥して小さく呟く。

「・・いい気なものだな」

電車に乗り込んだとき、一つしか空いていなかった席を譲ったのはティエリアで、しかも一度は辞退した彼女をほとんど命令形で座らせたのも確かにティエリア自身なのだが、目の前でこうも居眠りをされればわずかな苛立ちも生まれる。最初の頃は重力に耐え切れなくなったように首を折るたび、はたと目を覚まして目を擦ったり首を振ったりして襲いくる眠気と戦っていたらしいが、しばらくするうちにそれすらままならなくなって。長い黒髪は一つで結われているために、彼女の首筋は無防備に晒されている。

「・・・あ、」

がたん、と車体が大きく揺らいだ。ティエリアはもう一度、吊革をつかみなおす。電車の揺れに対する注意を促す車内放送が流れる中で、目を覚ましたらしい彼女が瞼を持ち上げた。漆黒のそれには、とろりとしたひどく曖昧な光が宿っている。それは風に吹かれれば、たちまち消えそうなほどに弱弱しい。

「・・ゴメン、寝てた」
「・・構わない」
「ほんとごめん。・・・・ティエリア、代わるよ。座って?」

立ち上がろうとしたその肩をつかんで、ティエリアは彼女を座らせる。

「座っていろ」
「・・や、でも。ティエリア立ちっぱだろ?」
「構わないと言っている」
「・・俺、座ってたら寝ちゃうから、」
「立っていても寝るだろう、あなたは」
「・・・・・」
「・・着いたら起こす。寝ろ」

――・・ありがとう。
そう呟きながら、彼女の意識は夕日の赤に溶けていく。その口元は確かに、弧の形を描いていた。


斜光


novel / next

141:斜光 (斜めに差す光) ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.04.23    up date  08.05.04
さて、二人が見ていた映画は何でしょう?