Colorful

:12



―――おかしい。
自分の周囲を包む夜の中、は胸の中でそう呟く。おかしい、コンビニから自宅のアパートまではこんなにも長い距離だっただろうか。重いを通り越して痛いほどの沈黙が、自分とティエリアの間に横たわっている。1,2歩前を歩く彼の表情を、が窺うことはできない。できないけれど、その華奢に見える背中から何の遠慮も配慮もなくだだ漏れになっている怒気は、その表情を想像させるに十分すぎた。きっと今ティエリアの顔を真正面から見たら、額にツノが見えるに違いない。もしくは、キバ。あるいは、両方。

・・・・はぁ。
知らず、漏れたため息が闇の中に消えていく。ティエリアと一緒に歩くコンビニまでの道のりはなんて短いんだろう――そう思ったのはほんの20分前の話のはずなのに、にはもうとてもじゃないが信じられない。一歩を踏み出すごとにがさがさ音を立てる買い物袋が異常なまでに重い。なんだかここまで、最低でも1キロは歩き続けたような気にすらなる。振り返ったほんの100メートル後ろに、コンビニの煌々とした明かりを見つけてやる気が失せた。

あの、グラハム・エーカーというひとと別れてからティエリアの声を聞いていない。纏う空気を絶対零度に凍てつかせ、それだけで人を殺せそうな眼光鋭く、彼は口を噤んでいる。絶対にそうとは口にしないだろうし、認めないだろうが、彼は夜道を歩く自分に付き合ってくれたのに。・・もしかしてもしかしなくても、ティエリアを怒らせたのは自分だろうか。

「(――だとしたら、・・やだなァ)」

買い物袋をぶら下げていない右手で、左腕の肘あたりをきゅうと握る。自分がティエリアを怒らせるようなことをしたとは到底思わないし、そんなつもりはさらさらない。けれど明確に、彼は怒っている。は標準装備である無表情を除いて、ティエリアの怒った顔以外に呆れた顔や嘲笑、それにほんのわずかな苦笑以外を見た覚えがない。しかも圧倒的に怒った顔が多く、次に続くのは嘲笑だ。ろくなものではないと思う。けれど、ティエリアが怒っていたのには彼なりの理由があって、根拠があった。それは全てが同意できるものではなかったとしても、何の理由もなく自分に怒りをぶつけたりすることは一度だってなかった(不機嫌と無愛想は何度だってぶつけられたけれど)。はその点において、ティエリアを十分信用している。彼は信用するに十分足りえた。――だから、

「(・・謝るべき、かなァ)」

彼が自分のどこに怒りを覚えているのか理解しないまま謝罪を述べること、ただそれだけでも彼の不興を買いそうな気はした。けれど、もしも自分が謝ることでこの重苦しい空気が晴れるなら――自宅からコンビニに向かう道のりのような、あんな雰囲気が戻ってくるなら、それもひとつの手段だろうとは思う。

「・・・おい、」
「・・・・・・・・」
「おい、聞いているのか 

思考に割り込んでくる苛立ちを滲ませたティエリアの声。ハッ、と顔を上げた先には訝しげに眉をひそめ、鋭い深紅を湛えた美貌がある。ほとんど反射的に顔を背けてしまった後でしまったと気が付いた。これではあまりにも怪しすぎる・・・案の定、不愉快そうにその白皙が歪む。

「ごめん、聞いてなかった・・」

薄く、形のいい唇からため息が漏れる。ため息をつくと幸せが逃げるという話を聞いたことがあるが、自分といるとティエリアの幸せはマイナスを示すのではないだろうか。このわずか30分程度の時間に、ティエリアにつかせたため息の数をは数えられない。

「さっきの男、知っているのか」
「 “さっきの” って、グラハムさん?」
「他に誰がいる」

鮮やかな金色の髪に、芽吹いたばかりの草木を思い起こさせる若草色の瞳。ティエリアとは少し違った系統で、けれどおよそほとんどの人間が美形だと認めるに十分な容貌をした男の人。内に秘めた強い意思を感じさせる、はきはきとした声がひどく印象的だった。はバイト先での記憶を辿る。

―――・・あ、」
「知っているのか」
「知ってるっていうか、見たことがあるっていう程度。お客さんだったから」

すぅ、と深紅が細められた。

「・・・それで、どうするんだ」
「? どーするって、何を」
「・・っ、あいつのこと以外に何がある!」

突然声を荒げたティエリアに、は体を竦める。恐る恐る見上げた先で、決まり悪そうにティエリアが舌打ちをした。居たたまれない空気に、は逃げ出してしまいたくなる。

「・・別に、どーもしないよ。だって俺、あのひとのこと何も知らないもん」

あのひとだって、どうこうするようには求めなかった。ほとんど初対面の人間に次の行動を求められても、そんなのはただのエゴだとは思う。自分の言動に伴う結果を相手に求めるとき、少なくとも二つ以上の選択肢を用意するのは当たり前のことだ。それが用意されていない要求はただの八つ当たりやわがままに過ぎない。ヒロイズムに酔いたいなら他に対象を求めるべきだ。――それ以前に、いきなりあんな行動に出たあのひとを、自分如きがどうもこうも出来るはずがない。

「・・・それにしては、随分と考え込んでいたようだったが?」
「・・え、」
「俺の言葉が聞こえないほど、あいつのことを考えていたんだろう?」

とげとげしい口調に顔を上げる。出会った深紅は鋭い刃物を連想させた。近寄るな、と言外に訴えている。――・・違う、と思った。違う、そうじゃない。思わずティエリアの言葉を聞き逃すほど考え込んでいたのは事実だけれど、それは本質ではない。


・・・というか、一体コイツはなにをイラついているのだ。さっきからいかにも “怒ってます” という空気をあたり一面にばら撒いて、突然怒鳴りつけたかと思えば、極めつけがただの勘違いか。ふざけるのもいい加減にしろよティエリアこの野郎。・・怒らせたと思って、散々考え込んだ私を、一体どこまでコケにすれば気が済む?

「おい、何とか言ったらどうだ 
「・・・がう」
「言いたいことははっきりと 「ちがうって言ってんだよ、ティエリアバカヤロぉおおお!」

睨み返した深紅は、驚愕に目を丸くしていた。

「俺が考えてたのはあのひとのことじゃねーよ、ティエリアの馬鹿!アホ!マヌケ!」
「・・っ、じゃあ他に何を考えていた!? 言ってみろ!」
「ッ! ・・・ヤダね。ティエリアにだけは、何が何でもぜってー言わない」
「ほう・・俺もなめられたものだな。覚悟はできているのか」
「そのセリフ、まんまバットで打ち返してやるよ」
「・・どうやら、手加減は必要ないらしいな」
「してくれなんて頼んだ覚えはありませーん」


―――数十秒のにらみ合いの後、吹きだしたのは二人同時だった。


くつくつと肩を揺らし、二人分のそれが共鳴するように大きくなっていく。閑静な住宅街に笑い声が吸い込まれて、体が軽くなったような気がした。続く道はほんのわずかだ。次の曲がり角を曲がれば、見慣れたアパートが見えてくる。

ようやく帰ってきたそれぞれの玄関先。鍵を開け、中に入ろうとしたティエリアに待ったをかけて、は袋の中からプリンを取り出した。ぐ、とティエリアにそれを押し付けて晴れやかに笑う。

「実は、これが最終目標でした」
「・・・なに?」
「牛乳、あと少しだけど まだもーちょっとあるんだな」

彼は驚いたように一瞬目を丸くし、そしてすぐその白皙に渋面を広げた。呆れた、というようにひとつ大きなため息をついて苦笑につなぐ。類稀な美貌は、それでも決して崩れない。眉間に刻まれる皺も、疲れたように伏せられる目もティエリアを飾る部品の一つ。

「付き合ってくれて、ありがとな。・・おやすみ、ティエリア」
「・・・、」

名前を呼ばれて振り返ったとき。頭を押さえられたと思うのと、額に何かやわらかいものが触れたと思うのはほとんど同時で、しかもそれはまばたきをするよりも短い時間のことだった。


誤解を生む温度


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019:誤解を生む温度 ...鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.05.05    up date  08.05.17
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