Colorful

:15



「いたらいたで騒がしいけど、いなかったらさみしいよなー」

自身の夕飯の後片付けをしながら、はぽつりと呟いた。無意識のうちに返事を期待していたらしい自分に思わず苦笑する。いつもなら、構えだのなんだのと足に絡み付いてくる真紅の猫は今いない。には3歳年下の友人がおり、この友人というのが若干16歳にして16歳とはとても思えない豊満な胸囲をたくわえ、それでいて非常にクールな美少女なのだが、ルークはいま彼女の自宅へと遊びに行っている。今晩の夕食はエビグラタンだと語った彼女の元へ、足早に去っていったのだからルークも現金なものだ。ちなみに彼女はルークが喋る猫であることも、とある条件が揃うことで人間の少年へと姿を変えることも知っている数少ない友人の一人である。

すべての洗い物を済ませ、じゃあ久しぶりにひとりの時間を満喫しようと缶チューハイに手を伸ばしたときだった。もしも今、リビングでテレビを見ていたら気付かなかったに違いない小さなノックの音。冷蔵庫を覗き込んでいた顔を上げて、は怪訝そうに玄関を見遣る。聞き間違いだといわれれば、納得しそうなほどかすかなそれ。

「・・誰か、いるんですか?」

誰もいないんだったらそれでよし、でももしも人がいたら。はじぃと玄関を見つめる。返事はない、ただの屍のようだ。――どこまでもくだらない思考に、我ながら失笑がもれる。一度閉めてしまった冷蔵庫を再び開けて、今度こそチューハイに指先が触れたときに、その声はの元へ届いた。

「・・・俺だ、」
――・・、ティエリア?」

今更、聞きまちがうはずのない隣人の声。けれど一度も聞いた覚えのない声音。大急ぎで開けたドアの向こうには、男のものにしてはやたらと細い首を折り、疲れ果てたように壁に寄りかかって立つティエリアの姿があった。紫苑の絹糸が、俯くティエリアの表情を覆い隠す。夜風になびくそれは、くたりとしなだれた彼を飾った。普段は窮屈そうに見えるくらい背筋を伸ばしているくせに、今はその覇気がない。すらりとした体格であることと線の細さから華奢にみえる彼を一層引き立てている気がする。今ならきっと、少なくとも6割以上がその性別を間違うに違いない。

「何、どしたの。風邪?」
「・・いや、」

相変わらず表情が見えない。彼の表情をかくす紫苑の髪をかきあげてやりたくなる。肩口で綺麗に切りそろえられた髪はきっと、枝毛の何たるかを知らないのだろう。夜のひんやりとした空気に遊ぶそれは、指に吸い付くようなつややかさを保っているに違いない。けれどそれは彼を形作る部品の一つで、本質ではない。決して揺らぐことのない本質は、紫苑の向こうにある鮮烈なまでの、

「・・少し、疲れているだけだ。――・・どうした、

ティエリアの髪に手を伸ばそうとしていた自分に戦慄とした。ようやく顔をあげたティエリアが、深紅に怪訝そうな色を浮かべている。完全に無意識から生まれた、生まれそうになった自分の行動が信じられない。たとえ無意識だとしても、言動には理由や根拠が伴う。は下唇を噛み締める。

「・・や、それよかティエリアだろ。なんかあった?」


浅ましいにも程がある――・・弱った深紅を 拝みたいなんて。


―― “なんでもない” は通用しないからな。なんかあったから、疲れてるんだろ?」

ティエリアは少し驚いたように深紅を丸くし、けれど次の瞬間には不愉快そうに表情をゆがめた。一文字に唇を引き結んで、居住まいを正す。いつものように背筋を伸ばした彼はもう、毅然と顔を上げていた。凛とした強さを垣間見せる深紅はきっと、 「余計なお世話だ」 と切って捨てることを一瞬だって躊躇わないだろう。たとえそれが強がりからくる虚勢でも、ティエリアにはそれを本物だと言い切るだけの傲慢がある。そしてだからこそ、彼は他人の手を必要としない。――・・だから、

「ティエリア、夕飯食べた?」
「・・まだだが」
「よし、じゃ食べてけ」
「・・・は?」
「残り物しかないけど、カップラーメンよか栄養あるはずだから」
「・・・・」
「はい、けってーい」



ルークは大概、出されたものに対して美味しいとか不味いとか、そういうことを言わない。 「いただきます」 と言ってから 「ごちそうさま」 と挨拶するまで(食事の挨拶もが徹底して叩き込んだ)、ルークが口にするのは今日彼の身に起きた様々な出来事で埋め尽くされている。そこに食事に対する感想なんて入り込む余地はない。けれどそれも、目の前のコイツよりはまだましなのかもしれない。

黙々と手を動かしているティエリアを目の端に留めて、は小さくため息をつく。テレビから聞こえてくる日中首脳会談の話題は、彼女の頭の中で咀嚼されずに通り過ぎていく。・・なんというか、ティエリアには “ごはんを食べる” という言い回しが似合わない気がする。例えば “食物を嚥下する” とか “栄養分を経口摂取する” とか、そういったひどく無機的な言葉。何度か彼と食卓を共にしたけれど、ついて離れなかった違和感はこれかとはどこか納得してしまった。ティエリアは確かに自分が作った料理を口に運んでいるのに、まるでサプリメントを口にしているように見えるのだ――作り甲斐のない奴だと心底思う。

ある意味、何かのお手本のように食事を続けるティエリアは、既に彼という人間に戻っている。それは背筋を伸ばす姿であり、毅然と顔を上げる強さであり、真摯に前を見据える誠実。けれどもし、その中に揺らぐ深紅があるのなら――はそれを見てみたいと思う。浅ましいと思うし、下劣だとも思う。けれどその思いは否定する隙を与えず、確かにの中にある。秀麗な無表情のしたにある、ほんの些細な感情のゆれ。喜怒哀楽のうちで “怒” ばかりが強い存在を訴える中、他のものはどこにあるのだろう。こおりのしたに春があるというのは、ほんとうだろうか。

「あ。ティエリア、麦茶のむ?」
「・・・・・」
「りょーかい。今持ってくる」

冷蔵庫の中を覗き込んだときに、その静かな声はの耳に届いた。

「・・あいつが俺の研究室に配属された」
「いやティエリア、あいつって言われても誰だかさっぱりわかんないから」
「・・グラハム・エーカー」
「・・・・・」

『この世に偶然はない、あるのは必然だけ』 ―― 最近借りた漫画の一文が、脳裏にくっきりと浮かび上がった。

「・・まじですか」
「事実だ」

それはその、なんというかお疲れ様です。
麦茶を満たしたコップを差し出して、自分を射抜く深紅には苦く笑う。 他人事のように言うな、誰のせいだと思っている。 地を這うような唸り声。ティエリアの怒りが表面に現れたわかりやすい兆候だと思う。眉間に深い皺を刻み、眉を吊り上げて、麗しい面立ちを凶悪にゆがめて吐き捨てる。もしもティエリアにルークと同じような耳があって尻尾があったら、全身の毛を逆立てて牙をむいているに違いない。そのくらい他の感情もわかりやすかったらいいのにと思う。

「毎日毎日、は元気かと聞かれる俺の身にもなってみろ! 寒気がする・・!」

本来の輝きを取り戻した深紅はやはり鮮烈で、憧憬をいだくのに十分だった。


贖罪の杯


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092:贖罪の杯 (しょくざいのさかずき) ...鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.05.08    up date  08.05.27
ぐらぐらするティエリアを書くのも楽しいけれど、ぐらぐらするヒロインを書くのも同じくらい楽しい。