Colorful
:18
「ねぇ、ティエリア。さん、深淵大に通ってるって本当?」
ぎし、と回転椅子がきしむ音がしてアレルヤがこちらを振り返った。まるで 「今日のAランチは豚のしょうが焼きならしいよ」 とでも言い出しかねない普通さで飛び出した名前に、ティエリアのほうが面食らう。今日の講義を終えて研究室に戻ってきたばかりのティエリアは、自身の席に荷物を置きかけたひどく中途半端な姿勢で動きを止めた。確かに、引っ越してきたその日にあれと良好な関係を築いたのは自分ではなく、アレルヤ・ハプティズムと刹那・F・セイエイだったが、アレルヤはそれきり会っていないはずだ。
「・・確か」
「そっかぁ、頭いいんだね。文系・・というよりは理系かな?」
部屋の隅に重ねられていた教科書類から、理系の学生であることは推察できるが、ただそれだけだ。それ以上のことを聞こうと思ったことなどティエリアにはないし、これからだってするつもりはない。
「・・さぁな。聞いたことがない」
夜10時過ぎにふらりと外を徘徊することを厭わず、奇妙極まりない猫を所有する隣人。あれについて自分が知っていることといえば、ああ言えばこう言う減らず口と 強い意思を秘めた漆黒
――あとは予想に反して、調理が不得手ではないことだろうか。がティエリアについてなにかを聞こうとしないのと同じように、ティエリアもについて聞かない。暗黙の了解があるわけでも、不文律があるわけでもない。おそらく聞けば答えるだろうし、聞かれれば答える。けれど、聞かない。別に、必要がないのだとティエリアは思う。ひどく曖昧で、けれど一定の間隔を保ち続ける距離感。互いにとってベストな距離を、わざわざ壊す必要などどこにある?
「失礼する」
「あれ、刹那。どうしたの、珍しいね」
「・・なぜ君がここにいる、刹那・F・セイエイ」
ノックをひとつ、入室の許可を与えるより先に顔を出した刹那に、ティエリアは眉をひそめる。何度注意しても直る気配のないその悪癖に対してもそうだが、なにより今日は平日だ。この大学附属の高校に通っている彼が、平然とここにいるのは普通ではない。
「今日の授業は終わった。俺はただ、アレルヤに本を返しに来ただけだ」
「なんだ。それだったら、ロックオンに渡してくれてよかったのに」
「・・借りたのは俺だ」
だから自分で返すのが当然、というのがきっと言葉尻につくのだろう。無表情でしかも言葉少なな子供が本当に言わんとしていることを理解するのは、これでなかなか手間がかかる。出会ったばかりの頃は、同じ言語を使用しているのかさえ疑わしいと思うこともあったほどだが、今は無駄に口を開かない刹那の姿勢はティエリアにとってちょうどいい。子供と自分との間にある沈黙は、余計な気を煩わせることのない平穏だ。
「・・は、ここの学生なのか?」
けれど今回ばかりは、この子供の意図が読めなかった。
「いや、違うが。・・なぜだ」
「を見かけた」
「・・・なんだと?」
「あ、そうそう。僕も見かけたよ、さん」
――・・だったらそれを早く言え、アレルヤ・ハプティズム! ティエリアは怒号を飲み込む。
「金髪のやたら目立つ男と二人で歩いていた。・・の男か?」
わ、駄目だよ刹那。そんな言葉遣いしちゃあ!
確かに刹那からなんだかひどく俗っぽい言葉が飛び出した気はするが、それに頓着しているヒマなどティエリアにはなかった。座ったばかりの椅子からおもむろに立ち上がり、ツカツカと研究室の出入り口へ向かう。不思議そうに首をかしげている二対の視線がわずらわしいことこの上ない。前々から悲鳴をあげているちょうつがいに対する配慮など、念頭から抜け落ちていた。ドアが閉まる直前、ティエリアは刹那を睨んで吐き捨てる。
「
――・・断じて違う!」
イライライライラ。華奢に見える体躯から不機嫌を辺りにばら撒いて、ティエリアは構内をあちこち走り回っていた。あれとあの男の組み合わせなど、とんでもなく人目を引きそうなものだが見つからない。せめてどの辺で奴らを見かけたのかだけでも、刹那・F・セイエイから聞きだしておけばよかったと思っても遅すぎる。どう考えても一番下手な手に出たという自覚が、ティエリアの不機嫌に拍車をかけていた。
咄嗟にカバンから持ち出した携帯電話だけは手の中にあるが、それが意味を持たないことに気付いたのはついさっきだ。ティエリアとは、互いの連絡先を知らない。何事においても携帯の番号とメールアドレスの交換が先に立つ現代で、彼らの間に通信手段はない。舌打ち交じりに携帯を取り出し、メモリーを辿ろうとしてようやく、ティエリアはその事実に気が付いた。あれと連絡が取れないことに不便を感じたことなど一度もない、だからこれまで気付かなかった。連絡を取ろうと思ったこともないのだから当然だ。
――用があるなら隣のドアをノックすればいい、ただそれだけのこと。連絡先の交換なんて、微塵も思いつかなかった。
立ち止まり、息を整えながらティエリアは舌打ちをくれる。それがまさか、こんなところで仇となって返ってくるとは! 第一、この大学にいるはずのないあれがどうしてここにいる? 刹那の見間違いではないかと疑りもしたが、妙なところで目聡いというか動物的な察知能力を発揮する子供のことだから、きっと事実なのだろう。アレルヤの話もそれを裏付けている。 “金髪のやたら目立つ男” ・・それが誰を指しているかなんて、思い当たりがありすぎて吐き気がする。まるでそれ自体が固有名詞であるかのようだ。
「・・・くそッ」
そもそも俺は、どうして奴らを探している
――?
湧き上がる疑問に蓋をする。奥歯を噛み締めて、くだらない思いに唾を吐きかける。だいたい、あの馬鹿が考えなしなのだ。あの時あんなことをされておいて、言われておいて、どうしてまた奴と一緒にいる?
「
――・・おい、」
「・・ぇ、あ・・は はい!」
「髪の長い・・女のような男を見なかったか。グラハム・エーカーでもいい」
「・・・ぇ、と エーカーさん、なら さっき、A棟のカフェで 「そうか」
ティエリアは、自身のあずかり知らぬところでかなりの有名人であることを知らない。
「の男か?」 という万死に値する刹那・F・セイエイの発言はしかし、的を射ていた。テーブルを挟んで向かい合い、楽しげに談笑する奴らの姿は、ティエリアの予想通りひどく人目を引いている。ガラス越しに、しかも行き交う人の流れの間から垣間見たわずかな時間。傍から見てもはっきりそれとわかるほど、やわらかい慈しみをこめた若草色と、心底楽しそうにチラリと笑みをのぞかせる漆黒。
「あ、あれってエーカーさんじゃない?」
「ほんとだ。・・もしかして隣のって彼女、とか?」
「うわぁ、絵になるー!」
――そうか、あれも ああしていると女に見えるのか。
ティエリアは知っている。認めたくなんてないし不愉快極まりないことだが、自分といるとあれが常にも増して男と勘違いされやすいことを。いつものことだとへらへら笑うが真実どう思っているのか、ティエリアには知りようがない。あれはいつだって、最後の最後で決して本心を気取らせない。
「!」
人垣が割れた一瞬・・・夜の底のような漆黒と、視線がかち合った気がした。まるで磁力で引き寄せられるように、鍵が鍵穴にカチリとはまるように、歯車が正しくかみ合うように。周囲の音も、人々の存在も、すべてがモノクロの背景に溶けていく。
――ティエリアは踵を返して、今来た道を歩き出す。あれとの距離は今がベストだ、それをわざわざ壊す必要がどこにある?
噛み締めた唇から、鉄の味が広がった。
至上の薄ら氷
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111:至上の薄ら氷 (しじょうのうすらひ) ...鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date 08.05.10 up date 08.06.03
ティエリアが書きやすくてどうしようかと思う。