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Colorful

:20



じゃあ俺、この辺で待ってるから。
ひらひらと手を振るそれに背を向けて、ティエリアは足早にその場を去る。建物の中にはいり、自身が人ごみに紛れたのを確認すると思わず、安堵の吐息が口から漏れた。冷たい壁に背中を預けて天井を仰ぐ。目に入った室内灯の、無機質な白さがちょうどよかった。太陽の光は、ティエリアにとって眩しすぎる。

どくどくと心臓が煩い。血脈がまるで踊るように、自分の中で強く波打っている。指の一本、毛細血管のその先にすらあつい血潮が送られて、余すことなく細胞の一つ一つに染み渡っていく。じわりじわりと体中を侵食する熱、喉笛を押さえつけられたような息苦しさ。リノリウムの廊下を見下ろして、ティエリアは下唇を噛み締めた。血の味が口の中に滲む。

「・・・どうして、私が・・っ」

どうして自分がこんな思いをしなければならない? 彼らを見つけたときの身が焼けるような焦燥と、ふわふわ笑う漆黒の先にあるのが金色だったことへの失望。息を吸うことも吐くこともできない時間に心臓が焦げる。あつい。くるしい。どうして。わからない。しらない。くるしい。いたい。くるしい。

――・・ッ」

理由なんか知らない。どうしてかなんてわからない。あれはいつもと変わらず、へらへらした笑みを浮かべているに違いないのに、どうして俺が。こんなわけのわからない、得体の知れないものを持ち込んだのは、間違いなくあの女なのに、あれはいつもと変わらない。いつもと同じようにへらへら笑い、口先だけで言葉を紡ぐ。決して本音を悟らせない慎重さで。・・声の出し方すら忘れさせたのは、あの女なのに!

――・・わかっている。なのに振りほどけない。突き放せない。隣を歩いている人間の声さえ聞き逃してしまいそうなざわめきに満ちた場所で、それでもあの声を耳が拾い上げた。一音だって雑音に途切れることなく、ひどくクリアに、どこまでもはっきりと。その声が聞こえてくるなんてゴマ粒ほども予想していなかったにも関わらず、まるで当然のような顔をして自身の中にすとんとおさまったそれ。

やっと見つけた、というあれの言葉が体に沁みて、次の瞬間 熱に変わった。自身の服を掴む手を払おうとして、けれど腕が動かなかった。自分のものであるはずなのに、自分のものではなくなっていた体。意思と行動が一致しない。気持ちが悪かった、ただひたすらに。

自身の髪に指を絡ませる。 “自分” に直接属するものの中で唯一、冷たさを維持している紫苑に触れながらティエリアは瞼を閉じる。ゆるゆると吐き出した息が、熱っぽさを帯びている事実に自嘲した。まったくもって意味が分からない。自分は一体何をやっているのだろう。吐き出す息に熱をのせて、代わりに体を冷ましていく。まるで波が引いていくように静かになる心音と息苦しさ。ゆっくりと瞼を開ける。目にうつる世界は変わらない、何一つとして。―――なぜかそのことに、ひどく安堵した。



「ああ、ティエリア おかえり。さんとは会えた?」

見慣れた研究室の扉を開けてすぐかけられた言葉に、ティエリアは不愉快そうに眉間に皺を寄せる。これがロックオン辺りにかけられた言葉なら、うるさいと切って捨てることもできるのだが、アレルヤだとそうはいかない。奴の言葉はからかいや皮肉なんてカケラも含まない純度100%の本心で、だからこそ扱いづらい。返事が少し滞ったのを見咎めて、アレルヤは心配そうに眉を寄せた。 「・・会えなかったの?」

「・・問題ない」
「そう、よかった。どこで見たのか、とかティエリア全然聞かなかったから、会えるか心配だったんだ」

――例えば。
例えば今、自分の前でほえほえ笑うアレルヤ・ハプティズムなら、あのわけの分からない気持ち悪さが何なのか、答えてくれるだろうか。ティエリアは自身を無能な人間だとは思っていないが、万能ではないことを知っている。彼にないものを自分が持っているのと同じように、自分にないものを彼が持っていることを理解していた。永遠にも思えたわずかな時間、自身の思考を 意思を 感覚を、すべて席巻していった熱が一体何なのか。彼なら答えをくれるだろうか。

「・・ティエリア、大丈夫? 顔色悪いけど・・・」
――・・問題ない、大丈夫だ」

下らない。ティエリアは自身の考えに唾する。他人から与えられた答えに意味はない。

「悪いが、先に上がらせてもらう。ロックオンに伝えてくれ」
「うん、わかった。さんによろしくね」
「・・・ああ」

自身の机からカバンを掴み、くるりと踵を返したティエリアはその背後で、アレルヤがわずかに驚いたように目を丸くし、そしてひどく嬉しそうに笑ったことに気付かなかった。夜空に浮かぶ月のような銀色の瞳をにっこり細めて、アレルヤはまるで自身のことのように満足気に微笑む。 ねぇハレルヤ、ティエリアはどうも最近、優しくなったと思わないかい? 双子の片割れは 「ハッ、バカ言ってんじゃねぇよ」 と取り付く島もなく言いそうだが、きっとロックオンなら分かってくれるに違いない。――アレルヤを窓口にしてロックオンを経由し、ひいては刹那にまで話が筒抜けになっている事実を、ティエリアはまだ知らなかった。

「じゃあね、ティエリア。また明日」

やたら機嫌のよさそうなアレルヤの言葉を背に受けて、研究室の扉を閉めたときだった。廊下でばったりと出くわしてしまった金色に、ティエリアは不機嫌を隠そうとしない。けれどどうやら、それは向こうも同じであるらしい。ス と形のよい眉がひそめられ、若草色が不穏に閃く。

「手ごわいな、彼女は」

隣をちょうど、擦れ違おうとしたときに低く呟かれた言葉。ティエリアの足が止まる。

「元々そういう気質なのかそれとも、君がいるから手ごわいのか。さてどちらだろうな?」
「・・何の話ですか」

振り返った先で、グラハム・エーカーはくすくすと笑みを浮かべていた。ティエリアは思わず眉間に皺を寄せる。彼はその端整な面立ちを維持したまま、さもおかしそうに微笑を零していた。皮肉や嫌味はそこに垣間見ることは出来ず、ただ純粋に面白がるように。やわらかな光を宿した若草色に、ティエリアはかえってたじろぐ。

「なかなかに厄介だよ、彼女は」

同類か、なるほどその通りだな。
低い呟きを漏らして、なおも彼はくすくすと小さな笑みを零した。何か、得体の知れないものでも見るような目つきのティエリアに苦笑を零し、ゆっくりと笑みを終息させていく。ひとつ息を吐き出した後にはもう、その若草色はいつものものに戻っていた。春の日差しのようにやわらかで、けれど射抜くような鋭さを内包したそれ。

「すまないな、足を止めさせてしまった」
「・・・・・」
「待たせているんだろう? を」

――違います、とは咄嗟に口が動かなかった。

「・・そうだな、彼女に伝えてくれ。 “次は逃がさない” と」


胸に空いた空ろ


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129:胸に空いた空ろ ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.05.14    up date  08.06.10
あつい。くるしい。いたい。せつない。くるしい。くるしい。くるしい。