Colorful
:27
からだがとけるようなまどろみ。やみにしずんでいくいしき。全身をくまなく絡めとるそれに身を委ねて、このままずるずると眠ってしまえたら、どれだけ気持ちいいのだろう。は無意識の思考のなかでとろりと微笑み、そのぬくもりに額をすり寄せた。自分のものではないそれがひどく心地いい
―――・・え、あれちょっと待った。“自分のものではない” って、どういう意味だ。
「
――・・やっと起きたか」
目を開けた途端に飛び込んできたのはつややかな紫苑と、女のそれより整った横顔。まばたきを繰り返すたび、鮮やかな紫苑に睫毛が触れる。瞼に感じるくすぐったさに目を擦ろうとしてようやく、は自身の手が彼のシャツを握っていることに気付いた。ひゅ、と息を呑むと同時に手を離す。
「! うわっ、」
「馬鹿か貴様は。それまで掴まっていたものを急に離せば、落ちるのは当たり前だろう」
行動基準が反射神経というのも考えものだと、は唇を噛んだ。思わずしがみついてしまった背中のあたたかさに、返す言葉が浮かんでこない。鼓動がじわりと速度を変える。どうして今、自分はティエリアに背負われているのだろう。酩酊にとけようとする思考を奮い立たせていくら記憶を辿っても、ここに行き着いた経緯がさっぱりわからない。の記憶にある一番最後は、グラスに注がれた麦茶だ。
「・・ッ、いってぇ・・・」
「あれだけ一気にウィスキーを煽れば、そうなるのも当たり前だ」
こめかみを貫く、刺すような痛みに呻き声が漏れる。ずきずきと痛むそれは、首で支えることがひどく億劫に思えるほど重い。思考をめぐらせ、記憶を遡っていたのはほんの少しの間なのに、ただそれだけがどうしようもなくつらい。もうこれ以上、頭を使いたくない
――・・考えることを早々に放棄して、はそろりとティエリアの肩口に頭を乗せた。
「・・麦茶だと、思ってた・・・」
含んだ瞬間、口内に広がる芳香は圧倒的で、その甘やかで芳醇な香りは一気にを飲みこんだ。舌を伝って喉に流れ落ちるそれは、火傷しそうなほどにあつい。今なら火を吹けるんじゃないかと思ったその次の記憶は、黒一色に塗りつぶされている。
「愚かだな」
「・・・・・」
「だいたい君は、うかつな行動が多すぎる」
「・・返す言葉もございません」
世界を覆う夜の衣は、静寂も共に孕んでいる。背中を撫でる夜気のひんやりとした冷たさと、寄りかかる背中から伝わってくるほのかなぬくもり。はゆるゆると息を吐き出す。漂ってくる酒の匂いに、我ながら顔をしかめてしまった。
ティエリアが夜の中に一歩を踏み出すたび、世界が揺れる。酒気に冒された脳みそを悪い方向へ揺さぶるかと思いきや、そのわずかな振動がもたらすのは逆らいがたい眠気。こぼれそうになる欠伸をかみ殺し、小さく首を振る。どうした、と問う低い声は酩酊に溺れる頭の中にするりと入り込み、そしてゆるやかにほどけていく。つめたく冷やしたバニラアイスのように、ゆっくり静かにとけていく。
「うん、この状況の理由を説明してくれるとすごくうれしい」
「いくらなんでも、研究室に泊めるわけにはいかないという判断だ」
「・・だろーね、間違っても大学違うし」
今度は慎重に左腕を持ち上げて、手首の腕時計を確認する。時刻はもうすぐ11時
――どおりで周囲は静かで、夜の色が濃いはずだ。重力に逆らって、片腕を動かすことがひどく面倒くさい。普段、自分の腕はこんなにも重たく、鬱陶しいものだったろうか。
「寝オチした、ってことで間違いないですか」
「ああ。・・弱いのか、アルコール」
「んー・・嫌いじゃないけど、量はあんま」
そう答える間にも、まぶたが視界を覆い隠そうとする。のろのろと、ひどく緩慢なまばたきを繰り返して、沈み込もうとする意識に待ったをかける。殺しきれなかった欠伸が口から漏れて、世界の輪郭が涙で滲んだ。目尻にわずかな雫が溜まっているのを知覚しながら、けれどそれを拭うのも七面倒くさい
――ぼんやり考えている間にも、また一つ欠伸が漏れた。視界の端で、紫苑が風に舞う。
「・・寝ていろ。そのほうが煩くない」
「・・ティエリア、」
「なんだ」
これだけは、言わなきゃならない。
「
――・・ごめん。なんか、色々と」
すぅ、とティエリアの纏う空気の色が変わる。表情を変えない横顔は、月明かりに照らされてどこまでも美しい。
男だろ、覚悟決めろよ。
そう告げたときのティエリアの表情を、は忘れていない。ぐらぐらと覚束無い酩酊の奥にあっても尚、驚愕と不審、それに嫌悪を複雑に混ぜ合わせた実に奇妙な表情を覚えている。元々の土台が綺麗にできているだけ、ティエリアはひどく綺麗に表情を歪める。怒りや蔑みという負の感情ですら、その秀麗な面立ちにかかれば多少変わった飾りの一つ。
言葉もなく、唖然と立ちすくんだティエリアの胸倉を掴まえて、はアレルヤ(スメラギ?)から下されたミッションを遂行した。誰かが、そうあるようにと意図して作ったとしか思えない整った鼻梁にかっぷり噛み付く。離れようとするよりもはやく、他の誰でもないティエリアに突き飛ばされては笑った。凄烈な輝きを灯した深紅を見上げて笑う。ぺろりと口唇の端を舌で舐めて。
「ゴチソーサマ」
「・・まったくだ。どうしてあんなことをした」
「めーれーだったから」
ごつん、という音を立てて、酩酊を泳ぐ頭に衝撃が奔り、程なくして鈍痛が襲いかかってくる。両手を使えない代わりに、自身の頭で制裁を加えるとはなんたる女王様気質! 普段なら大したことないだろうに、酔いの回った脳みそにその一撃はあまりに重い。ぐわんぐわんと遠くのほうで耳鳴りがする。
「だからといって、本当にする馬鹿があるか」
「・・だってそういうゲームじゃんかぁ」
「煩い黙れ」
理不尽だ。私はただ、アレルヤ(スメラギさん?)の命令を実行しただけなのに。あのくじが公正なものだとは思えなかったけれど、あの場にいる限り、やらないわけにはいかなかっただけなのに。ティエリアはKYだ、空気を読めなさすぎる。“断固として拒否する” くらいならいっそ、怒鳴り散らすくらい嫌悪をあらわにすればいいのだ。突き飛ばすくらいなら、頬を張るくらいのことをすればよかったのだ。握り締めた拳を震わせながら、戦慄するほどの怒りで深紅を染めながら、けれどその最奥に、まるで我を張る子供のような表情を一瞬滲ませるなんて。放っておけばいいのに、酔いつぶれた自分を背負って帰るなんて
―――理不尽だ、義理も人情も神も仏も血も涙もない氷の女王を地でいくくせに、背中があたたかいなんて。そんなの理不尽だ。
「子供は寝ていろ」
その言葉にいざなわれるように、思考が夜の底に沈んでいく。どっちのほうが子供だよ、という言葉はの口の中で言葉にならず、むにゃむにゃと宵闇にとけた。心地よいまどろみのなかでとろりと微笑む。
――そうだ、明日はカレイの煮付けにしよう。生物の形が残っているから、というわけの分からない理由で焼き魚に手をつけないティエリアが、ギリギリ食べることのできた数少ない魚料理。うん、我ながらなかなかいい考えだ
――・・はちみつ色をした、あたたかくてやわらかいまどろみにとけていく。
くらがりのひだまり
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くらがりのひだまり / ジャベリン
writing date 08.06.14 up date 08.07.08
自分で歩けと言わない彼と、自分で歩くと言わない彼女。