Colorful
:29
老朽化と八つ当たりを一身に浴びた研究室のドアは、ちょうつがいの部分がキィキィ悲鳴をあげている。“開け閉めは静かに!” と書かれた張り紙は古くなって変色し、四方がくるくる丸まっていた。効力のなさはたまにしかここに顔を出さないハレルヤにも明白で、今だって力任せに閉められたせいでドアは軋んだ音を立てている。おそろしく分かりやすい不機嫌を貼り付けた白皙が今しがた出て行った扉の向こう、二つ分の足音が遠ざかるのをなんとなく耳に留めながら、ハレルヤは口を開いた。
「ふーん・・。話にゃ聞いてたが、変な女だな」
彼の前に置かれたアイスコーヒーには、角が取れてまあるくなった氷がぷかぷか浮いている。それを手に持ったストローでつつきながらごく当然のように呟いたとき、「ハレルヤ、」 と咎める柔らかな声が届いて、彼はわざとらしく肩を竦めた。我が兄上のことながら、アレルヤは妙なところで融通が利かなくっていけない。けれどそれを本人に言ったことがないのは、「だったら君は、その憎まれ口をどうにかしたらどうだい?」 とシャラポワも真っ青なリターンを決められるためである。情けないことにハレルヤは、たった数分先に生まれただけの兄に頭が上がらない。
「アレルヤ、俺にもコーヒー」
冷蔵庫を開けたアレルヤはそのままで振り返り、アイスコーヒーをストローでつつくハレルヤに苦く笑った。
「君のその手にあるのはコーヒーじゃないのかい?」
「るせーな、欲しけりゃやるよ」
ふい、と面白くなさそうに顔を背けた弟が、実のところ甘い物好きというのはアレルヤだけが知る事実だ。アレルヤは率先してお菓子を食べないが、たまに目に付いて買って帰ったりしても、次の日にはゴミ箱の中でくしゃくしゃになっていたりするし、バイキングなんかではたらふく食べた後、アレルヤがのんびりお茶を啜るころになってお皿一杯のケーキを取ってきたりする。ハレルヤに言わせると 「なんでこんな美味いもん食わねェのかわかんねー」 上に 「バカじゃねーの、甘いもんは別腹」 であるらしい。
「いつものでいい?」
「おー」
本当はブラックのアイスコーヒーよりもミルクたっぷりのカフェオレのほうが好きなのに、ハレルヤは外では絶対にアイスコーヒーを頼む。今こんなふうに閉鎖した空間であるなら話は別だが、ファミレスに二人で行ったときとか喫茶店でぼんやりしているときとか、そういうときにもハレルヤは絶対カフェオレにはしない。「イメージってもんがあんだろ、イメージってもんがよ」
――― アレルヤにも大概、かっこつけだといううっすらした自覚があるが、ハレルヤのそれは見栄というよりも、もはや意地に近い。氷が溶けて、ぼんやりと透明な水の層ができたアイスコーヒーを受け取り、アレルヤは苦笑を滲ませた。
「失礼する」
たったひとつのノックの後、返事を待たずに研究室の扉を開けたのは刹那だった。辞書を片手に英語の論文を読みすすめるアレルヤの傍らで、ハレルヤはさんざんな目に合わされたエクシアのデータを上書きすべくミッションをクリアする。「エクシア育てるのは俺だからな、絶対やるなよ!」 そう言われたら、やりたくなるのが人情だ。
時折ぺろりと唇の端を舐め、金色の瞳を爛々と輝かせてゲームに勤しんでいたハレルヤはしかし、不意の来訪者にパッと顔を上げると、半分くらいまで減っていたカフェオレの残りを一気に流し込んだ。上斜め45度を見上げたハレルヤの喉が、ゴッゴッ、とひどく豪快な音をならす。それをほとんど呆れたように見守っていたアレルヤの机に、その空になったグラスを置いたとき、本棚の向こう側にいた刹那がひょっこり顔を出した。
「よォ 刹那、久しぶりだな」
「・・ハレルヤか、珍しいな」
我が弟君のことながら、あれだけ豪快な一気飲みのあとで至極平然と片手をあげて見せるのだから、ハレルヤは筋金入りの意地っ張りだ。
「ロックオンは・・・いないようだな」
「うん、さっき教授室に呼ばれて。どうする、刹那。待ってるかい?」
「・・ああ。そうさせてもらう」
麦茶でいい?、と尋ねるアレルヤに無言でうなずいた刹那はいつものように、そのへんの空いた席に座ろうとして、けれど自分を測るように注がれる金色の視線に顔をしかめた。以前よりは随分マシになったとはいえ、刹那の表情は今だって無表情がデフォルトだ。わずかにひそめられた眉と、きゅ、と引き結ばれた口元の変化は、実際そんなにわかりやすいものではない。
「・・・何の用だ、」
だから刹那の声音には、得体の知れないものに対して警戒心を滲ませる小動物のような気配があった。
「いーのかよ、牛乳じゃなくて。しっかりカルシウム摂らねぇと、いつまでたってもチビのまんまだぜ?」
「・・・・・・・・」
「ハレルヤ! 気にしないで、刹那。そのうちすぐ大きくなるよ」
いや、そのセリフはフォローになってねェんじゃねーか?
むっつりと唇を引き結んで足元に視線を落とした刹那と、自分の発した言葉の意味を深く考えず、おろおろと右往左往しているアレルヤのコンビは放置しておくに限る。この二人の間で交わされる言葉のキャッチボールは、お互いが微妙にずれた方向に投げているにもかかわらず、グローブにひっそり収まっていたりする不思議があるのだ。ハレルヤはつい反射的に浮かんだツッコミを飲み込み、PURSEのまま止めてあったゲームに視線を落とした。
「・・アレルヤ、やっぱり牛乳にしてくれ」
「うん、わかったよ 刹那」
――言うだろうとは思っていたが、やっぱり言ったか。ハレルヤは小さく笑う。
「が来ていたのか?」
「あ、もしかしてティエリアとすれ違った?」
「ああ」
そういえば、確か刹那もあのお姫サマの引っ越しを手伝わされたんだと、アレルヤに聞いたような覚えがある。ということは、あの変り種と知り合ったのは自分が一番最後になったというわけか。それはどことなく、惜しいことをしたような気がする。あんな風に他人の世話を焼くティエリアを、ハレルヤは初めて見た。
「なァ、あいつらデキてんだろ?」
―――ハレルヤのその質問に対して、目の前の二人は数秒の間ぱちぱちと瞬きを繰り返し、そしてほとんど同時に、こてん、と首を傾げた。
「? なにを、言ってるんだ?」
「え、・・は? や、だからあいつら、」
「そうだよハレルヤ、突然何を言ってるんだい?」
「・・はぁっ? いやいやいや、だからあいつら付き合ってんだろ?」
心底わけが分からない、というように大きな瞳をきょとんと瞬かせる刹那と、目の前に鏡があるのとほとんど変わらないような容姿をしていながら、ぽかーんとひどく間抜けな表情を浮かべるアレルヤ。ハレルヤは自身の頬がひくりと引きつるのを感じた。「刹那、知ってる?」 「・・知らない」 コイツらの目ン玉はまさか、ガラス玉か何かでできているんじゃないだろうか。・・いやむしろ、そうであってくれたほうがよかったかもしれない。こめかみに奔る痛みに、ハレルヤは思わず手を当てる。
「・・ねぇ ハレルヤ、ティエリアとさんは・・・」
「あー・・いや、うん。お前らが知らねェんだったら、多分違うんだろ。俺の勘違いだわ」
「・・・そう?」
「おー。混乱させて悪かったな、今のは忘れろ」
なんとなく。なんとなくハレルヤは、ティエリアに同情してしまった。
ふたりの童話
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ふたりの童話 ... ジャベリン
writing date 08.07.07 up date 08.07.15
ハレルヤはストローがじがじしそう。この3人が絡んでたらきっとかわいい。そして私が楽しい。