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Colorful

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「・・・こりゃまた、珍しいというかなんというか、」

テレビ画面から目を離し、机の上のポテトチップスに手を伸ばしたときに、ようやくは気が付いた。DVDから再生される音声が、ぎりぎり聞き取れるか取れないかぐらいまで音を絞り、口にくわえたポテトチップスを慎重にかじる。レポート提出に今日まで追われていて睡眠が足りていないというのは確かに本人から聞いたが、今夜がヒマなら付き合えよと強引に引きずり込んで1時間弱――どうやら、奴の疲労は言葉通り、限界を超えていたらしい。

―――ティエリアは、机の上に肘をついて小さな寝息を立てていた。
絹糸のような紫苑の髪が、の無遠慮極まりない視線を遮る。出来うる限り気配を殺し、物音を立てないように細心の注意を払いながら、そっと顔を覗き込んでひらひらと手を振ってみる。

「ティエリアー・・? 寝てます・・・、ね」

もしかしてもしかしなくても、これはものすごく貴重なのではないだろうか。鮮烈な深紅はその姿を現す様子を見せず、ほんのわずかに聞こえる程度の呼吸に従って、華奢に見える肩がゆっくりと上下している。蛍光灯の光のした、紫苑がつくる影の中でもなお透き通るように白い肌。開けば嫌味とため息ばかりが飛び出してくる口は、薄く形のよい唇で封じられている。まるで女のそれのように長い睫毛は頬にわずかな影を落とし、は思わずしみじみと感嘆の吐息を漏らしてしまった。

「・・ほんとコイツ、キレーだな・・・・」

“人形のような” という比喩はきっと、誰よりもティエリアにふさわしいに違いない。その下に赤い血が通っているのかすら疑わしくなるような白磁の頬と、つややかな紫苑が作り出すコントラストは誰かの計算の元に成り立っていると考えるのが妥当のように思えた。長い睫毛に縁取られた目の下に、うっすらと浮かぶ隈が痛々しい。

はたと気が付いて視線を向けた先のテレビ画面は、何がなにやらさっぱりわけの分からないことになっていた。思わず顔をしかめ、舌打ちしようとするのを飲み込んではリモコンを手に取る。あさっての返却日までなら何度でも再生可能なデータと、きっと今しか見られない国宝並みに貴重な生データ――どちらを優先するかなんて、考えるまでもなく答えは出ている。

―――・・写真撮ったら、すげー高値で売れそう・・・」

無意識に携帯のありかを探ったが、もしもティエリア本人にそれが発覚したら携帯を二つに叩き折られるだけでは済まされない気がする。リスクのないハイリターンは元より信用していないが、あんまり高すぎるリスクを伴う賭けに踏み切る気もなかなか起きない。仕方ない、ここは脳という生きた保存領域にデータを保存するとしよう――そう、弱みを握るために。はにたりと口唇の端を吊り上げる。

こんなとき、絶対静かにしていられないだろうルークは、ティエリアの膝の上ですやすや眠りこけている。顔を合わせれば互いに威嚇しあっているが、それはとどのつまり、彼らが似たもの同士だからだろうというのがの見解だ。初めて出会ったその日、壮絶なバトルを繰り広げた彼らはしかし、互いを心底嫌ってはいないらしい。ルークは、自分の嫌いな人間が柔らかな毛並みに触れることを決して許さないし、ティエリアは嫌いな人間に目線の一つもくれてやらない。彼らはある意味で、自分の感情にどこまでも素直だ。

「無防備、だよなァ・・」

据え膳食わぬは男の恥とは、もしかしてこんな状況を言うのだろうかと考えて、は思わず笑ってしまった。 使い古されたその言葉には適さない、明らかな違いがあるにもかかわらず、あんまりにも違和感がなさ過ぎる。 “据え膳” 呼ばわりされたことに対して、ティエリアはきっと怒りをあらわにするだろう。形のよい眉を吊り上げ、鮮烈な深紅を怒りで飾って。けれどまぁ、口にしなければこちらの勝ちだ。

「・・寝てるときまで、眉間にしわ寄せなくてもいーのに」

自分は許されているのだろうか。この部屋で、健やか・・・とはお世辞にも言いがたい不機嫌そうな寝顔を晒せる程度に、私は彼に許されているのだろうか。―――もしそうなのだとしたら、それはどこまで?

腕を伸ばす。手を伸ばせば届く場所にある白皙の美貌。触れられる位置にある人形のようなかんばせ。

―――てゆーか、フツー寝る? 人ン家だぞここ・・・、」

小さな寝息を立てる一人と一匹が醸し出すのは、爪の先から髪の毛の一本まですべてをとっぷりと飲み込む怠惰。伸ばした手を戻しては口を覆う。漏れた欠伸をかみ殺す必要はない。あとはただ、足元から全身を飲み込もうとする溶けるような微睡みに体を預けてしまえばいい。

「(・・でも、じゃあなんで ティエリアのことおこさないんだろう・・・・・)」

夜に身体が飲み込まれていく。スキムミルクのような乳白色のそれに溶けて流れていく意識の中、最後に浮かんだ不思議はずぶずぶと深層に沈み、そして見えなくなった。



頭の奥にしつこく居座る眠気に、世界の輪郭がぼんやり歪む。血流が滞っていたせいで痺れのはしった片腕を振り、残ったもう片方の腕で目を擦った。目を覚ましたティエリアの視界に飛び込んできたのは、己が所有するものではない家具と、膝の上で丸くなる真紅の猫。一瞬にして晴れた意識の中でようやく、ティエリアは自身のしでかした所業に気付き、顔を引きつらせた。

「・・寝ていた、のか」

今、机に突っ伏して寝息を立てているは、ティエリアの記憶の中でDVDを見ていたはずだ。面白くないわけではなかったが、それよりも眠気が勝った。次第に回数の増える瞬きを自覚しながら、けれどじわじわと重くなる瞼をどうにもできず、ずるずると微睡みに沈んで――・・ティエリアは己の額に手を当てて、深いため息を吐き出す。こめかみに奔る頭痛は、おそらく気のせいではない。こんな所で寝るくらいだ、予想や実感以上に疲労は蓄積していたらしい。

自身の腕に頭をうずめて、それはすやすやと眠りこけている。DVDを見ると言い出したのは自分であるにもかかわらず、当の本人が視聴するのを放棄してどうする。もしかして下手をすると、明日の夜もこれに時間を持っていかれるのだろうか――降って湧いた嫌な予感に、ティエリアはもう一度ため息を吐き出した。もはや “予感” などという軽々しい言葉では間に合わない。これはほとんど “確信” だ。

「・・無防備だな」

へにゃりと口元を緩め、顔の筋肉をだらしなく弛緩させたその寝顔は、お世辞にも整ってなどいない。それなら、自分の膝の上で丸くなっている生意気極まりないこのバカ猫のほうが見ることができる気がする。ティエリアがただ一つ、“面白い” と思った漆黒は見えない。ひどく純粋に、つまらなかった。

「おい、起きろ。
「んー・・・ルーク、うるさい」
――・・俺とあのバカ猫を一緒にするとはいい度胸だな・・・起きろと言っている!」

びくん、と大きく体が跳ねた。周囲を見回してはようやくティエリアの存在に目を留め、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら急速に思考を取り戻しつつあるらしい。

「ティエリア、寝てたんじゃ・・」
「君もだろう」
「・・ティエリアについ釣られたんだよ」
「ものは言いようだな」
「・・・・・ちッ、こんなことなら本当に写メ撮っときゃよかった」
―――・・、」
「実際撮ってないよ、言っとくけど」
「・・見なかった振りをしてやろうかとも思ったが、かえってきみの名誉を傷つけることになるだろうから言っておく」
「な、なんだよ改まって・・」

「痕がついている、・・・よだれの」

カッ、と目を見開いて洗面所に駆け込んでいく背中に、ティエリアはわずかに口唇の端を吊り上げる。――口止め工作、ミッション完了。


解語の花


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008:解語の花 (花のように綺麗な人) ...鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.05.19    up date  08.07.19
眠るアーデさんの写真が欲しいのは、他の誰でもないこの私です。(水城さんネタ提供あざーっす!)