Colorful
:33
「すっげぇ、海だぁー!」
道幅のそう広くないこの県道が海につながっていることを、ハレルヤは知っていた。くねくねと曲がりくねった山道の先、目の前にいきなり広がる見渡す限りの青い海。周囲の緑は大きな葉の広葉樹からアカマツなどの針葉樹に変わり、バイクが走り抜ける空気は独特の潮っぽさを孕んでいる。「ほんとに海に出るんだろーなぁ、」 ひどく疑わしげに背中で呟いたを、きついカーブにかこつけて振り落としてやろうかとハレルヤは一瞬本気で思ったが、けれど最後の峠を越えたとき、彼の苛立ちは初夏の空気に溶けていった。
「ハレルヤ、海!海だ!」
「うっせーなぁ、んなもん見りゃわかる」
ここまでの道程で、木々の緑や赤茶けた土手ばかりを見ていたせいなのかもしれない。最後の峠を上りきったとき、突然目の前にひらける視界。空と海が絶妙なバランスで混じりあってできた透明な青、頬をなでるやわらかな潮風、耳元でうなりをあげる風の音。視覚だけではない、嗅覚や聴覚、すべての感覚器から取り込まれ、全身のすみずみに浸透していく海の存在。梅雨が明けて間もない日射しはまさしく初夏のそれで、深い青をした海の水面にきらきらと踊っている。それを認めた瞬間、じりじりと首筋を焼いていた日射しが気にならなくなるのだから不思議だ。しばらく呼吸の仕方を忘れていたらしい背中の存在が、思い出したように大きな吐息をつくのを感じて、ハレルヤは小さく笑う。「・・・海だぁ、」 バカの一つ覚えのようにそれだけを繰り返して、ばしばしとハレルヤの背中を叩く手に、彼はバイクのスピードをわずかに緩めた。
「んだよ、リアクション薄いぞハレルヤぁ」
「お前のテンションがおかしいんだろ」
通り抜けていく潮風に逆らって腹から声をだす。直後、背中にゴツン、という衝撃がはしった。肺から空気が押し出され、ぐらりとバイクが蛇行する。
「! テメェまじふざけんなよ!」
「すっげぇ、今のすっげー! ハレルヤもっかいやって!」
ハレルヤの腰に回された腕は、ためらいやその他の余計なものを微塵も感じさせない。実際、慣れないヘルメットをかぶってよたよたとバイクにまたがったはしかし、ハレルヤがいうよりも先にさっさと彼の腰に腕を回した。わずかな無駄もなく、ごく当たり前に。
―― 「お前さ、もうちょっと恥ずかしがったりとかねーのかよ」 街の中、信号待ちの間に聞いたハレルヤの問いかけに、はたっぷり10秒の沈黙を挟んでこう答えた。
「・・・・・・・・・・・・なんで?」
ハレルヤは存外、彼女のそういう無頓着を気に入っている。
海水浴シーズンというには、いささか早すぎることだけが原因ではない。砂浜ではなく、ごつごつした岩場ばかりの海岸は夏本番、海水浴シーズン真っ只中にあってもあまり多くの人を迎えない。夏休みを持て余した近所のガキが、イソギンチャクやウミウシをつついて遊ぶ姿が見える程度の閑散とした海岸に、季節を問わず、ハレルヤは時々足を運んでいた。思いついたとき、時間を持て余したとき。ごくごくたまに双子の兄、アレルヤを後ろに乗せて。
「ん、コーラでいいんだよな? ハレルヤ」
「おー・・・つかお前これ、振ったりしてねぇよな?」
「・・・・・うん?」
海にはそれぞれ、目的に応じた役割分担がある。バイクを道の端にとめ、ガードレールに寄りかかったハレルヤが釣り糸をたらしても、ここで釣れるのはせいぜい10センチに満たないメバルだが、場所を変えれば水着のおねーさんが釣れる。えさも釣り針も必要ないのだから、太公望も真っ青だ。
「・・・、お前の伊右衛門よこせ」
「やだ。コーラが飲みたいっつったのハレルヤだろ」
「それよか茶が飲みたい気分に変わったんだよ」
「ぶしゃーってなるからやだ」
「・・覚悟しとけよテメェ」
暇を持て余し、そこで偶然見つけたに声をかけたのはハレルヤで、海に行きたいと言い出したのはだった。手渡されたペットボトルのふたをひねった瞬間、ぼこぼことあふれ出る泡を海に向けてハレルヤは不愉快そうに顔をしかめる。背後でげらげら笑うアホにぶちまけてやろうかという衝動は、決して嘘ではない。
けれどその能天気なアホ面を横目に、目的地にここを選ぶのにまったくと言っていいほど悩まなかったことを思い出す。そうしてハレルヤは、女を後ろに乗せていくような海にしなくてよかったと心から思った。ハレルヤ・ハプティズム人生最大の汚点になるところだ。悔やんでも悔やみきれないに違いない。
「このバイクって、ハレルヤが買ったの?」
「あ? ・・まぁな」
はっ、まさかカツアゲ・・!? 口を両手で覆い、大袈裟な声を出した阿呆を殴った。勿論グーで。
「バイトして貯めた金で買ったんだよ! こんなもんカツアゲでどうこうできるレベルじゃねぇだろ」
「(まるで前例があるみたいな言い方しやがった、コイツ) バイトしてんの?」
「おー」
気の抜けたコーラほど不味いものはないと思う。のどを滑り落ちるシュワシュワした爽快感が中途半端に奪われたそれは、舌の上にべとつく甘さだけを残していく。チッ、と舌打ちをくれるハレルヤの横で、一口だけ飲んだ伊右衛門を手にはにたにた笑う。
――・・ふざけやがって。初夏の空気にさらされてふつふつと水滴を浮かび上がらせたそれを掻っ攫い、ハレルヤは一息に残りを飲み干した。やろうと思えば、500mlペットボトルの一気飲みなんて根性でやれる。
「・・・ハレルヤ、バイト何してんの?」
「あー・・・・・・・まぁ、イロイロとな」
「うわ、あっやしー。なんかイカガワシイ仕事とかしてんじゃないの」
「ここ、バス通るの1日に3本くらいならしいぜ。せいぜい頑張れよ」
「・・どうしよう、ハレルヤ」
「ぁあ? ンだよ、くだらねーこと言ったら振り落とすぞ」
「もうパンツまでびしょびしょに 「おめーはもちっと恥じらい持てや」
おや、そういえば東の空の雲行きが怪しくないか?
――どうやら気がつくのが遅かったらしい。広がる青に背を向けて走り出し、けれど街中に入ったあたりで降り出した雨は突然のどしゃ降り。バケツをひっくり返したような、という比喩がまさしく本当の雨は、バイクで疾走する彼らを容赦なくたたきつける。その被害を最小限にとどめようとしているらしいは、ハレルヤの背中にひっついて身体を小さく縮こまらせていた。往路とは大いに異なるコーナリングのしにくさに、ハレルヤは舌打ちを隠さない。
「おい、近くまで送っていってやるから案内しろ」
「・・まじ?」
「さっさとしろ、Uターンするのはご免だからな」
けれどハレルヤがの指示に従って大通りの角を曲がったとき。まるでコバンザメのように張り付いていたが、不意にピンと背筋を伸ばした。背中を打ちつける雨の冷たさに、ハレルヤは小さく身震いする。
「? おい、どうした 「ストップ!」
「ぁあ!?」
さんきゅハレルヤ、もうここでいい!
道の端に急停止(を余儀なくされた)ハレルヤのバイクからほとんど転げるように降りて、はヘルメットを外した。突然の変わり様に事態を飲み込めずにいるハレルヤにヘルメットを押し付け、じゃ!と手を振ったかと思えば、一目散に二車線の道路を横切っていく。
「
―――・・ティエリア!」
車道からの呼び声に振り向いた一つのビニール傘。雨の中にあっても癖一つない紫苑をなびかせて振り返ったそれは、濡れ鼠の姿を見つけてその白皙をおおいに引きつらせた。
――君はどこまで愚かなんだ! 怒鳴り声が雨の中、エンジンの音に負けじとハレルヤの耳に届いて、彼は思わず笑みをのぞかせる。びくりと肩を竦め、恐る恐るティエリアを見上げるにぺったりと伏せられた犬の耳と、哀しげに揺れる尻尾が見えた気がして。
の指差した先にいる自分をようやく認めたらしいティエリアは、その深紅に鋭い光を帯びる。秀麗な面立ちに嫌悪や不快を隠そうとしない剣呑の矛先が、わずかなぶれもなくぴたりと向けられているのを感知して、ハレルヤは唇の端をにたりと持ち上げた。アレルヤとは少し違ったニュアンスで、けれど奴らは確かに “微笑ましい”。ヘルメットの内側で、ハレルヤはひどく愉しそうに笑う。
「・・ガキが」
思春期パレット
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思春期パレット ... ジャベリン
writing date 08.07.01 up date 08.08.01
ハレルヤとバイクで海に行きたいという妄想の産物。