Colorful
:36
どろりと、指の先から体が溶け出してるんじゃないかと思った。あつい、べたべたしてひどくきもちがわるい。なのに寝返りを打つことすら億劫で、体の節々が鈍痛に呻く。熱に溺れた意識がゆっくりと浮上するのに伴って、こめかみが思い出したように痛みを訴える。まるでなにか、耳栓でもしているような不明瞭さで届く音が、ひとの声であることにはしばらくしてようやく気がついた。けれど、それはほんの少しだってに覚醒を促すものではなく、むしろさらに深い眠りへ導くいざないの声。頭の中にごく自然に入り込み、ひんやりとした心地よい冷たさを放ちながら静かに溶けていく。消えゆく声と同調するように、自分という器の輪郭がにじんで、ベッドに沈みこむような気がした。
その時、額に何か冷たいものが押し当てられて、は反射的に身じろぎした。思わず顔を背けようとすると、まるで羽根が触れるような軽やかさで目元をなぞるぬくもりがある。熱に融けようとする意識を精一杯かき集め、渾身の力をこめては瞼をこじ開けた。
「
――・・じぇい・・・・・・・・てぃえりあ・・?」
いびつに歪む視界のなかで、けれどその白皙はいつもと変わらなかった。眉間に深い皺を刻みながら、向けられる深紅には容赦がない。その形のいい唇の間からため息が漏れ、熱に浮かされた思考のなかで、ああ あれはきっと私のせいなのだろうとぼんやり思った。口の中にじんわり苦味が広がり、そこでようやく喉が渇いていたことに気付く。
「・・・・なにか飲むか」
―――この人はついに、読心術まで会得したのだろうか。朱音がぱちりとまばたきをする間に、ため息を一つ残したティエリアがベッドサイドから立ち上がる。ぐるぐるした思考のなかで、上半身を起こしながら周囲を窺う。・・間違いない、ここは私の部屋だ。おかしいのは自分ではない。
額の上にあった濡れタオルを渡し、かわりにペットボトルのアクエリアスを受け取る。舌がバカになっているのだろう、味はほとんど感じなかった。喉を滑り落ちていく冷たさだけが心地よく、は一口含んで、ほぅと息をついた。ふつふつと水滴の浮かび上がったペットボトルの側面を頬に押し付けて、表情を緩ませる。
「あー・・・・つめたくてきもちいー・・」
「熱が下がった感じはあるか」
ス、とごく自然に伸ばされたティエリアの手に、思わず体を引いた。熱に浮かされた頭ですら、しまったと思ったのだ。この距離で、意図せず滲んだ動物的な警戒心にティエリアが気付かないはずがない。整った眉がひそめられ、けれどが言い訳を口にするよりもはやく、まるで女のそれのように白くて長い指が額に張り付いた前髪を払って、ひんやりした手のひらを押し当てた。
「・・・・・まだ高いな」
―――このひと、手のひらで他人の体温を推し測るなんてことできたんだ。
閉じたまぶたの裏でぼんやり思う。思考の輪郭が暗さの中でほろほろと崩れて、すぐそこに待ち受けていた睡魔に意識は簡単に絡め取られる。熱と眠気のせいか、まぶたの裏に浮かんだ画は眼鏡越しに見る世界のようにぐにゃりとゆがみ(は裸眼で、両目とも視力2.0を維持している)、聞こえるのは水の中で聞こえるそれのようにひどくへしゃげた音。
「・・おい、まだ寝るな」
汗の浮かんだ首筋にまとわりつく髪を取り払い、ティエリアの手が離れていく。わずかに触れた指先の冷たさが、肩に入った力を吸い取っていく気がした。今にも空気に溶け出そうとする意識をむりやり捕まえて、ゆるゆると首を振る。こめかみに奔った鈍痛には気付かないふりをした。
「薬を飲むためだ。食べろ」
ずい、と押し付けられたのはお椀につがれたお粥。さも今できあがったばかりであるらしいそれからは、ほこほことあたたかな湯気が立ち昇っている。ぱちぱちとまばたきを繰り返すだけで受け取ろうとしないに焦れた様子で、ティエリアは小さな舌打ちを漏らしながらそれをさらに押し付けた。
「・・・食欲、ない」
「そんなことは聞いていない。食べろ」
「・・・・・・・・・・・・・おなかすいてない」
「・・自分で食べるのと無理やり食べさせられるの、どちらがいいか選べ」
そんな選択肢を望んだわけじゃない。むっつりと口をへの字に曲げて押し黙り、無言で選択肢の撤回と変更を求めても、どうやら目の前の女王様には通じていないらしい。なんて都合のいい読心術だろう、声に冷ややかな鋭さが滲んでいる。
「後者の場合、その口をこじ開けて粥を流し込むのと口移しの二通りがあるが」
「・・・・・・・・・・・・・」
おいしくない、それが自分で自分で自分でお粥を口に運んだときの第一印象だった。ティエリアの料理の腕云々というはなしではなく、熱があるせいだ。どろどろしたゲル状の液体のなかに、米の残骸が舌の上でざらついた感触を残していく。塩気があるだろうになぜか苦く、なかなか喉の奥に消えていかない。二口だけ口に含んで、「もう食べた」 とお椀を突き返してやろうかとも思ったが、今のティエリアには冗談が通じない気がしてやめた。
「・・・バカ猫なら、あそこで眠っている」
深紅の視線の先で、まあるくなっている愛猫。誰がここにティエリアを呼んだのかなんて、考えるまでもなく答えは出ている。時計の針はもう9時をとうに越えていた。こんな時間に彼を呼びつけたのなら、ルークに口止めしたのはむしろ逆効果だったのかもしれない。秀麗な白皙からは、表情を読み取れなかった。
「
――・・ありが、とう」
「・・フン、礼ならあのバカ猫に言うんだな」
のそりのそりとなぜだか苦いお粥を完食し(見張られながら食べる食事ほど、気まずいものはない)、空になったお椀をティエリアに渡す。中身がきれいになくなっているのを確認し、当然だと言わんばかりにひとつ息を吐いたティエリアは、「薬をとってくる」 とだけ言って立ち上がり、
「
―――・・おい、何をしている」
「・・・・・・・・・・・へ?」
キッチンへ向かおうとしたティエリアはしかし、半身だけ振り返って訝るように眉を寄せた。宝石のような深紅には、困惑とわずかな苛立ちが揺らめく。・・急にどうしたんだろう。きょとんと首を傾げたは、その深紅の先をゆっくり辿り、そして大きく二度ほどまばたきをした。
「・・・・・・・・・・・うわぉ」
ティエリアのシャツの裾を、病人のそれのような青白い手が握っていた。その見慣れない腕が自分のものであるのに気付いたのは、数日前、ルークと繰り広げた派手なケンカのときにできた引っ掻き傷を見つけたからだ。腕の神経が、頭の、思考の中枢とつながるのにかかった時間は約五秒。パッとシャツを離し、ひらひらと手を振って見せた。時間をおいて、つかんだシャツの感触が頭に流れ込んでくる。
「・・・や、ぜんぜんなんでもないっす」
――― 邪魔だ、と言われなかったことに対して、はひそかに感動した。
「薬を飲んでさっさと寝ろ」
渡された錠剤をアクエリアスで流し込み、言われるままに布団の中にもぐりこむ。汗になったTシャツを着替えたいと思ったが、ベッドサイドに座ったティエリアが本を広げてしまったために機会を逸してしまった。シャワーを浴びたいなんて言おうものなら、雷が直撃するような気がする。
――・・まぁ、寝てしまえば一緒か。首まですっぽり布団をかぶると、ひたひたと睡魔が近づいてくる音が聞こえた。
「・・ティエリアの、あしたのよてーは・・」
「講義がないとでも思っているのか」
「・・・ご、めん。
――あの・・も、だいじょぶだし・・・じかん おそいから、」
本から目を上げたティエリアに見下ろされ、はヒュッと呼気を呑んだ。鮮烈な深紅には容赦がない、言葉を続けようとしてのどが震える。氷のような冷たさを孕んだ深紅から逃げるように視線を逸らした。下唇をわずかに噛む
――これだから体調を崩すといけない。根幹が揺らげば、その上に成り立つものも総じて揺らぐ。・・見境なく、近くにあるものに縋ろうとする自分に吐き気がした。
「君に気遣われるとは、俺も堕ちたものだな」
額にのせられた冷たいタオルに、熱に溺れた意識が溶けていく。
「・・下らん手間をかけさせるな。さっさと寝ろ」
ゆるやかに毒
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ゆるやかに毒 ... ジャベリン
writing date 08.07.20 up date 08.08.10
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