Colorful
:37
「えええ、嘘だろ、これ・・ちょ、えええええ」
ロックオンやアレルヤをはじめとした、この研究室所属の学生とそのゆかいな仲間たちが悠々自適にたむろする学生控え室。エアコンも冷蔵庫も簡易コンロも電子レンジも湯沸しポットも調理器具も、奇妙に “かゆいところに手が届く” 品揃えは、あとシャワー室さえあれば自宅に帰る必要のない、知る人ぞ知る隠れ家だ。ティエリアももちろんその恩恵にあずかっているが、彼に付随する形で無償の楽園を堪能しているのは。この研究室に分属されるに従い、きちんと割り振られた机のあるティエリアと違って、彼の用事が終わるのを待っているだけの彼女は今、一つ机を挟んだ隣でぱらぱらと雑誌を捲っている。なんらかのプログラムが組まれたコンピュータの画面と分厚い参考書、それにノートを広げているティエリアは、何の配慮も遠慮もなく間抜けな声を発した彼女をにらみつけた。
「ご、ごめんティエリア! だってホラ、これってもしかしなくても 「ちーッス」
ノック?挨拶?何それ食えんの、と鼻で笑いかねない不遜さで、勢いよく扉を開けたのはハレルヤ。彼の数歩後ろで顔を青くしたのはその双子の兄である。扉にはその研究室に所属している学生の所在をおおまかに伝えるホワイトボードがぶら下がっているのだが、それに貼り付けられたマグネットがティエリアの在室を訴えているから当然だ。ハレルヤの破天荒なふるまいに誰よりもはやく機嫌を悪くするのはティエリアで、なぜかその不機嫌の矛先はハレルヤ本人ではなく、いつだってアレルヤに向かう。
「ちょ、ちょっとハレルヤ! よりによってティエリアがいるんだからもう少し静かに・・」
―――アレルヤは、自身のこういう言動がティエリアの神経を逆撫でしていることを知らない。
「あ? つーか、お前も来てたのかよ」
「おお、アレルヤ久しぶり!」
「・・・あいかわらず、いー度胸してんな」
回転椅子の背もたれ越しに圧し掛かり、ハレルヤはその長い腕を回してのほっぺたをつまんだ。背後からぐいぐいと体重を乗せてくるハレルヤに両手を振り回して抵抗するが、ノラ猫がいくら牙を剥いたところでライオンやヒョウに叶うわけがないのである。自身の攻撃が、大型肉食獣の前でティッシュ一枚ほどの攻撃力も持たないことを理解して、猫は思い切り表情をゆがめた。
「アレルヤ、俺アイスコーヒーな」
「わかってるよ、ハレルヤ。ティエリアとさんはどうする?」
部屋に入るなりに構いに行った弟を尻目に、アレルヤはやわからな苦笑を浮かべる。ハレルヤはいわゆる “広く浅く” 他人と付き合うタイプだ。アレルヤと比べてもずっと顔見知りが多く(派手な格好をした女の人にハレルヤと間違えて声をかけられるたび、アレルヤは弟の行動を心から恨めしく思う)、けれど本当はアレルヤよりもハレルヤのほうが人見知りをする。人の選り好みが激しい弟の言動の根底には、いつだって他人に対する無関心がある
――けれど今回、ハレルヤはいたく彼女を気に入ったらしい。愉しげに唇の端を持ち上げる弟に絡まれて、怒鳴り声を上げながらこぶしを振り回すに、アレルヤは心の中でそっと合掌した。
「「アイスティー」」
アレルヤの質問に対するティエリアとのぴったり重なった返答が、部屋の空気を一瞬止めた。そのあまりのシンクロ率の高さに二人は思わず視線を見交わし、ぱちぱちと目を瞬かせる。が、次の瞬間ティエリアの深紅には心底嫌そうな色が浮かび、ここが外であれば唾棄しそうな表情で、彼は視線を断ち切った。はそんなティエリアの反応に、ムッとしたように唇を尖らせる。
「うわ、あっちーなァおい。アレルヤ、ここクーラーついてんだろーなァ?」
「ぇえ? 十分涼しいと思うけど・・」
――ハレルヤの言葉に秘められた、本当の意味を理解するだろうロックオン、もしくはスメラギはあいにくの不在。ハレルヤはわざとらしく肩を竦めた。
「てかハレルヤ、これ何、そっくりさん? それとも自分ら、もしかして三つ子?」
鼻先に突きつけられたその雑誌に、ハレルヤは実に奇妙な顔をした。つまらなそうに眉をひそめて金色の瞳をふいっと逸らしながら、けれど口元はわずかな弧を描いている。「あー・・、それな、」 と歯切れを悪くさせたハレルヤの攻撃は不意に途切れ、はチャンスとばかりに自身の頬の肉をむにむにつまんでいる大きな手を払いのけた。天井を仰ぐように首を後ろに折って、背後のハレルヤを見遣る。
「もしかして兄さん、デルモとかやっちゃってんスか?」
「ンだよ、その聞きかじりな業界用語は」
にたにたした笑みを浮かべるにハレルヤは不愉快そうに眉をひそめ、けれど何かいいことを思いついたように金色の瞳を閃かせた。げ、と喉の奥で小さく声を漏らしたは彼の悪巧みに気付いたようだが、時すでに遅し、が体勢を整えるより先にハレルヤは仰け反らせている首に腕を回して、いわゆる裸絞め(バックチョーク)をきめた。かえるの潰れたような声がから漏れる、色気のかけらも見当たらない。
「ちょ、ギブ! ハレルヤギブ、ギブってば!」
「ッハ、いっそ落ちちまえよ」
「全力でパス・・ってか苦しい、ほんと苦しいよハレルヤぁ!」
ほんと仲良くなったなぁ、とふわり微笑んだアレルヤはしかし、足元から這い上がってくる妙な冷気に背筋をぞくりと震わせた。切れ長の銀目をまあるくし、きょときょとと周囲を見回すが第六感に訴えかけてくるような危険物は見当たらない。・・気のせい、かな。わずかに首をかしげ、けれど気を取り直して頼まれたアイスティーをティエリアの机の端に置く。「く、苦し・・ちょ、ハレルヤ、ほんとぐるじ・・!」 とその時、アレルヤはおでこにちくりとした痛みを感じて、そこに手を触れさせた。てのひらに落ちてきた見慣れた黒は
―――・・シャーペンの、芯? 顔を上げた先で、ティエリアの右手がカチカチとシャーペンの芯を押し出している。
「・・お前、もしかして体調悪ィんじゃねぇの?」
「・・・・・・・・・へ?」
わずかに緩められた腕の中で、はぜいぜいと息をしながらハレルヤを見上げた。頭突きをかまそうと思えばぎりぎりできる距離にあるハレルヤの金色に、ぽかんと口を開けている自分の姿が見える。
「・・なんで?」
「抱き心地が前よか悪ィ」
今度こそアレルヤの耳に、ボキリという何かがへし折られたような音がはっきりと届いた。おそるおそる視線を送った先には、苛立たしげにカチカチと芯を押し出すティエリアがいる。ごくり、と生唾を飲み込んだアレルヤはゆっくり一歩後ずさった。
「・・・・いやそれ、セクハラじゃね?」
「はぁあ? お前みてぇな凹凸のない女に、どーやったらセクハラできんだよ」
今度はなにかが切れたような、ぶちんという音が違う方向から聞こえた。アレルヤはその柔和な表情をわかりやすく青ざめさせる。視線の先では、がこれ以上ないほどの端整な笑みを浮かべていた。普段の比較対象がティエリアであるから忘れがちになるが、基本的に彼女は整った顔つきをしている。その笑顔の擬音は “にっこり” で正解なのだろうが、漆黒は小指のささくれ程も笑っていない。
「あっは!・・・・・・・・・・・・・・よォしハレルヤ、歯ァ食いしばれ」
「あ? ンだよ、本当のこと言っただけじゃねーか。・・なァ、ティエ」
ヒュッ、と空気を切り裂いたのは厚さ5センチは下らない辞書だった。反射神経の塊のようなハレルヤがそのひどく古典的な攻撃を鼻っ柱にくらったのは、ぎりぎりまでが彼の視界を覆い隠していたからだ。一部始終を傍観していたアレルヤは、示し合わせたかのようなティエリアとの動きに思わず拍手を送る。感嘆するアレルヤに、厳しい金色の視線が飛んだ。
「・・・・・・・悪いのか」
「ううん、全然問題ない」
伸ばされたティエリアの手は、わずかな逡巡も躊躇いも見せずにの額に触れた。アレルヤはぱちりとまばたきをする。「・・・だいじょーぶっしょ?」 ティエリアを見上げる漆黒には、しかし深紅の様子を窺う色がある。飼い主の挙動のすべてを見逃すまいとする、遊びたい盛りの仔犬のような。
「・・帰るぞ」
「用事、もういーの?」
「ああ」
「
―――・・あいつら、マジでやってらんねェ」
カフェオレをぐびぐび流し込んだハレルヤは、剣呑な舌打ちとともにそう吐き捨てた。
爪先立ちの世界
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爪先立ちの世界 ... ジャベリン
writing date 08.07.26 up date 08.08.12
最近アレハレが好きすぎてどうしようかと思う。(空さんネタ提供あざーっす!)