Colorful
:38
やっぱり風呂上りはビールに限る。水気を含んだゆるゆると波打つ栗色の髪をかきまぜて、ロックオンは冷蔵庫の前でぷはぁっ、と大きく息をついた。首にかけたタオルで頭をがしがし拭きながら、冷蔵庫を神妙な顔で覗き込む。中で保存されている食材と、この先予測される消費量を天秤にかけ、さらには財布の中の残金と比べ合わせて、ロックオンは先程とは一種異なるため息を吐き出した。男二人、しかも片方は育ちざかりの16歳
――その年代の男という生きものは大抵、無限に広がる宇宙のような胃袋を持っている。俺もあの頃はそうだったよなァ・・、と思わず過去を振り返りかけたロックオンは、自身の思考に一瞬固まった後、ひくりと頬を引きつらせた。忘れること勿れ、彼はまだ24である。
缶ビールを傾けながらロックオンは居間へと足を向ける。確かこの時間はサッカー中継が放送されていたはずだ。ゲームはもう始まっているが、終了のホイッスルが吹き鳴らされるまではまだ時間がある。久しぶりのサッカー観戦と行きますか、口元をわずかに緩めたロックオンはしかし、最近買ったばかりの液晶テレビ(おかげでここ1ヶ月、ロックオンの昼食はカップヌードルである)の前に鎮座する背中に、漏れるため息を抑えられなかった。
液晶テレビを大奮発して購入した際の抽選会、ラスト一回で見事、1等のプレステ3を引き当てた刹那はさも当たり前のような顔をして、それを居間のテレビに接続した。言っておくが、刹那の部屋にテレビはある。リモコンが行方不明になったせいで、本体までいかないとチャンネルはおろか電源すら入れられないという使えなさ具合は、確かに重宝しているとは言いがたいが、まだ映る、まだ使える。
――テレビの前にあぐらをかいた刹那の手に、コントローラー以外のものがあったらマンションの7階にあるベランダから飛び降りてもいい。ロックオンにはそれだけ確信があり、そしてそれは決して裏切られない。
「せーつーな、」
「!」
よっぽど集中していたのか、背後から声をかけられて刹那はぴくりと体を揺らした。しかしそれでいて、振り返ろうとしないところがまったく刹那らしい。
「宿題、終わったんだろうな?」
「・・・・・・・・・・」
ソファにどかっと腰を掛けて缶ビールに口をつけるロックオンに、刹那の表情は見えない。見えないが、その表情を予測できないほどにロックオンは刹那に対して無関心でも、無責任でもなかった。明日、学校で困るのは刹那なのだ、ロックオンはため息を一つこぼす。
「ゲームは宿題が終わってからだって、いつも言ってるだろ? こーの聞かん坊め」
「・・・・・・・・・・」
「次のセーブポイントまでだからな」
「・・・・・わかった」
やれやれ。なんだかんだ言って、まだまだ子どもだな。
ロックオンはやわらかく苦笑する。優しく細められたエメラルドにうつる16歳の少年は、いつだってまっすぐ真正面を見据えている。子どもだけが持ちえた穢れのない純粋と、世界の仕組みを知り始めた少年の懐疑。自分にできることはその手を引くことではなく、背中を押してやることなのだとロックオンは知っている。
机の上においたロックオンの携帯が、不意に唸り声を上げた。びくり、と体を揺らした刹那に軽い謝罪を口にしたロックオンは、表示されたその名前を思わず声に出して読み上げてしまった。なにかの見間違いじゃないかと思ったからだ。
「
―――・・ティエリア?」
三秒の沈黙。テレビ画面から目を離した刹那も、こちらを興味深そうに見上げている。ロックオンは、いくら親しくても携帯アドレスへの登録をあだ名で行うといった趣向を持ち合わせていないし、誰かと誰かを取り違えて登録するほど間抜けではない。・・・じゃあやっぱり、この携帯の向こう側にいるのは、
「あー・・っと、お前
―――ティエリア、だよな?」
『何をわけの分からないことを言っているんです、ロックオン・ストラトス』
間違いない、ティエリアだ。ロックオンはほとんど反射的に、じぃと見上げてくる刹那に向かって小さくうなずいた。刹那の目が、まあるく見開かれる。
「どしたティエリア、お前から連絡してくるなんて珍しいじゃないか」
『・・・・・・・・・・』
不意に落ちた沈黙に、ロックオンは怪訝そうに眉をひそめた。空気を読むというスキルを持ち合わせていないティエリアは、いつでもどこでも情け容赦なく物事の核心を口にする。それが相手にとってどれだけの攻撃力を有しているか、彼は知らない、知ろうとしない。“知ったことか” と切り捨てて排除することを一瞬だってためらわないティエリアのそれは強さであり、けれど間違いなく弱さなのだと思う。
電話の向こうで言おうか言うまいか、というより最後の一歩を踏み出すことを臆するように、ティエリアは沈黙を守っている。ロックオンは待った。せっついて口を割るような性格の持ち主ではないことを、彼はよく知っている。
『
―――・・目の前 に、』
「おう、“目の前に”?」
『熱で、うなされている人間がいたとしたら・・・・・貴方は、どう しますか』
ロックオンはたっぷり十秒、言葉を忘れてしまった。
「・・・・は? ちょーっと待ってくれ、ティエリア。話が見えない」
『・・言葉通りです。熱でうなされている人間がいたとしたら、「いるのか、目の前に」
電話の向こうで、小さく息を呑む音が聞こえた。沈黙は決して短くない、けれどロックオンは辛抱強く返事を待った。刹那やティエリアと付き合いだしてからこっち、我慢強くなった自信がある。そしてこれは多くの場合、彼にとって吉と出る。・・しばらくしてティエリアは、慎重に選び出した言葉を声にした。
『・・・が、熱を出して・・寝込んでいます』
「薬は?」
『・・いえ、まだ眠っているので』
ロックオンはさっと時計に目をやる。時間はもうすぐ9時
――緊急外来をやっている病院を頭の中にリストアップしながら、断片的なセリフのやり取りとその声音から何かを感じ取ったらしい刹那にへにゃりと笑いかける。けれど無表情を 「真面目にやれ」 とでも言い出しそうな表情に変えた刹那に、ロックオンは彼が持って生まれた動物的なカンの鋭さを恨めしく思わざるを得なかった。
「そーだな、とりあえず彼女を起こして様子を見るんだ、ティエリア。そしたら薬を飲ませて
――あ、食後に服用する風邪薬だったら、少しでもなにか食べさせてからにしろよ」
『・・なにか、とは?』
「・・おかゆ、とかがいいんじゃないか? あと水分もできるだけ摂らせるといい」
『・・・・・わかりました』
おそらく今ティエリアは彼女の部屋から電話をかけているのだろう、普段の凛とした張りが声から取り除かれている。本当を言うなら、病人のいる部屋で電話などかけるなと言ってやりたいところだが、病人のいる部屋にティエリアがいることがすでに奇跡だと知っているから、至極常識的な忠告は飲み込んだ。
「それでも全然熱が下がらないようだったら、時間なんか気にしないでいつでも電話しろ、すぐ車回すから」
『・・・頼みます』
頼みます。
―――ティエリアから発せられたこの一言は重い。隠しきれなかった不安の滲む声音が、二口程度しか飲んでいなかった缶ビールを無味無臭の味気ないものへと変える。彼女は・・は、ティエリアからその一言を引き出せるのだ。自分がどんな声でその言葉を紡いだのか、ティエリアはきっと知らない。電話を切った後、思わず天井を仰いだ顔を片手で覆い隠させるような響きを伴っていた自覚などあるはずがないのだ。
―――あいつらのやり取りは時々、いい歳こいた大人をどうしようもなく気恥ずかしくさせる。
「・・ロックオン? ティエリアは、何と言ってきたんだ」
「ああ、が風邪を引いたらしい・・・・心配いらないとは思うが」
「・・ティエリアがいるから、か?」
「そーゆーこと。・・ったく、若いってのは羨ましいねェ」
「・・・・・・・・・・・」
奏でられた空白
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奏でられた空白 ... ジャベリン
writing date 08.08.02 up date 08.09.05
おかん+おとん+兄貴+おっさん=カラフル的ロックオン (はい、ここテストにでまーす)