Colorful
:40
「おい、もう始まるぞ」
「え、うそマジで?」
夏の夜空に咲く大輪の花。どん、という大気の震えに呼応して鼓膜が揺れる。ほんのわずかな時間で闇に散っていく一瞬の美学、形をとどめておくことができないからこそ映えるその美しさは儚さにも似て。空気に溶け込んだ夏の匂いを肺一杯に吸い込んで、は大きく切ったスイカを手にぐぐっ、と伸びをした。それはさながら、スイカを花火に捧げるように。体の芯にひびく音と光の余韻を残して、咲いた大輪は夜に溶けていく。
「んは、やっぱ花火を見ながら食べるスイカは格別だわー」
スイカは、うんと冷えていたほうが甘く感じる。ほんの少し前まで、ティエリア宅の冷蔵庫で冷気に晒されていたスイカは中まで十分冷えていた。半月状に切り分けたそれにかぶりつくと涼やかな甘みが口の中に広がって、は満足そうに笑う。
「・・・花より団子だな、お前は」
「うるさいなー、だって実際んまいじゃん」
花火大会の開始は夜8時からだった。八百屋のおじさんに笑顔と愛敬と口の上手さで安くまけてもらった特大のスイカ(もちろん糖度の高いものを選んでもらった!)がはいるティエリアの冷蔵庫には、当たり前のように夕飯の支度ができそうな食材はない。彼の食生活は普段どうなっているのか、他人事ながら心配になるが、それを伝えたところで何が変わるわけではないのをは知っている。ただ、スーパーで食料品を買うとき、料理を作るとき、半年前よりも全体量が多くなっていることは自覚していた。
花火を見ながらスイカを食べる気マンマンでいたため、夕飯は少しはやめの六時台。夕飯を終えてから花火が始まるまでの時間、ティエリアはいつものようにベッドの縁に腰掛けて本を広げた。その手元をコッソリ覗き込んで、それが前に自分が薦めた本であることにはにんまり笑う。
「・・・・・・・・・・・・・・・気色悪い顔をするな」
「そこまで言うか」
当たり前のように、何の遠慮もなくはティエリアのベッドにダイブした。ぼふん、と音をたてて自身の体がシーツの海に沈む。いきなり視界が揺れたことにティエリアは不快感をあらわにしたけれど、眉根を寄せて深紅を鋭く細めるだけで何も言わなかった。残念なことに、はティエリアのそんな態度で大人しくなるほど殊勝ではなく、喜ばしいことに、ティエリアはのそんなふてぶてしい態度に眦を釣り上げたところで効果がないことを十分良く知っていた。うつ伏せで本を広げたに、彼はため息をひとつこぼす。
―――昼間の疲れがたまっていて、お腹がちょうどよく膨れていて、適度にクーラーのきいた部屋で横になって本を広げていたら。まぶたが重くなるのは自然の道理だ、とは歪む文字列を前にあくびを漏らした。スイカを抱えて歩き続けたせいで、ふくらはぎがほのかな熱を宿している。目尻にじわりと涙が滲み、目に入る活字が奇妙に揺らぐ。ひとつの単語が、ひとつの文字が、それこそ生き物のように紙面に躍り出してふわふわあたりを漂っているような。ちっともじっとしていられない、へびやみみずのようなそれを整理整頓するのに普段の倍以上時間がかかり、正しい意味を頭の中に持ってくるまでにみみずたちが自由に遊びだす。・・やってらんね。ずるずると睡魔に引っ張られていく意識の端で、つややかな紫苑が揺れた気がした。
ふ、と何に呼ばれるでもなく意識が自然と浮かび上がった。ゆるりとまぶたを開けたときに飛び込んでくる光の束に眉をひそめる。こめかみに奔った鈍い痛みに、思わず呻き声が漏れた。寝るときはちゃんと電気消してからにするようにと、ルークには前にもきつく言っておいたのに
――・・そこまでぼんやり考えたとき、視界の端でひるがえった紫苑に思わず心臓が撥ねた。
「え、なんでティエリアがいんの」
「・・・・・・・・・・・・寝言は寝て言え」
あきれ返った挙句、哀れみの色すら滲む深紅はを一瞬で覚醒させた。がばりと起き上がって周囲を見回し、ここがどこであるのか合点がいったと同時に枕元においてあった携帯を開く。・・サアッ、という音はきっと血が引く音に違いない、時刻は花火開始5分前。
「うわ、時間ないじゃん! なんでもっと早く起こしてくんないかなァ、」
「・・何度呼んでも起きなかったのはどこのどいつだ」
目覚めて5分で切り分けたスイカは微妙に形が歪で均等ではないが問題はない。食べられれば何の問題もないし、要は “花火とスイカ” という組み合わせがあればいいのだ。シャク、という見た目にも涼やかな音とともに、みずみずしい甘さが口中に広がる。花火が夜空に大輪を咲かすたび、大気が唸るように震えた。
ティエリアは明かりを落とした部屋の中、ベランダに続くガラス戸の近くで肩をアルミのサッシに預け、膝を立てて座っている。わざわざ玄関からサンダルをはこんできたは、ベランダの欄干に両肘をつき、もたれかかるようにして夏の空を見上げた。
――静かだと思った。実際、あたりに音は満ちている。花火の音だけではない、同じようにそれを見上げる人たちの感嘆や漏れ聞こえる笑い声、大通りをはしる車の音。けれど、とても静かだと思った。沈黙は静寂ではない、声にするよりもずっと雄弁に語る沈黙を知っている。音があるからこその静寂、今なら紫苑をなでる風の音も聞こえそうな気がした。
「・・先日はどーも、お世話になりました」
「? ・・・ああ、あのことか」
思い当たりを見つけた途端、興味をきれいサッパリ失うあたりがティエリアらしい。
「バカじゃないっていう証明、できたよな」
「・・・・・理由は?」
「だってナントカは風邪引かないっていうじゃん」
「・・知っているか、夏風邪はバカが引くらしいぞ」
「・・・・・・・・・・スイカにあたってティエリア・アーデが腹下しますよーに」
「・・・・・・・・・・単位落とせ、」
「ちょ、なにその不吉すぎる願い事! やめろ、ティエリアが言うとなんかシャレにならん」
しかもなんで命令形?、とぼそぼそ呟く中、背後の空気が不意に揺らいだ。風とかそういう物理的なものではない。それは例えば、閉めきった暗い部屋のなか、すみれ色をしたカーテンの隙間からわずかに差し込む月光。あるいは、完璧に組み上げたロジックのなかに潜む矛盾という名のバグ。ティエリアの纏った空気をゆるがせるものに、は思い当たりがある。
「・・・・・あのな、笑える状況じゃないっつーの。単位落としてたまるか」
「せいぜい祈るんだな」
「テスト前日に祈り倒したからもう無駄かも」
皮だけになったスイカを手に、へにゃりと笑って振り返ったにティエリアは思い切り眉をしかめ、そしていつものように薄い唇の隙間からため息を吐き出した。「見ないのならそこをどけ。お前の頭で花火が欠ける」
「え、まじ? ・・んー、じゃあもう自分の部屋に戻ったほうがいいかな、そのほうが見やすそうだし」
そうと決まれば早くしたほうがいい。ぽいぽいっとサンダルを脱ぎ捨て、座り込んでいるティエリアをするりと避けては部屋の中に滑り込む。ついさっきまで稼動していたクーラーの冷気はまだほのかに残っていた。むき出しの二の腕をさらりと撫でるひんやりした空気、どおりでティエリアが外に出てこないわけである。まったくどこまでも不健康優良児だな、とひそかに笑みを零したとき。
不意に捉えられた手首を、は一瞬自覚できなかった。
ドン、と空気が殊更強く鼓動して、振り向いたの視界にこれまでで一番大きな花火が咲く。驚きを口にしたのか、感嘆を言葉にしたのか、名前を声にしたのか、空白になった思考を辿っても答えは出ない。花火に吸い取られた、音に紛れた、深紅に奪われた。その全てが正しいような気もするし、そのどれもが間違いであるような気もする。
「
―――・・ここに居ろ」
手放せる
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手放せる / ジャベリン
writing date 08.09.06 up date 08.09.13
いちばん、もどかしく、思って、いるのは、私、です・・っ。(水城さんネタ提供あざーっす!)