Colorful
:48
ゆるゆると開けたまぶたの向こう側から、痛いほどの白い光が降ってくる。暴力的な光がもたらした眩暈にティエリアは小さくうめき、それから逃げるように顔を背け
――ようとして、完全に目を覚ました。部屋中に満ちた人工的な光は寝起きの頭に鈍痛をみちびくが、周囲の様子をうかがうには好都合だ。・・様子をうかがうまでもなく、ここがどこなのか見覚えは十分すぎるほどあったが。痛む節々を無視してゆっくりと体を起こすと、ベッドのへりに寄りかかって座り込む家主の姿が見えた。珍しく髪を下ろしている。
「・・・・・・・・・・おい、これは一体どういうことだ」
「・・・ん? ああ、ティエリア起きたんだ」
ひょい、と普段と変わりない気軽さでこちらを振り向いたはティエリアの知るとおりだ。その手の中にはいつもと同じように本がある、買ってきたらしい新品の文庫本(あれは自分の気に入った場面や好きな文章のあるページの端に折り目をつけるくせがあるので、新品かどうかすぐわかる)。けれど何かが引っ掛かる
――ざらりとした妙な違和感があるのに、寝起きの頭も手伝ってそれが一体なんなのか思いつかない。
「おぼえてない? ティエリア酔いつぶれちゃってたから、ロックオンにも手伝ってもらって運んだんだけど」
「・・・・・・・・・・」
さっぱりだ、何も覚えていない。記憶に残る最後の感情はスメラギ・李・ノリエガに対する明確な怒りで、それを引き金にあの酔っ払いに嵌められたことを思い出す。けれど記憶はそこからいきなり今へ飛ぶ、ロックオンに運んでもらったという過程をまったく思い出せない。しかもよくよく考えようとすると思い出したように頭痛が奔り、こめかみをずきんずきんと打つ。
「・・・なんにも、おぼえてない?」
「ああ。・・ちッ、スメラギ・李・ノリエガには後で礼をしなければならないな」
開け放たれた窓から吹き込んでくる風にカーテンがふわりと舞った。紫苑を撫でていくその思わぬ冷たさにティエリアはわずかに身を竦ませる、早朝特有の新鮮な湿り気を帯びた風がカーテンを躍らせていた。隙間から垣間見える空は驚くべきことに白み始めている
――自分はいつの間に夜を飛び越えたのだろう。
「・・・・・・・・俺は、ここでどのくらいの時間眠っていた?」
「・・ざっと六時間くらい、かな」
驚愕を込めて見遣った時計が示す時間は早朝五時、思わず頭を抱えないわけがなかった。の言葉が本当であるとするならば、自分は最低でも日付が変わる前からここで眠っていたことになる。己のしでかした信じられない事実に深いため息をついたティエリアはしかし、ようやくそこであることに気がつく。あれの手元に広げられている本は既に半分くらいまですすんでいるのに、すべてがぴしりと整ったままなのはなぜだ。早朝のこんな時間、電気が煌々とついたままなのはなぜだ。睡眠に関してはティエリアの知る誰よりも執着心の強いが、こんな時間まで自分を寝かしたままにしたのはなぜだ。
―――なぜこいつは、自分と目を合わせようとしない?
「・・ティエリア、ほんとうになにも憶えてない?」
「・・・・・・・・・・・・何の、話だ」
はふわりと笑った。こいつの笑みは盾だ、他人を拒絶するための。
「
―――・・なんでもないよ。」
自分の中にある感情のすべてを、むしりとられたような気がした。大きな古時計が刻む鐘の音のように、鼓を打つ音が響き渡る。凍える血脈が全身をひどくゆっくりと巡り、指先からすぅと冷えていく。のどを掻き毟りたくなるような焦燥がせりあがってきて、それを隠すためにティエリアは奥歯を噛み締める。息苦しさに全身の細胞が喘ぎはじめるまで、呼吸を止めていた事実に気付かなかった。
「あは、ほんとになんでもないんだって。ティエリアが気にするようなことじゃないよ」
「・・・・・・・・・・・嘘を、つくな・・っ」
「嘘なんかじゃないよー、変なティエリア」
そう言って表情をほころばせたは、ティエリアにも綺麗に見える顔で笑った。すべての人間の目に “好ましく” 見える顔で、当たり障りなく、これ以上の追求をかわすための。今日はじめて出会う人間が、そこにいるような気がした。
早朝の空気はひんやりとして、じわりじわり意識を蝕む眠気がこれ以上はびこるのをどうにかとどめてくれる。朝の空気に晒された二の腕をさすりながら見上げた空に、もうほとんど夜はない。家々の間から差し込む朝日には顔を背けて、たっぷり五秒はある大欠伸を漏らしながら人々が起きだす前の街をのろのろ歩いた。
――ねむい、あんまり眠くてどうにかなってしまいそうだ。今目の前にあるバス停のベンチに座りたい、座りたいがここでそうしたら三秒も持たずに意識が飛ぶだろう。不特定多数のバス利用客に寝顔を晒すのはさすがにご免こうむりたいがやっぱり眠い、ベンチに座って寝るのと街路樹の根元に丸くなって寝るのではどちらのほうが常識の範囲内だろう。
「
―――・・? お前、こんな時間に何してんだよ」
聞いたことのある声が聞こえたような気もするが、きっと気のせいだろう。眠気がピークを超えたせいで、ついに現実と夢との区別もつかなくなってしまったらしい。自嘲するようにくつりと口の端をゆがめたは街路樹に背中を預け、そのままずるずるとしゃがみこむ。
「おい、マジ何やってんだよ」
無理やり片方の手首を捕まえて引きずり上げたのはどうやらハレルヤであるらしく、つまりこれは夢などではないらしい。ふわぁああ、ともうかみ殺すことを諦めた大欠伸が漏れ、反射的にまなじりに滲んだ涙で歪む世界で金色がひどく鋭く光っている。・・あれ、なんかハレルヤ怒ってる。はまばたきを二度繰り返した。
「・・俺は、何やってんのかって聞いたんだけどなァ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・ねむい」
「は?」
「ねむい、もうむり、ねむくてしねる」
ああそうかい、だったら死んじまえ。そんなハレルヤの呆れかえった声が聞こえたのは、今度こそ夢だったらしい。それだけで人を殺せそうな舌打ちと大袈裟なため息のあと、しょーがねぇなぁっ、という声が聞こえ、ほとんど地べたに転がりそうだった体がぐい、と引き上げられる。ぼーっとしている間に頭がずん、と重くなり(よくよく考えてみるとヘルメットをかぶせられたらしい)、なにかひんやり冷たいものにまたがって座り(よくよく考えたらバイクだったらしい)、ちゃんと掴まってろ女男という暴言で一瞬覚醒したは、うしろに引っ張られる感覚に身を小さく縮こまらせた。
「
――・・っ行くな、」
ベッドサイドに立ち上がったの手をつかみ、ティエリアはほとんど無意識に言葉を吐き出していた。きょとんと目を丸くし、不思議そうにこちらを見遣る漆黒は、本心からティエリアの行動を不思議に思っているらしい。どしたの、と首を傾げるあれの目元にある隈が、ティエリアの周囲にある酸素を奪う。
「・・・・・・・・どこへ、行くつもりだ。こんな時間に、」
「牛乳買いに行ってくる」
いやぁだって、牛乳無いとルークの朝ごはんがないんだもん。朝っぱらからケンカするのもいやだから、ルークが寝てる今のウチにぱぱっと買ってこようかと思って。だから悪いんだけどティエリア、それまでちょっと留守番頼まれてくんない?
いつもと同じように、変わらない様子でぺらぺらと言葉を捲くし立てる口。普段と同じ “ように” というのは正しくない、きっと本当に普段と変わりないのだ。けれど違う、何かが、圧倒的に。
――こいつは嘘をつくのがそれこそ絶望的なまでに下手すぎる。嘘を言っているのは明白なのに、そのくせ何を隠しているのかを悟らせない。不器用な強さだと思う、きっとそれは世界の脆さを露呈しないための虚勢。・・・・あれは、は何を隠している? こちらからそれを遠ざけて、あれは一体、世界の何を守ろうとしているのだろう。
家主のいなくなった部屋の中はしん、と静まり返っている。その静寂に溺れながらティエリアは記憶を辿る、ずきずきと頭蓋を覆う痛みに思考を中断されながら、けれどやめることは出来なかった。ほころびを見せる今しか、あれが今下手な嘘を重ねて創り上げている世界のほんとうを暴けない気がする。がわざわざ隠そうとしているものを、わざわざ暴き立てることに意味があるのかは分からない。けれど、あれがひとりで創り上げた舞台で踊らされるのは御免だった
――・・違う、創った世界を支える義務と責任を、あれだけに背負わせるわけにはいかなかった。ティエリアは、あんなに疲れ切ったをはじめて見た。
「
―――・・っ、」
そして記憶は甦る、目眩がするほどの色彩をともなって。自分のくちびるをなぞる指が小さく震えていたのを、無視するわけにはいかなかった。
真理に一番ちかい嘘
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128:真理に一番ちかい嘘 ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date 08.09.28 up date 08.10.15
(かなり変更を加えましたが、引き続きトオルさまの提供でお送りしています)