Colorful
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やわやわと、誰かに頭を撫でられているような気がする。よく泡立てた生クリームのようにほわほわした足元
――いや、体全部が乳白色のそれに溶け出しそうなまどろみに身を任せていたは、足の間にタオルケットを巻き込みながらごろりと寝返りを打った。彼女は昔からの癖で、足を両腕で抱え込むようにして丸くなりながら眠る。おかげで、一応の寝床は用意してあるものの、その存在をまるでなかったもののように振る舞う飼い猫がベッドにもぐりこんできても蹴り飛ばす心配はなく(寝返りを打った拍子に潰しそうになることはある)、けれど幼い頃からずっと面倒を見てきてくれた保護者は 「大きめのベッドを買ってあげる意味がありませんねぇ、」 と苦笑をこぼす。つまり彼女は、必要とあれば狭いスペースでも睡眠をとることのできる術(すべ)を持ち合わせていた。基本的に、彼女は人工的な明かりのまったくない真っ暗な部屋でなければ熟睡できないが、にとって睡眠と熟睡は別物だ。
まるで砂金をさらうように、溶け出した意識を掻き集めながらはふ、と目を開けた。机に向かってノートをとっている振りをしながら眠ることと比べれば、ソファで居眠りすることなど朝飯前だが、それにしたって今自分のいる場所に心当たりがなさすぎる。まだきちんとした思考体系を取り戻す前の状態では周囲を見回し、出会った深紅を保護者のそれと反射的に結びつけた。その名前を呼ぼうとしたとき、出鼻を挫く形で紡がれた相手方の言葉に息を呑む。
「
―――・・、」
その薄く形のよい唇からこぼれた言葉が自分の名前であることに、は一瞬気づかなかった。そんな声音で紡がれる自分の名など知らない、そこまでの価値があるものだとも思っていない。は自分自身を鼻で笑ってやりたくなった、まったく自惚れるのも大概にしろ・・・・・・・・・・・・いやいやちょっと待て自分、自惚れるってどういう意味だ。
「・・てぃえ、りあ・・・・?」
起き抜けの掠れた声で正しく名前を呼ぶと、そのひとはきゅっとくちびるを引き結んで眉根を寄せた。まだきちんと繋がっていない思考回路からは彼の陰った表情の意味をうまく読み取ることができず、けれどその必要は一瞬の後に霧散する。キッと強められた深紅に宿るのは間違えようのない怒り。はそのことに気付くと咄嗟に両腕で頭を抱えた、誰だって殴られるのは嫌に決まっている。
「こ・・っの、お前という人間は、ほんとうに・・・!」
言葉の区切りごとでぶつ切りにされたセリフがティエリアの怒りの度合いをに伝える、それはもう痛いほどに。怒鳴るのをギリギリの線で堪えようとしていまいち堪え切れてない部分がよりいっそうの恐怖を煽る。これならいっそ怒鳴ってくれればいいものを、と一瞬(あくまでもほんの一瞬)思ったくらいだ。
「ハレルヤ・ハプティズムに聞いたぞ・・・歩道の脇でふらふら寝ようとする阿呆がいるか!」
――ハレルヤあいつ、余計なことを・・・!
反射的に浮かんだハレルヤに対する怒りの表情を、目の前の鬼はどうやら見逃してくれなかったらしい。がしりと頭を片手で鷲掴みにされると、のどの奥でひう、とかみ殺しきれなかった悲鳴が漏れる。寝起きのが逃げおおせるよりはやくティエリアの握力が増し、「痛い痛いいたいいたいごめんなさいすいませんんん!」 意識は痛みによる完全な覚醒を余儀なくされた。がばりと跳ね起きて痛みの元凶たるティエリアの腕を払おうと両手を振り回す。けれどその一瞬前、頬の輪郭をなぞる長い指にはびくりと体を竦ませた
――してはならないことだと、一晩中言い聞かせたことなのに。
ティエリアは憶えていない、それはにとってむしろ好都合だった。向こうが憶えていないのなら、知らないふりをすればいいのは自分だけ。何もなかったことにすればいい。そうすればこれまでと同じだ、何も変わらない
――・・変えるつもりなど、ない。は指の間からすり抜けようとする冷静さを握り締め、決意を奥歯で噛み砕く。今の自分の行動が、後退しながらの全力ダッシュだとしても構わない
――!
「ああもう、うるっさいなぁ! 元はといえばティエリアが悪いんだろ!」
「・・・・っそれは、」
「ティエリアに怒られる筋合いなんてないっつーの!」
「
――すごく心配してましたよ、さんのこと」
ふうわりと立ち昇るコーヒーの香ばしい匂いを味わいながら、ゆっくりとマグカップに口をつけた。豊かな香りに満ちたそれは、寝起きの体に染み入るように取り込まれていく。両足を折りたたんで、ちいさな子どものようにソファに体育座りしたはマグカップのなかでゆらゆら揺れる波紋をぼんやりと見つめ、時折ふと思い出したようにコーヒーを口に含む。朝の明るい光に満ちた部屋はゆるやかな沈黙に埋もれていたが、静寂を壊すことなく、けれど穏やかに紡がれた声が沈黙を薄めた。
「・・・・・・・・・・・・」
「あんなティエリア見たの、はじめてです」
L字型になったソファの、が座っているのとはちがう一辺に座っているアレルヤも、彼女と同じようにふわふわ湯気のあがるマグカップを手にしていた。「それ飲んだらさっさとあいつ追いかけろ、この鈍感女」 と意味不明でありながら失礼極まりないことを抜かしたハレルヤは、学校だかバイトだかで出かけている。帰ってくんなあほ、と小さく呟いたらスリッパが飛んできて頭を直撃した。当たった自分が情けない。
「・・・何があったのか、聞いてもいいですか?」
たぶん、下世話な好奇心や興味から出た言葉ではないのだと思う。心の隙間にするりと入り込んで、両手でそおっと掬い上げるような声音は深い慈愛に満ちていて、だからは言葉を詰まらせる。すべてをぶちまけたくなって、けれどそれを理性で飲み込み、腹の底に沈める。奥歯を噛み締めながら、ふるふると小さく首を横に振った。
「そっか・・。じゃあ、はやくティエリアを追いかけないと」
――そんなにわかりやすく表情に出していたのだろうか。ゆっくりと顔を上げてやわらかな銀色を見上げると、アレルヤは突然吹き出してくすくすと肩を震わせた。最初はそれを胡乱な目で見つめていたも、長引くにつれて気恥ずかしさのほうが勝ってくる。恨めしそうな声で名前を呼ぶと、彼は切れ長な目の端にうっすらと涙を浮かべて謝罪の言葉を口にした。謝られている気はまったくしないが、それでもいいやと思えるあたりがアレルヤの人徳のなせる技なのだろうと思う・・・・ヤツには逆立ちしたって身につけられないスキルだ。
「そんな顔しなくたって大丈夫ですよ、きっと」
「・・・・・・・そうかなあ、ものっそい怒らせた自覚あるんだけど」
「さんのこと、本当に心配してましたから」
―――・・くっそう、そんな風に言われたら、あの女男の顔を拝んでやってもいいような気がしてくるじゃないか・・・・・・はコーヒーを一気に飲み干し、空になったマグカップをローテーブルの上にやや乱暴に置くや否や立ち上がった。すでに一度ならず二度までも逃げたのだ、このまま逃げ続けるのは私と言う人間の沽券に関わる。これからどうするのかを考えるにあたってまず、動かなければ。
「・・・・・・・・コーヒー、ごちそうさまでした」
「どういたしまして」
「・・・ハレルヤのあほに、あ・・ありがとうって伝えてくれると、嬉しい」
「うん、僕から伝えておくよ」
もしかするとティエリアは、さんのこういうところに惹かれたのかなぁ。朝の陽光に満ちたリビングでひとり、アレルヤはちいさく思い出し笑いをこぼす。
『
―――ごめん、ありがとう・・・・・・・・・いって、きます』
まだそこにいますか
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まだそこにいますか ... ジャベリン
writing date 08.10.05 up date 08.10.27
そういえば、アレルヤとヒロインの二人の組み合わせって初めてな気がする。