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Colorful

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―――とは言ったものの。
は見慣れたアパートを道端から見上げて大袈裟なため息をついた。アレルヤに諭されて(いいように丸め込まれた感が今更ながらにしてきた)飛び出してきたはいいが、さてどうすればいいのだろう。ティエリアに謝らなければならないのは今朝自分が心配をかけたことに対してで、具体的に言うなら 「道端で眠りこけそうになったこと」・・・・じゃあどうしてそんな凶行に及んだかといえば 「一睡もしなかった状態で部屋を抜け出した」 からであり、それは突き詰めれば寝ぼけたティエリアの奇行と、そしてなにより自分の全力バックダッシュが原因だ。ティエリアに寝床を占領されたからといって、睡眠を取れないほど儚い神経をしていないことは自身が一番よくわかっている、あれがなかったらルークの隣で丸くなって眠りこけていたことは間違いない。でもそれをティエリアには言わないと決めたのは他ならぬ自身だ。いろんなパターンを頭の中でシミュレートとして、一晩中考えた結果がそれだったのに――・・いざすっかりきっぱり忘れ去っているティエリアを前にしたらすべての根幹がぐらぐら揺れて、白い腕が目の前をよぎって、気がついたらその場から逃げ出していた。どうすることもできないくらい、自分自身が怖かった。

・・それに第一あれだ、向こうが憶えていないのにも関わらずこっちがぺらぺら口走ったら、まず間違いなく “変態” のレッテルを貼られる。あの射殺すような深紅の視線に晒されてみろ、なけなしのプライドもわずかばかりの名誉も塵芥と化す。そんなのはゴメンだ、絶対に耐えられない・・・・・それなら、知らないふりをしてヘラヘラ笑っているほうがずっとマシだと思った。

―――・・ティエリア、帰ってる?」

・・・たぶん、いるんだろうなぁ。物音一つしない隣家の戸の前で、けれどは困ったように苦笑を漏らした。この半年ほどの間にどれだけ押しかけたと思っているのだろう、奴が帰っていないときの隣家に押しかけたことなど一度だってないのに。なかにひとがいる、という気配は決してゼロではないのだ。

「・・まぁ、どっちでもいいや。いなかったらそれまでだし、いたらいたで独り言だと思って聞き流してよ」

はティエリア宅の玄関の戸に背中を押しつけ、体重を預けるようにしながら目の前に広がる家々を眺めた。夏から秋に生まれ変わろうとしている季節は青く澄み渡っていて、薄く流れる雲が空に彩りを加えている。背中の布地から伝わってくる金属の冷たさにはふるりと一瞬だけ身を竦ませ、けれどそれをきっかけに口を開いた。

「・・・・・・・・・・・心配かけて、ごめん」

「心配、してくれたのに、あんなこと言ってごめん・・・・・・ごめんな さい」

「本・・、本を、読み始めたら止まんなくなって、寝られなくなってそれで、一睡もしてなくて、・・・携帯も忘れて、実はその・・財布も忘れててほんと何しに行ったんだって感じなんだけどそんなことはどうでもよくてとにかく、――・・ごめん」

言い訳がましいのは仕方ない、実際これは言い訳なのだから。「は隠し事をするのは天才的に上手ですが、嘘をつくのは壊滅的に下手ですね」 とは保護者の言葉だ。はその言葉をいまだ全面的に肯定することができないでいるが、奴が言うのだから間違いないのだろう・・・・・納得はしていないが。ここで重要なのは “嘘がばれないこと” ではない、一番に優先すべきは “隠すこと” だ。――・・誰のために? ティエリアのためなんかじゃない。他の誰でもない、自分のために。

自分本位に伸ばした腕を、いまさら引っ込めることができるほど彼女は無知ではなく、けれど変容しようとする世界を受け止められるほど彼女の両腕は大きくない。頭に思い浮かんだ意味のない言葉を羅列しながら、その言葉は確かに一枚の戸を隔てた向こう側にいるであろう彼に宛てられたものとは異なっている。自分が置かれている状況を、自分が理解するために紡がれる言葉――最後のセリフを、言葉の海に沈めるための。

―――・・どこのどいつだか知らないが、」

物理的な壁に阻まれてくぐもった声は、しかしの耳に届いた。

「本当に嘘をつくのが下手だな、・・見苦しい」

「・・残念だったな、下手な嘘をついてまで隠そうとしたことをもう俺は―――・・思い出したぞ」

存外、動揺しない自分に驚いた。一晩中考えた末の決断をあっけなくひっくり返されて、けれど心に浮かぶのが失望や悲嘆ではない “理解” であることは予想外だった。・・ああ、なんだそうだったのか。頭の芯がすぅと冷え、指の先から髪の毛の一本にまで冷静が伝播する。“諦観” とは、こういうことをいうのかもしれないと、醒めた意識が言葉をはじき出そうとしたとき。


「塗り固めた嘘の上で踊らされるのはごめんだが、君ひとりに押し付けるつもりはない。・・・・・すまな、かった」


扉一枚隔てた向こう側、感情をにじませない静かな声。一瞬、時が止まった気がした。のどの奥に空気の塊がつまり、気道をぎゅっと押しつぶす。くつくつと笑い声が漏れそうになり、じくじくと嗚咽が漏れそうになり、はギリギリ軋む音が聞こえるほど奥歯をつよく噛み締めながら、自身に対する苛立ちを秋の空に吐き出した。・・・どうやら自分は、ティエリア・アーデという人間の器をはかりまちがえたらしい。目測を完全に誤った挙句、それが自分を救うのだからタチが悪いことこの上ない。肺の中に燻るなまぬるい空気を押し出して、爽やかな朝の空気を体いっぱいに吸い込む。へにゃりと緩む口元を押さえる術を知らなかった。

「・・・・・・・・・・じゃあもう、嘘つかなくていいんだ?」
「どこのどいつだか知らないが、そういうことになる」
「・・なんかさ、それズルくない? こっちはティエリアを断定してるのに、ティエリアは不明確のままってどーなの」

――・・何の話をしているのかわからないな」
「ちぇーっ」

くつくつと笑みをかみ殺しているらしい阿呆の様子が、扉の向こう側からとどく。目の下に隈をこしらえながら、ひどく何かに失望したように吐き出された言葉でも、とろとろした眠気に意識を委ねながらの言葉でも、嘘という舞台の上で下手くそなセリフを紡いだ言葉でもない、ティエリアのよく見知ったそれ。彼は冷たい扉に右手を添え、音を立てないようにしながらそっと額をあずけた。じんわりした冷たさを感じる割に指先はあたたかい、今朝方むしりとられた感情がゆっくりと体に戻ってくる。

先に楔を打ち込んだのはティエリアだ、後始末をつけなければならないのは彼女ではない。

「・・・・・・あんな形で、傷つけるつもりはなかった」
「? ・・何言ってんの、ティエリア」

彼の絞りだした呟きに、けれど向こうは一笑した。けらけらと笑みを滲ませながら、面白おかしく言葉をつなげる。いつもと同じように、当たり前だといわんばかりに。

「ワタクシの知る なら、傷つけられたつもりなんてサラサラないと思うけど」
「・・・・・・・・・・・・・」
「だってあいつアホだもん、もし万が一傷ついてたとしても気付きゃしないよ。・・・・・それに、傷ならいつか治るんだし。気にする必要なんかないと思うなァ」

ま、あくまで自分の意見ですけど。・・とってつけたように付け加えたその言葉、ドアノブをつかんだ左手をきつく握り締めながらティエリアは細く長く息を吐き出す。体の深いところから湧き起こる衝動をごまかすために息を吐き、奥歯を噛み締めた。ここで衝動のままに出て行ったら、あれは脱兎のごとく一目散に逃げ出すのだろう。けれどそれでは意味がない、これは 次のための土台 なのだ。平然とした顔で、当たり前の明日を迎えるための。

「・・・・そう、だな」
「うん、そうだよ。気にしなくたって 「確かに、あれは途方もない馬鹿だからな」
「・・・・・・・・・いや、そこまで馬鹿じゃないと思うよ、うん」
「・・・あいつに会ったら伝えろ、“冷蔵庫の中に未開封の牛乳が残っていた” と」
「・・・・・・・・・・・・・まじ?」


世界の美しさを知る


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世界の美しさを知る ... ジャベリン
writing date  08.10.10    up date  08.10.30
なんとなく、こいつらは、こういうかんじ(トオルさまネタ提供ありがとうございました!)