Colorful

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開け放った窓からは、秋らしい爽やかな風が舞い込んでくる。己の紫苑をさらさらとくすぐるそれに顔を上げたティエリアは、透き通るような青の空を網戸越しに見遣った。日に日に高くなっていく空には、ふわふわしたうろこ雲が浮かんでいる――まったく、嫌になるほどの晴天だ。眼鏡をはずして眉間を指でもみほぐしながら、ティエリアは天井を仰ぐように背もたれに寄りかかる。レポートの提出期限は来週中、この分なら問題なく書き上げることができるだろう。

ぐぐっ、と背伸びをしたティエリアはふと、風に甘い匂いを感じて動きを止めた。やわらかくも香ばしい、食欲をそそる甘やかなそれ。ちらりと目をやった時計は午後3時を示そうとしている、そういえば適当にブランチを終えてから何も口にしていない・・・きゅるる、と小さく音を立てた腹部を無言で見下ろして、ティエリアは不愉快そうに柳眉を寄せた。

「ティエリアー、いるー? つか開けていいー?」

ティエリアがその能天気極まりない不躾な声に返事をするよりはやく、玄関の戸が開けられた。常識・遠慮・配慮・気遣い、その他諸々の対人関係において重要視するべきものを鼻で笑い飛ばす隣人は、ティエリアのため息に眉毛の一本も動かさない。協調性 という言葉に集約されるそれらを傲岸に切り捨てるのがティエリアなら、はそれを満面の笑みで踏み台にする。基本的に彼らは善人ではない。

「・・何の用だ」
「えっへへー、今パンプキンケーキ焼いてるんだけどさ、もーすぐ焼きあがるから食べない?」

裸足にサンダルをつっかけただけのは、つま先でトントンとリズムを刻みながらひどく機嫌がよさそうにティエリアを見上げている。へにゃりと気の抜けた笑みを浮かべるそれから甘い匂いが漂ってくる気がして、ティエリアは小さく鼻をならした。ふうわりと香る甘やかな風、ティエリアはス、と手を伸ばす。

「・・・・・・・・・・あの、ティエリアさん? これなに」
「・・・・熱でもあるのかと思ったんだが、」
「どういう意味だよ、お菓子作りなんて似合わないってか、キショイってか! ああ自分でもそう思っとるわコノヤローめ!」
「・・・・・そこまでは言ってないぞ」

先程までの上機嫌はどこへやら、体の前で腕を組み、憮然とした表情でティエリアを睨みあげるそれは分かりやすく唇をへの字にひん曲げている。そんなの態度に小さく嘆息したティエリアは、顔にかかった黒髪をさらりと撫でながら先をうながす言葉を紡いだ。

「どういう風の吹きまわしだ?」
「いやぁ、この時期、お菓子用意しとかないと理不尽なイタズラされる危険性があるからさァ」

ルークならまだしも、35歳のオッサンにイタズラされんのはちょっとねー。
秋も深まるこの季節、かぼちゃとお菓子、それにイタズラという単語から連想するのはひとつの行事というかイベントごとだが、果たしてそんな内容だっただろうか。思わず考え込んでしまうティエリアをよそに、はひょいと部屋の中を覗き込んで標準装備の図々しさをいかんなく発揮する。時計を見遣り、くんくんと犬のように外の空気を嗅いだはにんまりと笑った。

「もう焼きあがる時間っぽいから先戻るわ、早めに来いよー」

ひらひらと手を振って踵を返す背中、結局こちらの意思をろくに確認することなくつむじ風のように消えたそれにティエリアはこの日一番のため息を吐きだす。幸せはため息と共に逃げていくという話だが、だとすれば自分に残された “幸せ” とやらの残量はあとどれだけなのだろう、まだ残っているのだろうか。ふ、とティエリアは息をつく。玄関先にかけてある部屋の鍵を取り、靴を履きながら玄関の取っ手に手をかけた―――ティエリアは、自身が苦笑を浮かべていたことに気付かない。



家の中は、ティエリアが思わず身を引いてしまうくらいの甘い匂いが充満していた。まな板の上には型から外されたばかりのパウンドケーキがほかほかと湯気を上げている、はその隣でカシャカシャとボウルの中をかき回していた。足元に纏わりついている赤毛の猫にも、ティエリアの来訪にも気付かないほどの集中を見せているは、お菓子作りをしているとは思えない鬼気迫る表情で手を動かしている。

「・・・・・・・・・・・・・何を、しているんだ」
「あ、ティエリア。ごめん、必死すぎて気付かなかった」

見れば分かる。ティエリアはその言葉を無理やり飲み込んだ。

「やっぱハンドミキサーなしで生クリーム泡立てんのはツライわー、てゆーか飽きる」

手元を覗き込むと、半液体状になった生クリームが泡立て器の動きを追うようにじわりと溶ける。筋すら残さないそれをはため息混じりに見下ろした、部屋に満ちているのとはまた種類の違う甘さがティエリアの鼻腔を掠める。あれが手を止めて首を回した拍子に聞こえた、ごきりという鈍い音。ティエリアは思わず眉根を寄せるが、当のは 「なァまだー?まだかよー」 と鬱陶しい声をだす猫を片足であしらいつつティエリアに視線を向けた。彼がひどく純粋に、器用な人間だと評価する数少ないポイントだ。

「もうちょいしたら出来上がるから、向こうで待っててよ。ついでにルークも」
「はぁ!? やだね、こいつと一緒にいるくらいなら俺ずっとここにいる」

ぴと、との足に体を寄せる毛むくじゃらを、渾身の力でサッカーボールのごとく蹴り飛ばしてやろうかとティエリアは半ば本気で思ったが、見上げてくる好戦的な翡翠を確認すると、彼はフッと口元に笑みを浮かべた。・・嘲笑と冷笑を足して二で割ったような、凄絶で流麗な微笑みを。

――・・どのくらいやればいいんだ、」
「へ?」

ス、とごく当たり前のようにティエリアはの隣に並ぶ、声に釣られて視線を動かしたそれの手から泡立て器をすくいとり、ティエリアは同じように手を動かし始めた。氷水の入ったボウルに手を添えて、とろりとした白をひたすらにかき混ぜる。半開きの口のままあれが隣でぽかんとしているのも、足元の毛だるまが 「な・・っ」 と言ったまま固まっているのも無視して、生クリームに空気を含ませ続けた。

「・・・・・・・さーんきゅ」
「フン、」

まだあたたかさの残るパンプキンケーキの隣にふわふわに泡立てた生クリームを添える。鮮やかな黄色のケーキと、一片の曇りもない繊細な白。切り分けた残りのケーキはラップに包んで冷蔵庫で冷やす、こうするとまた食感が変わるのだという。「手馴れているな、意外に」 と告げれば、紅茶の準備をしていたそれに向こう脛を蹴り上げられた。どろどろだった生クリームをここまでしてやったのは誰かということを、はすでに忘却の彼方に追いやったらしい。これでケーキが不味かったらどんな罵詈雑言をくれてやろうかとティエリアは頭の中の辞書をめくったが、それは喜ばしいことなのか残念なことなのか、徒労に終わった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「な、なんだよ。なんか言えって、・・・・美味い以外の言葉は聞かないけど」
「・・不味くはない」
「あのさ、おいしいならおいしいと素直に言ったらどーよ?」

ティエリアが否定語を駆使した感想を述べたのを確認し、もケーキを口に運んで安心したようにへにゃりと笑う。「ま、とーぜんっちゃ当然ですけど?」 とわざとらしく唇を吊り上げるそれが一瞬見せた安堵の表情、ティエリアはそれに気付かないふりをしてやった。わざわざ指摘してやる必要はない、こちらがそれに気付いてさえいればいい。

―――・・さて、ティエリア」
「? なんだ、」
「ここまでくれば、なんとなーく分かってるんじゃないかとは思うんだけど、」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

ひく、と頬を引きつらせるティエリアに、はてのひらを差し出した。これ以上ないほどの、満面の笑みで。

「お菓子くれるのとイタズラされんの、どっちがお好み?」


気侭な猫の
気の向くまま


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気侭な猫の気の向くまま ... ジャベリン
writing date  08.10.26 (←注目!)    up date  08.11.09
い、今更ながらにTrick or Treat? (渡る世間にいる鬼さま、ネタ提供ありがとうございました!)