Colorful

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「くぅうううう、疲れたぁー」

この日最後の講義を終えて、は分厚い参考書のうえにべったりと顔を伏せた。そう広くない講義室はどこか開放感に満ちた喧騒に包まれている、ところどころでみみずが絡まりあった挙句のたうち回っている自身のノートを見下ろして、は小さくため息をついた。EMP経路だとかED経路だとかPP回路だとかTCA回路だとか、似たような名前で人をおちょくって楽しいかこのヤロウ、と毒づきたくなるメモを尻目にノートを閉じる。ゲーム内のパラメータならすぐに頭に入るんだけどなァ、と苦く笑うはしかし、教室内で高らかに叫ばれた自身の名前にきょとんと目を丸くした。

「・・ルイス、なにごと?」
「だからっ、なんかスゴイかっこいい人がのこと探してるんだってば!」

だからもなにも、初めて聞いたんですけど、という言葉はとりあえず飲み込んでおいた。

「えー何それ、だれ? ガイ?」
「だったらそう言うわよ」
「ごもっともです。えーじゃあ誰だろ・・・・・」

ふむ、と考え込むはわざとらしくあごに指を添え・・・・・・・・脳裏を過ぎった紫苑にピクリと動きを止めた。咄嗟に頭の中でカレンダーを広げるが、別に何か約束をしているわけでもない、だがもしもこちらが忘れているだけとなれば身の毛もよだつような恐ろしい制裁が待ち受けているだろう。・・・・まさかそんな筈は、いやでももしかすると・・どうしよう、ここはとりあえず逃げるべきか、それとも大人しく出頭するべきか。

―――・・ほほーう、何か心当たりがあるみたいじゃない」
「えーあーいや、あるといえばあるような気がしないこともないかもしれない、みたいな?」

へらへらと笑いながらは鞄に荷物を詰め込む。鋭く細められた鷹の目のような疑りの視線をかいくぐって席を立った。すれ違いざまに聞こえた 「明日は逃がさないから、」 という小悪魔(というかむしろ魔女)の宣告は聞かなかったふりでスルー、満面の笑み(背景に虎)で手を振るルイスに負けじと笑顔で手を振った(背景にノラ猫)は、一目散に廊下へ駆け出していった。

「ほんと、ってばどうやってあんな人と知り合いになるんだろ・・・・・・・あのひと、雑誌のモデルじゃない」



「あれ。なんだ、ハレルヤか」
「なんだとはなんだ、つーかお前誰を想像してたんだよ?」

農学部棟の出入り口、壁に寄りかかってを待っていたのはハレルヤだった。講義と講義のあいだの休憩時間、移動する学生がうろうろしている農学部棟。その出入り口の壁に寄りかかり、腕を組んで立つハレルヤは行き交う学生たちの好奇の視線を引きながら、けれどそれにまったく頓着することなく悠然としている。視線を集めていることを自覚した上で、それをまるで無視しているのだから嫌味な奴だ。

「別に誰でもないけど・・てかハレルヤこそどしたの、女の子紹介しろとか言われても無理だからな」
「・・お前が俺のことをどう思ってんのかよーくわかった、歯ァ食いしばれ」
「パス。で、何?」

ハレルヤは一瞬、何かを考え込むように沈黙した。獰猛な光を放つ金色がわずかに細められ、それはあたかも獲物を見定める肉食獣のようだ。はぱちぱちとまばたきを繰り返して首を傾げる、はハレルヤに大人しく “食われて” やるつもりなど毛頭ないし、向こうもそんな手間をかけてまで屠る価値を自分に見出しているとは思えないからだ。

「・・お前、今日はこれで終わりか?」
「うん、今日はバイトもないし」
「・・・・・そんならちょっと付き合え」

押し付けられたバイクのメット、ハレルヤの背中に張り付いてたどり着いたのは、街外れにある自然公園だった。平日の昼間ということもあり、小さな子供連れの親子や公園内の池に釣り糸をたらす高年のすがたがちらほら見られるだけで、だだっ広い自然公園はどこか閑散としている。どこかくすみはじめた緑の芝生にはらはらと散る茶や赤、それに黄色の落ち葉。ハレルヤが投げて寄越したあたたかい缶コーヒーを片手で受けとめると、は自分のへそよりも高さのある池の欄干に背中を預けて空を仰いだ。透き通るような淡い青に、白い雲が散りばめられている。

「うーわ、すーげぇいい天気・・秋だなー」
「・・・・・お前さァ、」
「んあー、なに?」

の左隣に歩みを進めたハレルヤは、彼女の背後に広がる池を眺めるように欄干に腕をついた。


「あの眼鏡のこと、どう思ってんだよ」


一瞬の沈黙、澄み渡った青空を眺めていたは、ゆっくりと視線を隣へ移動させた。右目を覆い隠している長い前髪のせいで、ハレルヤの表情はから見えない。うかがい知れない横顔をまじまじと凝視してしまったは、しばらくしてようやく言葉を思い出したように口を開いた。最初の一音を発する前に、唾をこくりと飲み込んだのは無意識だ。

「はぁ・・? なにを藪から棒に・・・、意味わっかんねー」
「・・下らねェ言葉で、予防線張ってんじゃねェよガキ」

無表情で、抑揚のない平淡な言葉。けれどそれだけに、ハレルヤの言葉は研ぎ澄まされたナイフのようだった。鋭く光る銀色の刃を、わずかなぶれもなく喉元にひたりと押し当てられているような感覚。・・・はそれに呼応するように、漆黒の瞳に剣呑を宿す。売られた喧嘩は言い値買い上げ、彼女の基本だ。

「・・・・・・何それ、どーゆー意味?」
「そのまんまの意味だ。意味考える前にわかんねーとか言ってりゃ世話ねェな、その大層な頭は飾りか?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「テメーらがいつまで経ってもぐだぐだしてんのは、あの眼鏡に原因があるのかと思ってたんだが・・・むしろ問題があんのは、テメーのほうみたいだな。

これまでに見たこともないような金色に晒されて、は奥歯を噛み締めると同時に顔を背けた。かたく握り締めたてのひらに爪が食い込む、わずかに噛んだ唇がぬるりと鉄臭く薫った。―――悔しい、悔しくてどうにかなってしまいそうだ。そんなことはないと叫びたいのに、舌が口腔に張り付いたように動かない。ふざけるなと殴りかかりたいのに、体が凍りついたように動かない。悔しさと怒りで、唇がわなわなと震えるのが分かる。

「お前はただ逃げてるだけなんだよ・・テメー自身からも、あの眼鏡からも」
――ッ!」

反射的に、頭ひとつ分高いところにあるハレルヤの胸倉を掴んでいた。シャツを巻き込んで握り締めた左手から見る見るうちに血の気が引いていき、頭の後ろに振り上げたこぶしが力の込めすぎでぶるぶると震える。ようやく正面から向き合うことになったハレルヤはどこまでも冷静で、それでいてひどく醒めた顔をしていた。見透かすような金色の瞳。獰猛で気高い、獲物の喉笛を喰いちぎらんとする強者のそれ。

――・・離せ」
「・・・・・・っ、」
「離せ、つってんだよ」

ずる、との腕が支えを失って垂れ下がる。そのままよろよろと力なく後退し、ガシャンと乱暴な音を立てて欄干に背中をもたれさせた。俯いた顔、それを隠そうとするつややかな黒髪が乱れるのも構わずぐしゃりと握って、はくちびるを噛み締める。口内にひろがる錆び付いた臭い、舌先に感じる生ぬるさに吐き気がする。

「ッハ、言い返したくてもできねェだろ? そりゃそーだよなァ、それが真実なんだから」

静かな温度で紡がれるハレルヤの言葉は、的確な上に容赦がなかった。叩きつけようとした反論も絞り出そうとした言葉も、口にしようとした瞬間、金色に見定められて唇の震えに変換される。

「・・・・・・・・いつまでも、そのままでいられると思うなよ」


秋に熟れた罪


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秋に熟れた罪 ... ジャベリン
writing date  08.11.01    up date  08.11.15
あーあーあー、ハレルヤが大好きです(読みゃわかる)