Colorful

:58



その日は、午後から雨になった。昨日までは爽やかな秋晴れが嘘のようにどんよりと雲の立ちこめた空からは、しとしとと秋雨が降りしきっている。夏に降る雨はじめじめとした蒸し暑さを運んできたものだが、晩秋を迎えたこの時期のそれは冷たく湿った風を伴って、赤や黄色に染まった街路樹の葉を静かに濡らしていた。ティエリアは肩に掛けた鞄を持ち直して、途方に暮れたように灰空を見上げる。午後から雨が降るらしいというのは天気予報で把握していたが、思わずティエリアが本屋に長居してしまったことと、大陸からの低気圧がその足を速めたことがある意味でうまくかみ合ったらしい。

傘を持っていないこの状況で新しい本を購入するとは、我ながら判断を大いに間違ってしまった。本屋の軒先から降りしきる冷たい雨を眺め、ティエリアはその薄い唇から愁いを帯びたため息をつく。本当なら、既に二本ほどビニール傘のストックがあるとしてもコンビニで新しい傘を買って帰るところだが、あいにく本屋とコンビニと自宅の位置関係を考えるとそれもうまい考えとはいえない。ここからコンビニまでの距離と、ここから自宅までの距離はほとんど変わらないからだ。

もう一度ため息をついたティエリアがあまり選択肢のない考えにひたりながら、ぼんやりと降り止まない雨を眺めていたとき。立ち込めた雨雲や濡れたアスファルトのせいで灰色が多くのせられていたキャンバスに、ふっと鮮やかな色彩がちらついた。それはほとんど、統一感のあるキャンバスに滲んだ染みのような―――・・ぱたぱたっ、と雨どいから落ちてきた雫が地面に跳ねる。わずかに水のたまった道路を自動車が走りぬける、ザアァという音が届いて、ティエリアは思考をふわりと浮上させた。

―――・・!」

雨にじわりと溶け出していた色彩のかたまりは、ぴくりと立ち止まると共にきょろきょろ周囲を見回した。雨の中でようやくティエリアを見つけたらしいそれは、傍目にも分かりやすく表情をほころばせて駆け込んでくる。使い込んだスニーカーがばしゃりと水たまりを蹴り上げるが、はそれに見向きもしない。どうやら自分が雨にぬれることではなく、体の前に抱えた荷物がぬれることこそを嫌がっているらしい。

「もしか、して、っティエリアも、傘 持ってないんだ」

切れ切れにそう言ったは、自分でもその要領の得ない言葉の区切り方に違和感を覚えたようで、細められた深紅に対してくしゃりと困ったように笑った。どうやらここまでの道程もずっと走り通しだったらしい。大きく息を吸い込み、はぁっとひとつ息を吐く。そのくちびるが不自然にふるりと震えたのを、ティエリアは見逃さなかった。

「・・雨が降り始めるまえに、帰るつもりだったんだけどさぁ、」

間に合わなくて、と苦笑するそれの頬を雨粒がつぅとなぞり、地面にぽたりと雫を落とす。空の涙を十分に飲み込んだ漆黒はカラスの濡れ羽のような深く重い色へと移ろい、普段よりも色合いの薄い肌に貼り付いていた。深まった秋の季節に適しているとは思えない軽装をしているのはこの二、三日の間、例年に比べて暖かい日が続いたせいなのだろう。じっとりと雨を吸い込んだ衣服が体の輪郭にぴたりと沿って、肩の稜線を浮き彫りにする。

「・・・・・・ここまでにコンビニがあっただろう」
「やだよ、コンビニのビニール傘高いもん」

鞄の中身が雨にぬれていないことを確認してホッとしたようには笑うが、「五千円を優に超える教科書」 と 「コンビニのビニール傘」 と 「自分」 を秤にかけた結果の “らしさ” にティエリアはため息をつく。どうしてひとつを諦めれば他の二つが解決することが思いつかないのだろう、ティエリアは彼女のそういう思考回路がまったくもって理解できない。

――どうして君はそう 「・・っ、ぐし!」 ・・・・・・・・・・。」

わずかに前のめりになったそれは奇妙に濁ったくしゃみの後ぐずぐずと鼻を啜りながら、ぅあー、とかなんとか妙な声を絞り出している。見れば、それまで軒下に降り込んでくる雨に少しだけぬれていた地面が水たまりを作っていた。記憶が不意に脳裏をかすめ、ティエリアはすぅと柳眉を寄せる。―――女のそれよりはしっかりした、けれど男のものにしては華奢な肩が小さく震えているのに気付くのに、そう時間はかからなかった。冷たい秋雨にさらされて体温を奪われたのか、頬から赤みが削げ落ちて奥歯がカチカチと音を立てている。胸の前に濡れた鞄を抱えた状態で両手を合わせたは、震える手にはーっと息を吐きかけていた。

「・・・・・・・・・・・・・持て、」
「・・は? や、でも今両手びしょびしょだから、ティエリアの荷物がぬれるって」
「いいからしばらく持っていろ」

問答無用で渡されたティエリアの荷物、は思い切り表情を顰めながらそれを受け取った。まったく羨ましくなるくらいの女王様気質である。それでも几帳面に、渡された荷物が自分の服に当たってぬれないようにと試行錯誤していたは、―――・・ふわりと肩にかけられた上着にぎょっと目を剥いた。

「ちょ、ちょちょちょっとストップ、ティエリア何してんの」
「・・・・・・・無いよりはマシだろう」
「いやいいから、もう家着くし! てゆーかほらあれだよ、なんだ、ティエリアの服がぬれるし、」
「もう遅い」
「でーすーよーねー、もうびしょびしょになりましたよねー・・・・・・・・・・・・っごめん、」

灰色の空を見上げている白皙は普段となんら変わりない、こちらの困惑など歯牙にもかけず、無感情な深紅で降り止まない雨を見つめている。奴の、こういう造られた人形のような無感情が嫌いだ。充満した湿気の中でも癖ひとつ無いつややかな紫苑も眼鏡の奥の鮮やかな深紅も、すぅっと筋の通った鼻梁も薄く形のいいくちびるも。その人形のように完璧なバランスで成立する美貌は、ティエリアの無感情の前で砂塵にかえる。すべてにいみがなくなるのだ、わたしがいまここにいることも。


しばらくすると、雨は霧雨に変わった。徒歩であれば傘を差して歩くだろうが、自転車だったら傘を持っていても差さないで走るだろう、そんな雨。全体の景色を白く霞ませる雨のなかを並んで歩き、見慣れたアパートにたどり着いた頃、ティエリアの紫苑はしっとりと湿り気を含んでその光沢をわずかに失っていた。肩の辺りの布地がすこし違う色に変わっている。

「・・・ティエリアさぁ、やっぱ寒かったんじゃ 「煩い、黙っていろ」
「・・・・・だって、くちびる青いぜ?」

隣り合った玄関の前、わずらわしそうに眉間に皺を寄せる白皙に伸ばした腕は即座に弾かれた。パシリと乾いた音を立てると同時に、これ以上のセリフは受け付けないと言わんばかりの鋭い視線がを射抜く。ぐ、と言葉を飲み込んでくしゃりと表情を歪め、彼女はゆるゆると首を振った。

――ごめん、違う。・・そうじゃ なくて・・・・・・・」
「・・服は、洗濯して返せ」

一瞬、ティエリアがなんと言ったのか理解できなかった。一拍の沈黙、けれどそのわずかな時間に鍵を開けたティエリアが玄関の扉の向こうに消える―――・・え、あいつ今なんて言った? このタイミングでそーゆーことフツー言う? 言わないよね、普通言わないよ。っはー、さすがだよねティエリアさま、あんな真似ティエリアにしかできないよ・・・・・・・・アイツいつか絶対泣かす。

「ンなことわかってるよ! ・・っこれで体調崩してみろ、指差して笑ってやるからなティエリアバカヤロー!」

肩にかけられた服があったかかったなんて、絶対認めない。


灰空と偽り


novel / next

091:灰空と偽り ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.11.08    up date  08.11.24
・・さてティエリアはKYなのか、それとも。(ヴェノムさま、ネタ提供ありがとうございました)