Colorful

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どうやら、ティエリアは体調が悪いらしい。アレルヤが彼の異変をはっきりと意識したのは、その日最後の講義が終わったときだった。同じように今日最後の講義を終えたらしい学生たちが、開放感をにじませながら次々と席を立ち、教室を出て行く。そんな彼らと同じように机の上に広げた教科書やノートをかばんに仕舞いこんだアレルヤは、今日このあと研究室に寄るかどうかをティエリアにたずねる質問を投げかけた後、夜空に浮かぶ月のような銀色の瞳をぱちりとまたたかせた。

いつもならアレルヤよりもはやく片付けを終え、研究室に行くにしても行かないにしてもアレルヤを置いて先にさっさと行ってしまうティエリアが、机に教科書やらを広げたままで動かない。不思議そうな顔つきでアレルヤがのぞきこんだ先には、机に肘をついてこめかみから額にかけてをてのひらで覆っているティエリアがいる。・・鮮やかな紫苑とその手のせいで表情をうかがい知ることはできないが、それほど思い悩むような質問をしたつもりはないのだけれど。

「・・ティエリア?」
―――・・ああ 何か用か、アレルヤ・ハプティズム」
「いや、用事っていうか・・、」

質問を、したんだけど。アレルヤはその言葉を寸前で飲み込み、変わらぬ微笑を口元に浮かべた。

「今日はこのあと、研究室に?」
「・・・そのつもりだが」

ふ、とティエリアの顔を覆っていた手が離れて、彼の表情があらわになったとき。アレルヤはその、真っ白といっても過言ではないほどの顔色の悪さに目を丸くした。もともとティエリアは色白だが、けれど今は “色白” とかいう言葉で括っていいものではない気がする、思わず正常に血が巡っているのか、むしろ流れている血は赤いのかを確かめたくなるようなそれ。思わず言葉を見失ってしまったアレルヤに気付くことなく自身の荷物を片付け始めたティエリアは(普段の彼なら間違いなく見咎めて、冷たい視線をくれるに決まっているのに!)、ようやく椅子から立ち上がるとやや呆然としているアレルヤを振り返り、不思議そうに首をかしげた。

「・・・・どうかしたのか」
「ティエリア・・・今日は研究室に行くの、やめにしておいたらどうだい?」
「なぜだ?」

心底わけが分からないという色をしているティエリアの深紅を見返して、アレルヤはこぼれるため息を抑えられなかった。目の前のこの麗しき美少年は、自分の体調に対してとことん関心が無い。暑い時期に食欲が減退するのは心情として理解できるが、だからといって手軽なそうめんばかりを口にして夏バテにエンジンフルスロットルの拍車をかけたティエリアを目の当たりにした去年の夏、アレルヤとロックオンは彼のその悪癖を十分理解していたはずなのだが。

「体調がよくないように見えるんだけど」
「・・・・・・・・・・・俺が?」
「そう、君が」

――・・やっぱり無自覚だったんだ。あごに手を当てて考え込んでしまったティエリアを前に、アレルヤは苦笑する。ここ最近は一番おろそかにしがちな食生活も改善されたようで、ロックオンと二人、こっそり胸をなでおろしていたのだが、やはり本人の無関心は決して改善などされていなかったらしい。

「・・季節の変わり目は風邪を引きやすいけど・・・なにか、心当たりでも?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「別に、話したくないならそれで構わないさ。・・とりあえず、今日はもう帰るようにしたら?」

ティエリアは 「必要ない」 とアレルヤの厚意を一言でばっさり切って捨てたが、アレルヤは引かなかった。ついさっきまで自分の不調に気付かず研究室に行くと言い切ったティエリアだ、家で休んでいる間にすることがないとかなんとか、下手をしたら本屋によってから帰る気がする。隠そうともせず思い切り迷惑そうな顔をされたが、鮮やかな深紅に滲んでいる疲労がその威力を削っているのも功を奏して、アレルヤはそれらすべてに知らん顔をすることに成功した。諦めたようにティエリアが深いため息をつき(疲れ切っているようにも思えたが、きっと体調が悪いせいだろう)、アレルヤは彼の荷物を持って歩き出す。

「・・・・・・アレルヤ・ハプティズム、何をする気だ」
「え?」

やはり体調は芳しくないらしい、大学からティエリアの自宅までの道のりでひとつの嫌味も頂戴しなかったのは初めてだ。時間が経つにつれ、どんどん顔色の悪くなっていくティエリアを尻目になんだかだんだん楽しくなってきたアレルヤは(何度もいうが、ここまでの道程でひとつの嫌味も言われなかったのは初めてなのだ)、ティエリアが鍵を開けている戸の隣をノックしようとして、声の主をきょとんと振り返った。体の不調のせいでどこかどろりと澱んだ深紅が、彼の不審をそのまま体現するように鋭く細められている――アレルヤは反射的に、ごくりと生唾を飲み込んだ。

「・・えっと、僕はこの後学校に戻ろうと思ってるから、さんにティエリアの具合が悪いことを・・・・・・」

伝えようと思ったんだけど、と続くはずだった言葉は、鋭く眇められた深紅に舌の上で霧消させられた。対人関係において言葉が有力な凶器になりうることはアレルヤも十分理解していたが、視線も凶器になるとは思わなかった。“それだけで人を殺せそうな” 眼光が実在して、しかもその使い手がこんな近くにいて、さらにはそれに晒される羽目になるなんて。

「余計なことをするな」
「・・でも、「あの阿呆に、余計なことを吹き込むな」

あまりの迫力に、アレルヤが思わずうなずいてしまいそうになったとき。


―――・・どの阿呆に、どんな隠し事をするおつもりですかねぇ、アーデさん?」


階段のかげからゆっくりと姿を現したのは、片手にスーパーの買い物袋をぶら下げただった。急なメシアの登場にアレルヤはぱぁっと表情をほころばせるが、その笑顔も口元からじわじわ石化する。アレルヤと目が合うとくちびるをふわりとほころばせて小さく会釈した彼女が、ティエリアを視界に入れると同時に豹変する、浮かべた笑みを一気に瓦解させて、ひどく冷え冷えとした漆黒でじろりとティエリアを睨みつけた。・・・・・・仲直りは、すんだんじゃなかったっけ・・? アレルヤはぴりぴりした空気を全力で撒き散らす二人を前に、おどおどと視線を漂わせる。

「・・・アレルヤ、」
「えっ、・・な、なんだい?
「こいつ、どしたの」

こいつ、という言葉を放つとき、はティエリアをあごでしゃくった。・・・ティエリアの眉間に深い皺が刻まれる。

「・・そ、れは・・・・・えっと・・、」
「体調、悪いんだ?」

アレルヤは今いる三人の中で一番大きな体を一番小さく縮こまらせながら、返答を求める漆黒に乞われるままに小さく、それは本当に小さく小さくうなずいた。途端、「・・チッ、」 という鋭い舌打ちが響いてアレルヤは怒られている子どものようにびくりと首をすくめる、今度はが眉間に皺を刻む番だった。

「アレルヤに八つ当たりしてんなよ、“余計なことを吹き込んだ” わけでもあるまいし」

僕はいま空気だ僕はいま空気だ、空気は僕の一部であり、僕は空気の一部である。大丈夫、自分を信じろ信じるんだアレルヤ・ハプティズム、これまでだってうまくやってこられたんだ、きっとこれからだってなんとかなる! アレルヤが全力で自己暗示をかける中、が動いた。

「・・・・・・・・・熱、あんじゃん」

額にてのひらを押し当てられたティエリアは、わずらわしげに白皙を歪める。

「・・・うるさい」
「はいはい、勝手に言ってろ。・・ごめんなアレルヤ、後は引き受ける」

―――アレルヤの目下の悩みは、今の出来事をハレルヤやロックオンに話すか否かである。


オペラ座の灰塵


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039:オペラ座の灰塵 ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(カナ交じり編)
writing date  08.11.08    up date  08.11.29
たぶん話した。(引き続きヴェノムさまのご提供でお送りします)