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Colorful

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「うぅー・・、あーもうさっむ! むり、もう無理、寒くて動けない」
「黙っていろ」

電源を入れたばかりでまだ暖まりきっていないこたつのなか、あご先まで布団に埋まりながらぐずぐず呟いたの頭に、放られたステンレス製のボウルが直撃する。くゎんくゎんと音を立てて床を転がるそれを手に取り、台所に立つツンツン眼鏡に投げ返してやろうと頭の上に振りかぶるが、体温を取り戻せていない指先はボウルをうまくつかめていなかったらしい。ずるりと手の中から滑り落ちる感覚は凍りついた神経にとってあまりに微弱、頭のてっぺんを打ち鳴らしたガツンという鈍痛が冷え切った体を伝播する。

「・・・・・大丈夫か?」
「っい、いたい・・・!」

寒いやら情けないやら痛いやら情けないやらで、の感情のキャパシティは一瞬限界を超えた。ヒュッと喉が悲鳴をあげ、目尻に浮かんだ涙が視界をぐしゃりと歪ませる。

「・・、」

静かな声に名前を呼ばれ、は恐る恐る視線を向けた。もしあの手が鈍く光る包丁を握り締めていようと、今の自分には抵抗することすらできないかもしれない。ビクビクと首をすくめて見遣った先、見慣れた深紅は確かにナイフのような鋭さを内包していたが、手にしているのは包丁ではなかった。あきれ返ってものも言えないといった表情のティエリアが緩やかな弧を描かせながら放って寄越したのは、ほかほかと白い湯気ののぼる濡れタオル。

凍えた指先にじんわりと沁みるあたたかさ、こたつの中で体温を取り戻した足先と相まって、思わず湯船に浸かったときのような声が漏れた。肩に入っていた力がすぅと抜け、噛み鳴らしていた奥歯が静かになる。「ありがと、」 と口にしようとしては台所へ視線を向けたが、シュンシュンと湯気を立て始めたやかんを前に立つティエリアの横顔に、なぜだか意味もなく言葉が声にならなかった。視界の端には先日刹那にもらったぬいぐるみと、親指以外の四本がひとつになったミトン型の手ぶくろ。ゆっくりと鼓を打ち始めた心臓があたたかな血液を全身に送り出す、首まで埋まっていたこたつ布団からもぞもぞと這い出た彼女は、布団ごと体育座りをするように丸くなった。

「・・・・・コーヒーで構わないだろう?」
「ん、さんきゅ」

受け取ったマグカップの中では、こげ茶色のそれがゆるやかな波紋を描いていた。香りたつインスタントの安っぽい匂い、あまりの熱さにコーヒーの味を感じられなかったが、喉を滑り落ちていくあたたかさにほっと吐息が漏れる。

「はー・・生き返るー・・・」
「君はもう少し、女性としての自覚を持つべきだと思うが」


ひとしきり子どもたちと遊び終えたがこの小姑のような隣人に強制させられたのは、雪でぐずぐずになったパジャマ(上下のスウェット)を着替えることだった。ガタガタと歯の根元から寒さに体を震わせる彼女を睨みつける深紅は吹きぬける風よりも冷たく、言葉はバケツに張った氷よりも冴え冴えとしている。「お茶でも飲んでく?」 と玄関の扉の隙間からティエリアを振り返ったは、

「そのままの格好でうろうろするな、この恥知らず!」

という人権を無視した暴言と共に、腰のあたりを蹴りつけられて玄関に沈んだ。女性としての自覚を促すのなら相応の扱いをしてみせろと思うのだが、言葉の応酬の最終地点が水掛け論になることは火を見るより明らかなのでどうにか飲み込んでいる、おとなになるのだ、わたしは。


「だって雪だよ、雪!」
「・・・・それが?」
「遊ばなきゃもったいないじゃん」

もう十分にあたたまったこたつに座ったティエリアはコーヒーを一口含み、ため息なのかどうなのか判断に難しい息をついた。怒っているわけではないのだろうが、全力で呆れてはいそうである。――表に降り積もった雪より透き通った白磁の肌、自分の手元に視線を落としているティエリアの頬にはびっしりと並んだ睫毛がわずかな影を落としている。さらさらと零れ落ちてくる紫苑を、ひどくわずらわしそうに耳にかけて。

「・・・・言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ」
「え、・・・・・あー・・いや、」

不愉快を声音に滲ませるティエリア、射抜くような深紅に見定められてようやく、自分が彼をほとんど凝視していたことに気付く。

「ただ――・・、ティエリアがわたしの カレシ なんて、似合わなすぎて笑えるなーと思って」

げほ・・っ、ごほごほ。不意にむせ返ったティエリアの背中をさすりながら、はくつりと忍び笑いを滲ませた。“気安く触るな” とでも言いたげに向けられた鋭い深紅にはしかし生理的な涙が滲んでおり、そのせいで威力は半分以下、むしろ針が反対の符号まで振り切れている気がする。口の端をニタリと吊り上げ、揶揄するように笑うにティエリアが向けるのは隠そうともしない嫌悪、けれど誰よりも一番ティエリアがその無意味さを知っていた。

「・・なにがおかしい、」
「べっつにー? なんでもないですけど」



「誤解だ」

そのひと、ねーちゃんのカレシ? きょとりと首をかしげて放たれた子どもの無邪気な質問、は自身を見上げてくる恐ろしく純粋な双眸を前に沈黙した。事実に基づいた答えはすぐそこにある、別にどう返事をしたものか悩んだりしていたわけではない。けれど言葉が出てこないのだ、まるで声の出し方を忘れたように。――ヒュウ、と喉が小さな悲鳴をあげたとき、子どもの質問に対して答えたのはティエリアだった。

「・・? ご、かい?」
「・・・違うという意味だ」
「おにーちゃんは、ねーちゃんのカレシじゃないってこと?」
「ああ」

流れるようなティエリアの返答、それは間違いなく正しい。ほんの少しの疑いを挟む余地すらなく、その答えはわずかだって揺らがない。子どもの言葉をすっぱり跳ね除ける、感情を伴わないそれ―――は奥歯にきゅっと力を入れる、そうしなければ浮かべていた表情にひびが入る気がした。こぽり、と小さな音を立てて静かな湖面から気泡が湧き出し、わずかな波紋となって伝播していく。

そんな動揺がティエリアに知られていないのは実に好都合で、けれど揺らいだのが自分だけだという事実はひどく腹立たしい。まるで息をすることのように平然と、一瞬の逡巡も滲ませなかったティエリアの態度が癇に障った。・・ティエリアの対応が間違っていないことなどわかっている、自分の身に置き換えてみたところで、そうとしか返答のしようのないことも理解している。・・・けれど、

―――・・あ、そうだ。ティエリア、ドッペルゲンガーって信じる?」

・・だからこそ。今ここで滲んだティエリアの動揺が、にとってひどく心地いい。

「いきなりなんだ、唐突に」
「んー・・いや、昨日パーティ会場でティエリアを見かけたような気がしてさ」

熱いコーヒーに息を吹きかけ、それをゆるゆると啜っていたは気付かなかった。ティエリアの深紅が剣呑に細められたことも、マグカップを支える手にわずかな力が加えられたことにも。

「・・・そういう非科学的なことを、俺が信じると思うのか?」
「ですよねー。じゃあやっぱり見間違いだったのかなー・・」

でもティエリアを見間違えるとも思えないんだけど。そう口の中でぼそぼそ呟いたの視線の先、窓の向こう。「あ、雪・・」 澄み渡った冬の青空に舞う一輪の風花が、ひらひらと、ふわふわと。過ぎ行く年と、迫り来る年を彩っていた。


到達点に落ちる


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215:到達点に落ちる ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  08.12.17    up date  08.12.27
この一年、どうもお疲れ様でした。