Colorful

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「明けましておめでとうございます、ところでティエリア初詣にはもう行ったかい?」

澄み渡った冬の青空の下、嫌々ながらも押し開いた扉の隙間。そこからひょっこりと顔を覗かせたそれは、流れる水のようなスムーズさで言葉を紡いだ。ちょうどよく暖房のきいた部屋でひとり黙々と読書に勤しんでいたティエリアの穏やかな怠惰を根こそぎ掘り返し、挙句どかどかと土足で踏み荒らすの傲慢は、年明け早々からすでに絶好調ならしい。猫のようにくちびるの両端をくるりと持ち上げ、こちらの様子を窺うように、けれどそのくせ断られる可能性など微塵も疑っていないそれ。・・・・ここまでくると、呆れや怒りを通り越していっそのこと清々しい。ティエリアの口から漏れたのは小言ではなく、いろんなものを諦めた後の盛大なため息だった。

「ちょ、新年一発目にひとの顔見てため息つくのやめてもらえます?」
「新年一発目にため息をつかせる自分が悪いとは考えないのか」
「・・・・・全然」

新しく生まれ変わった年の空気は、どことなく華やいでいるような気がした。何の変哲もない冬の日だが、妙に空気が浮ついているというか。玄関先に飾られた賀正の文字、どこかの公園で揚げられているらしい凧が透明感の強い空を泳いでいる。きょときょとと落ち着かないの態度は、世間の浮ついた空気に煽られてのものなのかそれとも、世間の浮ついた空気を煽るものなのか。新年一発目にして、これで何度目になるか知れないため息を吐き出したティエリアは不意にピタリと歩みを止めた。

「・・・うわっ」

ドン、と背中にぶつかる衝撃、鼻を押さえながらティエリアを見上げる漆黒は、浮かんだ涙にじわりと溶けていた。

「〜〜〜っ、いきなり立ち止まるとかさァ・・!鼻が潰れたらどうしてくれる!」
「・・・元々そんな低さだったと記憶しているが」
「・・・『元々そんな “高さ” だった』 っていう言い方してもらえます?」

ちゃんと前を見て歩け。
ティエリアが唸るように吐き出した言葉に、あれは不満そうな顔をすると思った。きゅっと眉根を寄せ、夜の底のような漆黒にわずかな剣呑を揺らめかせて。けれどティエリアの予想に反し、はティエリアを見返してしばらくぱちぱちとまばたきを繰り返し、そしてへにゃりと笑みを滲ませる――それはまるで、これまで遠巻きにしかこちらに近づいてこなかったノラ猫が、足元に擦り寄ってくる様に似ていた。ごろごろと甘く喉を鳴らしながら、ひどく無防備に、漆黒の瞳をとろりと細めて。

「・・はやく行こーよ、ティエリア」

・・・・・・しかし総じて、猫という生きものは気まぐれである。ちょっかいを出すのは好きなくせに、出されると面倒くさそうな顔を隠そうとせず、無視されると軽く意地になる割に周囲に対して興味が薄い。警戒心が強い反面ばかみたいに無防備で、その時自分の興味関心を引くものを目の前にぶら下げられるとぱたぱた尻尾を振って後を付いていく・・・・が、基本的に飽きっぽいせいでふと後ろを振り返ったときには、既に別の何かに目を奪われていることも少なくない。

三箇日にあたる今日、彼らの住まうアパートから歩いて二十分くらいのところにある神社は数え切れない量の参拝客と、駐車場の空きを待つ車とでごった返していた。寒空のした、この閑静な地域のどこからこんな人数が沸いて出たんだと思うほどの盛況ぶりである、小さな子どもから腰の曲がった高齢者までわざわざご苦労なことだと、自分のことを棚に上げて考えたティエリアがふと後ろを振り返ったとき、そこにいたはずの猫は忽然と姿を消していた。ハッとして視線をめぐらせたティエリアは、人ごみの中にサッと紛れて消えた漆黒を目の端に捉えてその白皙に青筋を浮かび上がらせる、猫専用の首輪にリードというシロモノは存在しないものだろうか。

――・・ったく、あの馬鹿・・!」

大仰なため息と共にそう言葉を吐き捨てたティエリアはしかし、わずかだって慌てなかった。好意的に解釈すればティエリアはのことを信用していて、人ごみに消えた程度では耳かき一杯の心配だって抱かない。言い換えれば、参道にずらりと並んだ出店から漂ってくる匂いにつられてふらふらと人ごみに消えたのことなど、ため息ひとつで切って捨てた。あれが人ごみの中でぴーぴー声を上げるぐらいの健気さを持ち合わせていればいっそ可愛げもあったものを(・・それはそれで鬱陶しいというか、気味が悪いことこの上ないが)、ティエリアとはぐれたことに気付いたところで、「・・・ま、いっか」 というコンマ一秒も経たないうちに結論を導き出し、たこ焼きの行列に並び続けるに決まっているのだ。

剣呑な舌打ちをこぼしたティエリアは、彼の背後で今まさに声をかけようとしていた振り袖の女性二人組が人ごみの中でカチリと時を止めたのに気付かなかった。彼女たちとしてはシャッターを切ってくれないだろうかとお願い事をして、状況次第では少し話を・・と考えていただけだったのだが、ただそれだけで人のひとりやふたり殺せそうな舌打ちをした美少年の孕んだ空気に飲まれてしまう、触れただけでぴりぴりしそうなそれは彼女たちを萎縮させるに十分すぎた。

自分の容姿が他人の目を惹き、けれど纏った雰囲気がそれらを完膚なきまでに撃退してしまったことに気付かないティエリアは、とりあえず人の流れに沿って歩みを再開させることにした。いつまでも立ち止まっているのは邪魔になるだろうし、ここで突っ立っているよりも少し離れた人の少ないところにいたほうが猫を見つけやすいような気がする――猫が、こちらを見つけやすいような気がする。

初詣に来るというのは、何年ぶりだろうとティエリアは考える。去年はロックオンやアレルヤに誘われたものの謹んで辞退したし、その前は大学受験を建前にして回避した覚えがある、何度だって言うがティエリアは基本的に人ごみが嫌いだ。ただ形式だけの行事に参加する必要などわずかだって感じられなかったし、それは今でも変わらない。今だって正直を言えば帰りたい、空調の効いた部屋で静かに文字を目で追っていたい。

人の流れから少し外れたところで、ティエリアはうぞうぞと蠢く群衆を見遣る。彼はその視界の中に、猫の姿を探していることを自覚していた。口の中に苦さが広がる、なによりそれを不快だと感じていない自分をティエリア自身が信じられない―――ス、と細められた深紅の先、不意に空気が張り詰める。


人ごみの中に、冬の太陽をきらきら反射する金色と、芽吹き始めた若葉のような翠色が閃いて。


動き続ける人々の波、それらの不吉極まりない色が過ぎったのはほんの一瞬である、事実に基づいた確信はない。・・けれど、ティエリアは確信していた。自分の “第六感” というものがどれだけ信用に足るものなのか定かではないが、それでもあれは間違いなく。

――・・ティエリア! 甘酒あったよ甘酒、買ってくれても・・・・って、どしたの?」

がばり、背中に飛びつくようにしてティエリアの肩口からひょいと顔を覗かせる猫。不思議そうにその漆黒をぱちぱち瞬かせるそれを手で追い払いながら、彼は興味を逸らすように人ごみを歩き出す。伝えてやるつもりなど、端からなかった。


シュレディンガーの猫


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030:シュレディンガーの猫 ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(カナ交じり編)
writing date  08.12.22    up date  09.01.06
11/22に開催したチャット会でのネタ提供を元に、09年一発目をお送りしました。