[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

Colorful

:72



「・・はやく行こーよ、ティエリア」

朱音は、自分の機嫌がこれ以上ないまでにいいことを自覚していた。突然立ち止まった眼鏡にあわや顔面矯正という理不尽な攻撃を受けても、それに追い討ちをかけるような言葉を投げつけられようと、やたら上の立場から命令口調で可愛げもへったくれもなく注意されようと、自分の機嫌はふわふわ上部を漂って下降する気配もない。基本的にその変動は人並み程度かそれ以上に激しいという自戒が朱音にはあったのだが、この際撤廃してもいいだろうかと思うくらいの安定性である。ティエリアから発せられる辛辣な言葉も、「はいはい、今流行りのツンデレってやつだろ、わかってるって!」 とひとりで勝手にによによできる始末だ、我ながら頭に蛆が湧いているとしか思えない。

別にこの正月のあいだに、保護者や懇意にしているその友人たちからお年玉をたんまり拝領できたことだけが原因ではないし、もらったばかりのお年玉を賭かけて行われる麻雀大会で一人勝ちし、軍資金を二倍三倍に膨れ上がらせたことだけが原因でもない、・・もちろんそれらが要素のひとつであることも否定しないが。腹の底からふつふつと湧いてくる笑みをひどく前向きなため息に変える、冬の空気に白く凍える吐息。

“ダメで元々” だったのだ、玄関先であからさまに疎ましそうな表情を浮かべた白皙は 「知ったことか、行きたいなら一人で行け」 と吹きぬける北風より冷たい言葉をくれるだろうと予想していたし、覚悟もしていた。それでも壷焼きにしたサザエをぐりっとほじくりだすように、ティエリアを玄関先から引きずり出してやろうと意気込んでいた傍迷惑な決意はしかし、ため息をつきながら発せられた 「少し待っていろ、」 という言葉で意味をなくす。それらがそのまま機嫌の上乗せとして機能したのだろう、きっとこれが “ギャップ萌え” というやつだ。

ほかほかと湯気を立てるたこ焼きを片手に、朱音は人ごみをきょろきょろ見回す。下手をすると晴れ着に身を包んだお姉さんよりも周囲の人間の目を惹きかねない紫苑を探して、けれどその漆黒が彼の姿を捉えるのにそう時間はかからなかった。にんまりと口の端を持ち上げ、人の流れを掻き分けながら見慣れた背中にがばりと飛びついて深紅を見上げる。

――・・ティエリア! 甘酒あったよ甘酒、買ってくれても・・・・って、どしたの?」

邪魔だ煩いどけ止めろ、流れるような罵倒を紡ぐかと思ったティエリアの薄い唇は真一文字に引き結ばれている、鮮やかな深紅は人の波を追うばかりでこちらをチラリとも見ようとしない。斜め上にそんな白皙を見上げた朱音はわずかに眉根を寄せ、ぱちぱちとまばたきを繰り返しながら深紅の先を追う。そしてふっと首を真正面に向けた瞬間、横っ面をほとんどはつるような勢いで押しのけられ、ティエリアの背中からべろりと剥がれながら朱音は足元をぐらつかせた。何よりもまずたこ焼きの無事を確かめた彼女は、漆黒にわざとらしい涙の膜を浮かべてキッとティエリアを睨みつける。

「・・っひどい! 女の子の顔を殴るなんて!」
「・・・・・・・・・腹ならいいのか」
「ごめんなさい調子乗りました」

問題なのは、ティエリアのこぶしが自分の鳩尾を的確に突き上げることである、華奢に見える割に無駄のないスマートな筋肉のついているらしい腕から繰り出されるストレートは、容赦を知らないだけにタチが悪い。容赦は知らないが加減を知っているハレルヤより、容赦も知らなければもとより加減する気などさらさらないティエリアのほうがよほど殺傷能力に長けていることを知っている朱音は、素直に両手を挙げた。

――・・で?」
「・・・質問の意味がわからないが」
「や、なんかあったのかなーと思って」

ちら、と見上げた先の深紅はわずかだって揺らがない、前にできた長蛇の列を心底面倒くさそうに見遣るティエリアは一言、「別に、なにも」 とだけ口にした。奴には是非一度、自分の態度を見直してもらいたいものである・・・それが 「別に、なにも」 と言えるだけのものなのかどうかを、是非。たくさんの人間の話し声や笑い声がさざめくように響いている、ザァッと吹きぬける新春の風。

「・・ふうん? ならいいけど、」

気付かないふりをするのも楽じゃないのだ、会話のさざめきと通り抜ける風にため息を隠して。ふわふわと湯気を立てるたこ焼きをひとつ口の中に放り込んで、不意に下降線を描き始めたテンショングラフに歯止めをかける。はふはふと漏れる白い息、口いっぱいに広がるソースの香り――気を紛らわすには不十分だが、足しになることは間違いない。朱音は呆れたような色を宿す深紅を見返す。



「ティエリア、」

初詣からの帰り道、南天から少し傾いた空にある太陽を仰ぐ。雲ひとつない冬の青空はどこまでも透き通って、新調したばかりの世界をすっきりと包み込んでいた。新しい年を迎えたからといって何が変わるわけでもない、成人したからといって学生のうちは保護者の世話になったままなわけだし、自分の数歩前を歩く紫苑もいつも通りだ。何が変わるわけでもないが、何も変わらないわけではない。不変などありえないのだと、鼻で笑って言い捨てたどこぞのライオンが頭の中で像を結ぶ。これじゃあまるで言葉遊びだ、くつりと音もなく笑んだ朱音は紫苑の名を呼ぶ。

「・・・なんだ」

朱音は立ち止まり、右手を体の前にスッと持ち上げた。

「ティエリア、握手しよう」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「ちょ、なんで無視するかな?」

一言も発することなく、くるりと踵を返したティエリアのPコートの裾をつかまえて朱音はきゅっと眉根を寄せる、鋭く眇められた深紅を恨みがましく睨みつけて視線を戦わせること十秒。チッ、とただそれだけでアレルヤの一人や二人殺せそうな舌打ちを漏らしたティエリアが先に深紅を揺らし、それを見届けて朱音は口の端を持ち上げる。新年早々まったくもって幸先のいいスタートである、先に運を使ってしまったとか、そういう悲観的なことは考えない。

「ほら、手!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

まだ綺麗なミトン型の手ぶくろ、ぬくぬくとした体温に包まれていたそれを外すと、まるでタイミングを見計らっていたかのように木枯しが吹きぬけていく。想像以上の寒さにきゅっとこぶしを握ったてのひらを見下ろす深紅に、催促の言葉を重ねた。・・さも嫌そうにポケットのなかから這い出てきたティエリアの手を包んでいるそれを、朱音はまだ忘れていない。不意にきゅうっと詰まる呼気に気付かないふりをする。

華奢に見える白いてのひらに自分のそれを合わせる、その時はじめて、ティエリアの手のほうが大きいことを知った。

――・・今年も、よろしく」
「・・・・・ああ」

手のひらにじんわりと溶ける他人の体温は、こんなにも心地よいものなのだとはじめて知った。


神代の空


novel / next

003:神代の空 ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date  09.01.06    up date  09.01.10
なんともじれったい二人ではありますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。