Colorful
:74
朝の陽光が満ちるリビングのソファで、ティエリアはふっと目を覚ました。飛び込んでくる光の束に目を細めて睨んだ天井に見覚えはなく、首元まで引き上げた毛布も自分のものではない。横になったままチラリと視線を横に流したティエリアは、ローテーブルの上に散乱した空き缶やスナック菓子のふくろを目に留めてゆるゆるとため息を吐き出した。・・あの考えなしに忠告したのは自分だというのに、なんたる失態だ。頭蓋を覆う鈍痛に気付かないふりをして起き上がったティエリアは、やがて自分の横になっていたのとは違うソファの一辺を見遣り、大きなため息を重ねた。視線の先では、夜色をした猫が毛布とまるくなっている。
意識の中にしつこく居座るとろとろした眠気を一掃するため、ティエリアは目に付いたミネラルウォーターを口に含んだ。それでもしばらくぼんやりと視線を漂わせ、朝の気だるさに身を任せていたティエリアだが、ふっとひとつ息をついて立ち上がる。自分がつい先刻まで使っていた毛布を抱え上げたティエリアがしたことは、それをソファの上で小さくなっている猫にかけてやることだった。
「
――――・・・」
自分の両膝を抱え込むようにしてまるくなっている猫、差し込んでくる光から逃げるように、ソファの背もたれのほうへと顔を向けていたそれの顔はティエリアから見えない。これ幸いとかけてやった毛布を整えている最中、突然ごそごそと猫が寝返りをうったせいでティエリアは内心飛び上がるほど驚いた。それこそ猫や犬のように小さな呻き声をあげたそれのまぶたが、ゆるゆるとひらく。
「・・・ん・・てぃえ、りあ・・?」
眠気にとろとろ溶けている漆黒の瞳、それは確かにティエリアの姿を映しているが亡羊として焦点が定まっていない。起き抜けの言葉はきちんとした輪郭を伴わず、掠れ気味な声と相まって朝の光にほぐれていく。年齢の割にどこか幼く見える猫。
「
――・・まだ寝ていろ、起きなくていい」
夢の中に片足突っ込んだままなのか、ほにゃりと淡く微笑んだ猫の漆黒の毛並みにティエリアは指を滑らせる、するするとほどけていく髪をゆっくり梳いて、頬に赤くはしるソファの跡を指でなぞった。触れた指先から伝播する、やわらかくも抗いがたい眠気にティエリアはあくびをかみ殺す。ごろごろとのどを甘く鳴らしながら目を細める様はあたかも餌をやるときにだけ人懐こくなる猫のよう。やがて穏やかな寝息をたてはじめたそれを間近に見下ろして、ティエリアは小さく息をついた。
「・・・・・・・朝っぱらから見せ付けてくれんなァ、おい」
「・・ハレルヤか」
ごく控えめなノックの音につられて視線を上げた先、ニヤニヤと口の端を持ち上げるハレルヤ。一瞬ひどく不愉快そうな顔をしたティエリアだが、諦観を滲ませた大きなため息をついた彼は嫌味や罵詈雑言を紡ぐことなく、またそこから動こうともせず、視線をただ自分の手元に落とす。
だからティエリアは、ハレルヤがそれまでとは種類の違う笑みを見せたことに気付かなかった。
「・・コーヒー、飲むか?」
「・・・ああ、」
どこでもいいから座れ、と示されたダイニングテーブルを前に、ティエリアは一番窓際の席に腰掛けた。斜めに足を組んで座り、テーブルに肘をついてぼんやりと窓の外を流れる雲を眺める。冬の淡い青空に浮かぶ白い雲は、夏のそれに比べると随分存在感が薄い。今にも掻き消えてしまいそうな雲を見上げて、ふぁ・・とあくびを漏らす
――すっかり目は覚めたと思っていたのだが実際そうでもなかったらしい、世界と意識をやわらかく切り離す透明なびろうどに、ティエリアが小さく嘆息する。
「で? お前らいつまでこの中途半端なままでいるつもりだよ」
まるでコーヒーに砂糖やミルクを入れるのかどうかを尋ねるような、そんな当たり前の口調で。ヤカンを火にかけたハレルヤは、換気口のしたで慣れたように煙草をくわえた。換気扇のまわる静かな音が部屋に満ちる。
「“何を言っているのかわからない” なんてくだらねェこと言ってくれんなよ、」
そこのバカみてェに。・・付け加えられた一言にティエリアは眉根を寄せる、どいつもこいつも余計な世話ばかりだ。そこのバカがそう答えたのなら、それが全ての答えに決まっているだろう、今さら自分が付け加えたり変更したりする余地などないはずだ。思わず吐き出したため息が窓を白く曇らせる、わずかに時間を置いて再び空気に溶けていく様をぼんやりと眺めながら、ティエリアは静かに口を開いた。
「
――・・お前は、あれをどう思う?」
「・・・・・・・・・は?」
「お前にとって、あれは一体なんだ?」
流れた沈黙は、決して短いあいだではなかったと思う。低い音を立ててまわる換気扇、しゅんしゅんと少しずつ湯気を上げ始めたヤカン、窓の外から聞こえてくるスズメの鳴き声と穏やかすぎる猫の寝息。特に何も用事の入っていない休日の朝、ただよう空気はどこまでも怠惰で。別に明確な答えを期待して質問を投げかけたわけでもないし、返答を催促するつもりもない。別に答えないならそれでいいと結論付けたティエリアは、ふうわりと香ってきたコーヒーの匂いに視線を戻した。
「・・・ん、砂糖とか欲しいんなら自分で勝手にやれ」
「いや、このままで構わん」
目の前に掲げられたマグカップを受け取り、ティエリアはそっとそれに口をつける。インスタントなどではないらしいそれが口腔で香り、舌に広がる熱さが未だに眠気を引きずるからだに沁み込んでいく。
「
―――・・美味いな」
「だろ、前に喫茶店でバイトしてたときにちょっとな」
こくり、ゆっくり一口飲んで、ティエリアはお世辞でもなんでもなく言葉をこぼした。喫茶店でアルバイトをしていたというのは知らなかったなと思うにつけ、そういえばハレルヤとこんな風に話をするのは初めてだということに気付く・・・というか、そう短くもない付き合いのなか、アレルヤたちの家に泊まることも初めてならこんな飲み会に顔を出したのも初めてだということに気付いた。一年前の自分なら到底考えられなかったことだろうし、正直を言えば現在進行形で信じがたい。・・・・・一体いま自分は、何をしている?
「・・・・・あいつはある意味、トクベツだな」
「? ・・ああ、あの阿呆のことか」
「そ。そのバカのこと」
ふわふわと立ち昇る湯気の向こう、ハレルヤは紫煙をくゆらせている。
「あんなの、女でも男でもねーよ、つーか認めねぇ。・・だから俺にとってあいつは 例外 だ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「あ、でも気色悪ィ勘違いすんなよ。俺は、あいつがすっぱだかで寝こけてても、何もしねェしする気も起きねェ自信がある」
―――コイツと少しでも話をしようとした自分が馬鹿だった、本当に今自分は何をしているのだろう。ティエリアは思わず頭を抱えながら、肺胞の空気をすべて押し出す勢いでため息を吐き出した、心底下らないうえにどうしようもなく馬鹿馬鹿しい。今まで美味かったはずのコーヒーの味が途端に落ちた気がするのは、自分の考えすぎだろうか。
「・・・んで? そこんとこ、お前はどう思って 「っふわぁああぁ、おはよう二人とも。随分早起きだね」
目をこすりこすり部屋に入ってきたのはアレルヤ。ぐぐっと両腕を天井に突き上げて背伸びをし、ふわふわと漏れるあくびをてのひらで隠した彼は、リビングに広がるコーヒーの香りにへにゃりと相好を崩している。あ、そうだ知ってる? ハレルヤの淹れてくれるコーヒーは美味しいんだよ、ティエリア。コーヒーを口にして幸せそうに目を細めたアレルヤが、半開きの口のまま唖然と立ちすくむ二人に気付いたのは、二口目のコーヒーを含んだときだった。
「・・・・・・え、僕の顔に何かついてる?」
明ける夜が
もたらすもの
novel / next
明ける夜がもたらすもの ... ジャベリン
writing date 090118 up date 090404
ねこねここねこ、夜が明けるよ。 (水城さんネタ提供あざーっす!)