Colorful

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「っくぁあああ、うん、んまかったー」

冬の夜空には星が多い。空を塗りつぶす漆黒の影でちらちらと星が瞬いている、西の空に浮かんでいた魔女の爪のような月はとっくに地平線の向こうに沈み、広がる夜空を支配しているのは星々のかがやきだった。街灯の下で両腕を空に突き出し、ぐぐっと背伸びをしたはそうしながらくるりと体を一周半回転させる。数歩うしろを歩くティエリアを振り返り、ほんのり上気した頬をそのままにへらりと笑った。

夕飯と一緒にたしなむ程度のアルコールをとったは見るからに機嫌がいい。これは基本的に必要のあるなしにかかわらず口元に笑みを乗せている人間だが、猫のようにくるんと口の端を持ち上げるそれはほぼ間違いなくこれの上機嫌を指し示していた。おべっかではなく、自然と浮かぶ笑みのほうがあくどいというのもどうなのだろう、そのせいでとろりと細められた瞳の無防備さが妙に際立っている。

「はちみつトーストひっさしぶりに食べたけどやっぱおいしいね、あれ。ウチでも出来ないかなァ」
「・・そんな風にしているとこけるぞ」
「だいじょうぶですぅー」

ムッとしたようにくちびるを尖らせ、けれどは堪えきれないような笑みをたたえてくるくるとステップを踏んだ。決して覚束無い足取りをしているわけではないのだが、どうにも頼りない。すこし目を離した隙に、路地裏にひょいと入り込んでそのまま姿を隠してしまいそうな軽々しさがある、途端、嫌悪にも似た言い知れぬ何かに肌がぞくりと粟立った。

は誰にも手を伸ばさない。自身に向かって伸ばされる幾多の腕など気にも留めず、あれは半透明の膜の内側で自身の膝だけを抱えている・・・あるいは、自分に向かって手が伸ばされていることにすら気付くことなく。しんとした静謐に満たされた羊水の中で、まるで眠るように。様々な感情をたたえる闇色の瞳はそのくせ、何者にも揺るがされない。

「っはぁ・・・さむいねぇ、」

ティエリアは、自分が今この場所に立っていられるのは、手を伸ばしていないからだと知っていた。自分がいままでこれのとなりに立っていられたのは、それを欲しがらなかったからだ、求めなかったからだ。――グラハム・エーカーに対するあれの態度を見ていればわかるだろう、当人をして過保護と呼びなわされる保護者をもつはもともと年上の人間に甘えることに慣れている。それでなくても周囲との距離感を保つバランス感覚に長けているだ、それほど歳の離れていないロックオンとグラハムに対する態度があれほどまでに違う理由など、ひとつしかない。

「・・・・・そうだな」
「・・なーんかティエリア、テンション低くね? どしたの?」

手元に広げた小説の類をのぞきこむような気軽さで、ひょいっと視界に割り込んでくるそれに眩暈がする。

「やっぱ、具合わるい?」
「・・・なんでもない。気にするな」
「・・・・・・マフラー貸そうか?」
「要らん」

きゅ、と眉根を寄せた阿呆がまたいらないことを言い出す前に。ティエリアは止めていた歩みを再開させた、「ちょ、待ァてェよ!」 という古い上にどうしようもなく似ていないモノマネを背中に聞きながら、夜に足を踏み込んでいく。路地を吹きぬける風がティエリアの紫苑を散らした、ぴしぴしと頬をさすそれらを片手で押さえながら彼は夜空を見上げる。吐き出すたびに息が白く凍る。寒さの底はちょうど今ぐらいの時期だろう、あとは緩やかにのぼっていくだけだ。

背後から、首にふわりと投げかけられた白いマフラー。ななめ後ろにあった街灯が彼の背後でごそごそ動く影を地面にうつし、思わず足を止めたティエリアにそれを伝える。・・わずかに背伸びをしているらしい様子に、一瞬言葉を見失った。

「・・・・・・・何を、している」
「や、だってなんか寒そうだったから」
「・・ついに耳までおかしくなったのか」
「頭はすでにおかしかった、みたいな言い回しすんのやめてくれる?」

突き返すべくマフラーに手をかけたティエリアだが、のほうが一足早かった。長いマフラーの端を首の後ろでぎゅっと結び付けてしまったらしい、髪の毛やあごまでうずめてしまった白が首まわりをちくちく刺激する。きゅっと眉根を寄せたティエリアを見上げて、は笑う。

「まぁまぁ、折角だから使いたまえよ。・・・・・な?」

―――――・・ぶん殴ってやろうか、このおんな。
ティエリアはぎりぎりと奥歯を噛み締める、ヒュッとか細い悲鳴をあげたのどに知らないふりをして、ともすれば伸びてしまいそうな手を理性で繋ぎとめる。腹の底からせり上がってくる熱を吐息に溶かして、彼はゆるゆると息をついた。ここでに手を伸ばして、この衝動から逃れられるのならティエリアは決して躊躇わなかっただろう。けれど違うのだ、その程度のことで逃げられるような類のシロモノではないということをティエリアが一番よく知っている、・・知って、しまった。

あれとの距離は今がベストだ。伸ばされる腕を取ろうとせず、また自分から腕を伸ばそうとしないが自身の膝を抱えてとろとろと眠っていられるのが今の距離で、互いにとって最も都合のいいポジション。これまでのこの認識が間違っていたとは思わない、ティエリアにとっても、そしてにとっても今の立ち位置は一番無理がなく、無駄のない “背中合わせの” 場所だったはずだ・・・・・・・・・それに満足できなくなったのはいつだったのだろう。ティエリアはそれを知らない、知ろうともしなかった。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
「だいじょうぶですぅー、今年買ったやつだからそんなに汚くありませんー」
「・・・・“そんなに”・・」
「昨日ルークとそれで遊んだけど大丈夫! お風呂入ったあとだったし!」

これの眠りを妨げるようなことをすればどうなるのだろう、考えるまでもなく出てくる答えにティエリアは薄く笑う。の睡眠にかける執念、寝汚さをティエリアはよくよく知っている。手を払いのけられる程度ですめば御の字だ、噛み付かれたところで痛くなどない――あのとき、なんでもないよと笑った顔がまぶたの裏に焼きついている。感情がむしりとられ、指先から冷えていくあの感覚を忘れていない。

「あ、そーだ。ティエリア、今日のはルークにナイショな?」
「・・・理由は、」
「ウチらだけ んまいもん食べてきたって知ったら、ルーク絶対おこるもん。なんかこう、適当に話あわせてよ」
「・・・・・ああ、」

の機嫌は上々だ、くるくると跳ねるように歩く薄い背中から奇妙な鼻歌が聞こえてくる。最近、あれがはまっているらしいドラマの主題歌が、最終的にどうして津軽海峡冬景色につながるのかティエリアには理解できないが、冬の夜にするするとほどけていくそれを右から左に聞き流しているうちに、それでも構わないのだろうという気になった。どれだけわかったふりをしようと所詮は他人。理解が及ばないからこそ興味を抱くのだろう、・・いい意味でも、悪い意味でも。

気付かなかったふり、知らなかったふりをするには、性質の悪い癌のように深いところまで巣食ってしまったこの病巣は大きすぎる。いつの間にやらかなり深くに根ざしてしまっていたそれをティエリアは嗤う、自分に無関心なのは何もに限った話ではないらしい。


ティエリアは気付いてしまった。
あれの傍らに――・・背中合わせではなく、隣に在りたいという想いに。


手向けの花


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手向けの花 ... ジャベリン
writing date  090402   up date  090421