Colorful
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バイト先から自宅アパートまでは徒歩十分、一週間前と比べてもずいぶん冷え込みの薄れた夜のなかをは一人歩いていた。よく晴れた夜空には金色の満月がぽっかり浮かんでいる、空に向かって息を吐いても白く凍ることなく夜風に溶けるようになったのはいつのことだったろう。ザァ・・ッ、と吹きぬけていく強い風がひとつに結んだの髪を弄びながら流れていく、身を切るような冷たさをどこかに忘れてきたらしい夜風が春に薫った。
最短ルートは左の道だが、はその分かれ道で右に進んだ。普段あまり使わない道の景色は新鮮だ、不釣合いとも思えるほどオシャレな一軒家が突然現れたり、馬鹿な犬にいきなり吼えかけられたりしながらはまっすぐに道を進む。こちらの道が少し遠回りになるのも理由ではあるが、が昼間この道を使わないのには他のわけもある
――子どもが多いのだ、この辺は。
「・・・・・よ、」
家々の立ち並んでいた視界が突然ひらけ、そこにぽっかりと口を広げているのは児童公園である。四から六区画程度の広さの土地に申し訳程度の遊具を置いただけの小さな公園だが、昼間ともなれば学校帰りの子どもたちが元気を爆発させているし、夕刻から夜の入り口の時間は中高生と思しきカップルがそっと寄り添っていたりしていて、近くに住む人々の憩いの場としてなかなかに賑わっている。ある雨の日、ルークを見つけたのもこの公園だ。
入り口を入ってすぐ、防犯灯のしたにあるベンチに腰掛けている紫苑は片手に文庫本を広げていた。じゃり、との靴の裏が発する音と声に目を上げたティエリアは、もう片方の手で操っていた携帯をぱこんと閉じてポケットにそれを滑り込ませる。はだらだらと彼に向かって片腕を上げた、ついでに腕時計で時間を確認する。
「あー・・ごめん、待たせましたか」
「そうだな」
「・・・・“いや全然、今来たところだ” とか言ってみやがれコンチクショー」
「嘘をつく意味が分からない」
「・・ですよねー」
突然目の前に放られた缶コーヒーを掴まえて、は目をまんまるにティエリアを見返す。どこか不機嫌そうにも見える白皙はふっつりとくちびるを引き結んだまま何も言わない、鮮やかな深紅は夜空を見上げている。・・にやにやと緩む口元を抑えられない、なんというツンデレヒロインだろう、まるでギャルゲーの主人公にでもなったような気分だ。しかしここで普通、ゲーム中のヒロインは主人公に向かって 「・・・・・・気味の悪い顔だな、」 とは言わない。
「・・・あのさ、フツー人間に向かっていうセリフじゃないよ、“気味が悪い” って」
「・・・・・・・“気色悪い”」
「なにが変わったんですか、それのどこが人に向かって言うセリフなんですか」
「“不気味”」
「それある意味ふりだしにもどったよね? ・・なに、わたしのこと嫌い?嫌いだから言ってんの?」
その言葉に、ティエリアはチラとこちらを見返しただけで何も言わなかった。
「・・五分咲き、というところだな」
この児童公園、別名を “さくら公園” という。周囲を囲むようにたくさんの桜が植樹されているのではなく、ただ一本だけ植えられた桜の巨木が大きく枝を伸ばしていた。葉をつける前の枝は桜の花を咲かせるために先端をほんのりと朱に染め、つぼみがふくふくと綻び始めている。日当たりのいいところからパッと開いた花は、桜色としか言えない花びらに春をまとっていた、明るい満月の夜と公園の電灯に照らされる桜はの目に儚くもあり、そしてどこか妖艶にも見える。
「少し時期には早いけど、満開になったらみんなお花見始めちゃうからねー」
バイト中、店番をしながらティエリアの携帯にメールを打ったのはが先だ。この近所に住む常連のおばあさんが、肩に桜の花びらを一枚のっけて店にやってきたのを見て不意に思い立った。
「・・・・・この公園でか?」
「うん、結構熾烈な場所取り合戦が繰り広げられるらしいよ」
が実際その合戦に参加したことはない、ただそういう話をルークに聞いた。当のルークは猫という特性を大いに利用して、名物の桜を一番近いところで眺めながら昼寝をするのにこの時期はどうも忙しいらしい、まったくどこまでも羨ましいやつだ。ふぅ、と小さく息をついたは電灯に寄りかかる形で背中を預け、頭上の桜を仰ぎ見た。夏になると毛虫がつくからという理由で切り倒されそうになったとき、周辺住民の猛反対で市の計画がストップしたという過去は、未だに周辺のおじいちゃんおばあちゃん世代にとって輝かしい武勇伝のひとつだ。店番をしながら何度同じ話を聞かされたことだろう、はこの時期になると必ずその話を苦笑いと共に思い出す。
「
――・・ティエリアはさァ、院行くの?」
「・・お前の話はいつも唐突だな、」
「率直と言ってよ。・・で、そこんとこどーなんスか」
少しの間沈黙したティエリアはしばらくして、そうするつもりだと呟いた。
「それは院行くって意味?」
「ああ。・・余程のことがなければ、という話だが」
「・・・・・・・あれ、ロックオンって今年M2?ドクター?」
「いや、彼は卒業した」
―――ぽく、ぽく、ぽく、ちーん。
「えええええ、卒業って、えっ卒業!?」
「・・? 言って、なかったか?」
「言ってないし! ちょ、頼むよティエリアぁ、なんでそーゆー大事なこと言ってくんないかなァ、」
足元に落ちていた空き缶を拾い上げたは、くず入れに向かっておおきく振りかぶった。ゆるやかな放物線、というよりは鋭い直線を描いて彼女の手から放られたそれはくず入れの縁に当たって地面をカラカラと転がる。カァン、と高く響いた音は春の夜に吸い込まれ、近くで飼われているらしい犬の遠吠えが聞こえてきた。小さく舌打ちして空き缶をもう一度拾い上げ、今度はちゃんと空き缶専用のくず入れに投げ込んではベンチを振り返る、いい加減見慣れたはずの白皙がしかし、一瞬知らない人間に見えた。
「・・ロックオンの卒業は、君にとって大事なことか?」
「そらそーでしょ。初任給にたからずに何にたかるっての、」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「冗談だよ、半分ウソだって。・・なんかでばったり出くわしたとき、おめでとうございますの一言も言えないのはイカンでしょ、やっぱ」
はふわふわとあくびを漏らす、目尻に浮かんだ涙を袖口で拭ってへらりと笑った。
「お前はどうするつもりだ、」
「んー・・それがまだ決まんなくて。正直迷ってる」
“貴女がそうしたいと言うのなら、院に行くのもいいと思いますよ” という保護者の言葉はすでに貰っている。というか、そのセリフの前に “何をいまさら、” という一文が入るあたり向こうにしてみれば確認することでもなかったらしい。
「・・でも、これまでずーっと甘えっぱなしだったしさァ。社会に出るのもひとつの選択肢かなぁって、」
――もう、大学三年生になってしまった。まわりの友人たちが今後の身の振り方について話しているのを聞くうちに、基本スタンスが 「まァ、なんとかなるんじゃない?」 というぽけぽけした感じしかイメージしていなかったも、というかそんなだからこそ焦りが募り始めている。目の前のことにばかり意識を向けていたせいで今まで気付かなかったが、自分の周りはその先の道をとうに模索していたのだ、ティエリアのようにある程度道を決めてしまった人だって少なくない。・・それらを目の当たりにするたび、足が竦む。みんな団子になって能天気にぺちゃくちゃ喋っていたはずなのに、ちょっと靴ひもを結んでいる隙に背中がぐんと遠ざかってしまった気がして、もう追いつけない気がして、途方もなく不安になる。
「・・・・・・・・・なんか、わかんなくなってきた」
「焦ってんのか迷ってんのか悩んでんのか、怖がってんのか不安なのか寂しいのか」
ざぁ・・っ、と吹きぬける風が花弁を夜に踊らせる。満月の夜というのはなるほど確かに、人の気を惑わすらしい。
「ごめん、ティエリア。・・・・・・・帰ろっか、」
「大丈夫だ」
「
――――・・」
「お前なら、なんとかなる」
有無を言わせない傲慢で不遜な言葉が、しかし夜風にするするとほどけていく。満月の夜に桜の花、人の気のみならず鬼の気だって惑わす魔力が春の夜には満ちている。
――ズズッと小さく鼻をすすったは、やがてこくんとうなずいた。
月に群雲、花に風
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新生活にバテ気味なお嬢さま方に捧げます・・・・言われたいのは何を隠そうこのわた(ry