Colorful
:81
「ねぇ、この後ちょーっとだけ時間いい?」
この日すべての授業を終え、カバンに辞書レベルの厚さを誇る教科書を仕舞いこんでいたは、後ろから首にぎゅむっと抱きついて右斜め45度に小首を傾げた年下の友人、ルイス・ハレヴィを見返して露骨に表情をゆがめた。ハレヴィ財閥の一人娘であるルイスと初めて会ったのはとあるパーティ会場、がまだ保護者の足元にくっついて歩いていたその頃からの付き合いである。有力財閥の一人娘として大切に育てられてきたルイスは女の子のたしなみとして、自分が相手にとって好印象にうつるポイントを知っている。ただでさえ人見知りせず人懐っこいルイスだ、彼女のそんなかわいらしいお願いはだって聞いてやりたい、聞いてやりたいが残念なことに、ルイスのお願いは時々どこからどう見ても “かわいくない” ことがある。・・例えば今のように、やたら密着した姿勢で右斜め45度に首を傾げたとき持ちかけられる お願い がそうだ。
「無理、ごめん、用事ある」
「ウソね。さっきお昼食べながら 『今日は帰ってのんびりしよー』 って言ってたの、どこの誰だっけ?」
「のんびりするのが今日の用事。だから帰る」
「もう、小学生じゃないんだから! はい、そこ座って!」
くびれた腰に両手をあて、桜色のほっぺたをわずかにふくれさせるルイスは可愛い、下手なアイドルなんか目じゃないくらい可愛い
――が、しかし。油断した隙に前に回りこまれ、両肩をぐっとつかまれて立ち上がりかけた椅子にどっかり座らされたにしてみれば、口からは変な声が漏れるし魂だって抜ける。糸の切れたマリオネットのようにぐでーんと全身を弛緩させたにルイスは柳眉を逆立てる、沙慈くんは本当に包容力のある懐の深い子だなぁ、うん。
「・・・ちょっと、話聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。いやホント沙慈くんいいよね、あんないい人なかなかいないと思うよ、うん」
「まぁね、なんたって沙慈だし! ・・・・・って誰もそんな話してないんだけど」
「あれ、ノロケ話聞くのがノルマじゃないの?」
「・・ふーん、そんなに沙慈と私の話が聞きたいなら明日たっっぷりしてあげる。でも今日はそうじゃなくて、」
なんだか今、途轍もない約束をされた気がする。
「
――に、どーしても会ってほしい人がいるの」
とルイスは自他共に認める正反対のタイプの人間である。人目を惹くパッと華やかな容姿をもち、女の子同士で集まって三年の先輩がかっこいいとかアーチェリー部の新入生がかわいいだのと黄色い声をあげるルイスと、昼休み学生が多く行き交う中庭のベンチで白衣を着たまま堂々と昼寝をした挙句、講義開始五分前になって同学部のスザクに首根っこをつかまれずるずる引きずられていく。歳が少しばかり離れていることもあってなかなか結び付けにくい二人はそのくせ、妙に気が合った。は時折、伝手から伝手を辿るようにして合コンの誘いを受けることがあるのだが、聞いたコチラが馬鹿でしたといいたくなるような光の速さで申し出を断る。果てしなく面倒くさいからだ、他に理由はない。だいたいタダ飯を食べたいなら保護者かその友人に連絡する。以前、どうして参加してくれないんですかと幹事の子に詰め寄られ(後から聞いた話によると、どうやら自分は客寄せパンダとしての役割を担わされていたらしい)、その理由をバカ正直に話して途方もない怒りを買ったことがあったのだが、その時その子を宥めてくれたのがルイスだった。ルイスはそういう類の話に絶対顔を出さない、今ならその理由も容易に思い浮かぶのだが、むしろそういうものには積極的に顔を出しそうなタイプに見えるだけやたらと印象に残った。・・つまり彼女も、面倒くさいだけで自身の利益にならない話には絶対乗ってこない性質の人間なのである。
そんなルイスに指定された駅前の喫茶店で、はぶすくれたまま小説を広げていた。“帰りたい面倒くさい帰りたい面倒くさい” がAll Repeatで頭の中にこだまし続けている、びっくりするくらい文章が頭に入ってこない。だからは、店の出入り口からまっすぐ彼女の座るテーブルへ歩いてくる影に気付かなかった。
「はじめまして・・というより、久しぶりだねと言ったほうが正しいかな。・・・こんにちは、」
やわらかく耳に馴染む高めのテノール、目を上げた先にあったその見慣れた顔には言葉を見失う。陶器のようにすべやかで白く透き通った頬、長い睫毛に縁取られたまぶたの奥、レンズ越しでも鮮烈にひらめく深紅、色鮮やかな紫苑の髪
――くるりとその毛先が丸みを帯びていることをのぞいて、にとってとてもじゃないが初対面とは思えない顔が、柔和に微笑んでいる。
「あはは、びっくりしてるみたいだね。・・でも覚えてない? 僕らは少し前に会ってるんだけど、」
こんな印象に残りやすい顔、そう簡単に忘れられるものか。怪訝そうに眉根を寄せたはそれでも促されるまま記憶を辿る、顔の造りは隣人と瓜二つだが浮かべている表情はまったくもって別物だ、似ても似つかない。奴はこんな風に口の端をくるりと持ち上げた猫のような笑い方は決してしないし、人の顔色を窺うような上目遣いでこちらを見上げたりしない。耳朶をやわらかく撫でるような喋り方もしないし、いちいち言葉に含みも持たせない
――・・、
「・・・・・あ、」
「・・思い出してくれた?」
「クリスマスのときのドッペルゲンガー」
鼻先に人差し指を突きつけ、は無表情にそう言い切った。指を突きつけられたドッペルゲンガーは一瞬ぽかんとしたように目を丸くし、何度かまばたきを繰り返した後にプッと吹きだす。さも可笑しそうにクツクツと肩を震わせる彼を前にはサッと手を引っ込めた、今さら自分のしでかしたマナー違反に気付いたところで後の祭りだが、しないよりはましだと自分に言い聞かせる。
「そ、そんな笑わなくても・・・」
「ふふっ、ごめんごめん。だってがあんまりにも僕の予想通りに予想外なひとだから、」
「・・・・・・・?」
よりいっそう眉根を寄せ、訝るようにスゥと細められる漆黒の前で、しかし彼は笑みを深めた。
「僕はリジェネ、リジェネ・レジェッタ。あのパーティで君を見かけてから、ずっと話をしてみたかったんだ。・・急に呼び出したりして、ごめんね?」
の見慣れているこの顔は、不機嫌そうに柳眉を寄せて深い皺を刻み、一切の甘えを許さない深紅の眼光をたたえてくちびるをきゅっと引き結んでいる。相手に合わせて相槌を打ったり、口元に笑みを浮かべるなんてスキルを習得していれば、奴の世界はもっと広がっていただろうし、もっと煩雑なもので溢れていたはずだ・・例えば今、目の前でにこにこ笑うこのひとのように。
「僕の父親が、君の・・保護者さんの会社と取り引きしててね。折角だからって、僕も連れていってくれたんだ」
「・・そっか、ちゃんと挨拶できなくてごめん。人が多かったから、ってのは言い訳だけど」
「気にしないでよ、そんなのお互い様だし。・・・・それより、は僕になにか聞きたいことがあるんじゃないのかい?」
まるでリバーシブルの服を裏返すように、奴を裏返しにしたらこうなるのかもしれないなと思った。
「・・ティエリアとは、親戚かなにか?」
「うん、いとこ同士だよ。一応血は繋がってるから、この顔の理由もつくかな」
そりゃ随分と優性な美形遺伝子でしたこと、そんな皮肉が口を飛び出しそうになってどうにか飲み込む。どれだけデジャヴを覚えそうな顔立ちをしていても他人は他人、それにジェイドの会社となんらかのつながりがあるならの立場は自然とかたまってくる。見慣れたそれに反射で言葉を返すと、とんでもないことになるような気がした。
「・・ねぇ、今日はこのあと時間ある?」
答えなど、ひとつしかない。
空っぽの箱
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128:空っぽの箱 ... 鴉の鉤爪 / ざっくばらんで雑多なお題(日本語編)
writing date 090413 up date 090509
満を持しての登場ですが、まだよく掴めていない感満載で続きます。