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Colorful

:82



窓の外を流れていく夜の街並みを、朱音はぼんやりと眺めていた。ちょうどいい頃合いまで膨れたお腹と相まって、とろりとした眠気が思考を覆う。リジェネがその柔和な表情に似合わずぐっとアクセルを踏み込むたび、段違いに性能のいいエンジンがマシンの中で静かにうなり、革張りのシートが震える。喫茶店を出て(コーヒー代までもってもらってしまった)案内された駐車場で、カブリオレ――いわゆる “オープンカー” スタイルのVolkswagenをして 「乗って?」 と言われたときには、土下座する勢いで辞退を申し込んでしまった。この車の助手席を勧められた現段階ですでに道行く人々の奇異の視線にビクビクしているのだ、これで街を走るなどと言われた日にはタコのようにうずくまって顔を上げられないに決まっている。

せっかくいい天気なのに、とくちびるを尖らすリジェネに、気にしたこともない日焼けがどうのこうのとか花粉症で大変なんだとか様々な理由を並べたててクーペスタイルにしてもらい、それでようやく朱音は助手席に滑り込んだ。だからといってにじみ出る高級車のオーラは微塵も薄れないし、特徴的なロゴはやはり人目を引く。最初は運転席でさも楽しそうに、しかも朱音ですらわかるほどなめらかにハンドルを捌くリジェネのとなりで小さくなっていた朱音だが、五分もすれば飽きた。自分がこの車とリジェネの価値をぐいぐい引き下げているのを理解しながらも、包み込むような背もたれに体重を預けて現状を楽しむことにする・・・彼女の十八番はいつどこでどんな状況にあっても発揮されうる “開き直り” だ。

――・・髪、気になるかい?」

ふっ、と思考の渦に飲まれかけていた朱音は、リジェネの言葉に視線を上げた。

「さっきからずっと、指でいじってるから。・・やっぱり、切るの嫌だった?」
「・・え、ずっとしてた?」
「うん、ずっと」
「・・気になるってゆーか、短くするのなんて中・・小学生以来だから、なんかスースーするんだよね」

指紋ひとつないウィンドウには、あごのラインでカットされた毛先をふわふわと躍らせた見慣れない顔が映っている。

「嫌だったら嫌だって、リジェネが切ってくれる前に言うよ。単純に慣れてないだけだから」
「・・本当?」
「タダでかぁいくしてくれたんでしょ? 感謝してます、」

美容師の卵なのだと名乗ったリジェネが髪を切らせてくれないかと申し出たのは、朱音が完全に開き直り、通常レベルで舌がくるくる回るようになったころだった。信号で止まったタイミングでひとつに結われている髪の一束を手に取ったリジェネは、探るような上目遣いで言葉を紡ぐ。一も二もなくお願いします、と言ったわけではなかったが、それでも最終的に朱音は 「じゃあ、よろしく」 と笑った。リジェネの話術に絡めとられたというのもある、見かけによらない人懐っこさにほだされたというのもある・・・・・・・けれど、何より。

「それを聞いてほっとした」
「言いだしっぺが、よく言うよ」
「だって僕、ショートカットの子が好みだから」

スッと音もなく伸びてきたリジェネの左手が、耳朶を撫でるように短くなった髪に触れる。

朱音みたいに綺麗な髪の子なら、なおさら・・・・・・ね?」



「今日はありがとう、晩ご飯までごちそうになっちゃってごめん」
「急に呼び出したのは僕の方だよ? そのくらいしなきゃ、」
「リジェネおっとこまえー! ・・これはジェイドによろしく伝えておくべき布石?」
「彼にそんな伝手の作り方したって無駄だって、朱音も知ってるくせに」

むっとしたように眉間にしわをよせ、くちびるを尖らせるリジェネに朱音は笑う。朱音の住まうアパートの前に車を停めたリジェネは、わざとらしく背もたれに埋もれながら彼女を見上げている、口の端をくるりと持ち上げて笑う彼の表情はやはり朱音に猫を思わせた。誰がエサをくれるのか、誰が愛してくれるのか。深紅の瞳の奥でそれらを注意深く、そして的確に見分けている気高く、わがままな猫。

「・・・じゃあ、この辺で 「あ、朱音ちょっと待って、」

滑るように運転席から降りたリジェネが、車の前を通って助手席側へ立つ。きょとりと首をかしげる朱音に口元の笑みを深めた彼は、助手席のドアを開いて一言――「・・お手をどうぞ?」

「ぶふっ。何それ、そんなのいつやんの?」
「・・多分しないけど、一度やってみたくて」
「それをなんでわたしで試すかなぁ、もっと他にいるでしょ」

差しのべられた手のひらに左手を重ねた朱音は苦笑する、ジーパンに使い古したスニーカーという出で立ちだが両足をきちんと揃えて地面に下ろして立ちあがり、リジェネのとなりに並んだ。静かに閉められたドアの音が静かな住宅街の夜に吸い込まれていく。正直気乗りのしなかったルイスのお願いだったが、ふたを開ければむしろ積極的に楽しい時間を過ごさせてもらった。たまにはこういう出会いもあるもんなんだなぁ、と自分の出不精を恥じた朱音が、笑みを滲ませながら重ねた手を引こうとした瞬間。

「・・・・・・・・リジェネ?」

突然、ぐっと手を強く握りこまれて朱音は目を上げる。にこやかに笑みを浮かべるリジェネの表情は一瞬だって揺らがない、長い睫毛に縁取られた瞼の奥で深紅が閃く。

「ちょ・・、リジェネ? 今度はなに、なんの遊びですか?」

本格的に振り払おうと朱音は腕に力を込めるが、逆にがっちり掴まれて表情がひきつる。一歩後ろに下がったとたん二歩距離を詰められ、朱音は背中をルーフにぶつけた。存外近くにあった白皙から視線をそらしそうになったがなんとかこらえる、ルビーのような深紅を見返してくちびるをきゅっと引き結ぶ。

「ねぇ朱音、どうしてだか本当にわからないの?」

囁くように紡がれた言葉が、混乱をあおる。

朱音だから、やってあげたのに」
「・・・・・はァ? え、なに、いきなりどしたの?」
「・・なるほど、確かに手ごわいね」

ふっと口元をほころばせたリジェネを目前に朱音は眉根を寄せる。さっきからコイツは一体何をぺらぺらと訳のわからないことを捲し立てているのだろう、自分の知らないところで自分を思い切り巻き込んだ話が動いている様子が心底気に食わない。と、そんなことを考えている隙にリジェネのそれが指の間にスルリと絡んできて朱音はビクリと肩を揺らす、・・この現状はいったいなんだ、どこをどう間違えたらこうなる?

「・・ねぇ朱音。朱音はスキナヒトとかいるの?」

スキナヒト・・・・・・“好きな人”? 朱音はぎょっとしたように体を引く。

「・・・・・・・・・・・・は?」
「うん、思った通りの反応で嬉しいよ」
「いやいやいやいや、何それ、え・・聞く意味なくない?」
「だって、朱音の口からちゃんと聞きたかったし」

リジェネは、口元に乗せた笑みをさらに深めた。

「じゃあさ、ティエリアは? ティエリアのこと、朱音はどう思ってる?」
「・・・・・・・・・・・・いや、なんでそこでティエリアの名前が出てくんのか、さっぱりわかんないんですけど」

ふーん、そっかぁ。リジェネは呟くようにそう言って満面の笑みをのぞかせる――・・もう、付き合ってられるか。頬の筋肉をヒクリと引きつらせた朱音がリジェネのとなりを抜けようと足を動かした、そのとき。絡めとられた左手をぎゅっと締めつけられ、奔る鈍い痛みに朱音は表情をゆがめる。人形のような白皙はくちびるを弧の形に吊り上げる。右の頬からあごのラインをなぞり、切り揃えられたばかりの毛先をなでるように後頭部に差し込まれた手から逃げようと体を引いた、・・そのとき。


――――・・!」

突然のキスを、朱音はまったく理解できなかった。


エンドロール


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